第四十六話 応援されると
金曜日の放課後。
恵斗は遥翔と並んで廊下を歩いていた。
「このまま帰る?」
遥翔が聞く。
「ああ」
「じゃあ、駅まで行くか」
「うん」
二人で昇降口へ向かう。
その途中。
「あ」
前から綾乃が歩いてきた。
「先輩」
「おう」
「佐々木先輩も」
「おう」
綾乃が二人の前で足を止める。
「今から帰るんですか?」
「そう」
遥翔が答えた。
「綾乃は?」
「私は美術室です」
「ああ」
恵斗が頷く。
「今日は何するんだ?」
「今日は人物画の続きをやります」
「人物?」
「はい。すずにモデルになってもらって」
「へえ」
「結構難しいんですよ。顔って」
「そうだな」
恵斗は少しだけ笑った。
「頑張れ」
「はい」
それだけの、いつもの会話。
そのとき。
遥翔が何気なく言った。
「そういや、恵斗」
「ん?」
「明日、牧が言ってた映画の続編、行くらしいな」
「……お前」
恵斗が遥翔を見る。
「何で今それ言うんだよ」
「何でって」
遥翔は不思議そうな顔をした。
「今思い出したから」
「……」
綾乃が恵斗を見る。
「明日、映画行くんですか?」
「ああ」
「森本先輩と?」
「うん」
綾乃の顔が、ぱっと明るくなった。
「よかったですね」
「……」
恵斗は一瞬、言葉が出なかった。
「前に話してた映画ですよね?」
「ああ」
「じゃあ、楽しみですね」
「……そうだな」
「よかったですね。また感想聞かせてくださいね」
綾乃は、本当に嬉しそうだった。
恵斗のために。
まるで自分のことのように。
その笑顔を見て。
恵斗は、嬉しいと思った。
自分が好きだと思っている相手と映画に行く。
そのことを、綾乃が喜んでくれている。
それは、普通に嬉しい。
なのに。
胸の奥に。
ほんの少しだけ。
引っかかるものがあった。
――よかったですね。
綾乃は、何の迷いもなくそう言った。
まるで。
本当に。
自分と森本がうまくいけばいいと思っているみたいに。
当然だ。
綾乃は、自分が森本を好きだと知っている。
だから応援しているだけ。
それ以上の意味なんてない。
分かっている。
なのに。
なぜか。
少しだけ寂しかった。
「……」
恵斗は自分でも意味が分からなかった。
何でだ。
応援してくれたんだから。
喜ぶところだろ。
それなのに。
綾乃が自分を見ていないことが。
妙に気になった。
「じゃあ、私そろそろ行きますね」
「ああ」
「明日、楽しんできてください」
「……おう」
「また月曜日に」
「うん」
綾乃は笑って、そのまま美術室のほうへ歩いていった。
恵斗は、その背中を見送る。
少しずつ離れていく。
そして。
綾乃の姿が廊下の角に消えた。
「……」
「行くぞ」
遥翔の声に、恵斗は前を向いた。
「ああ」
二人で歩き始める。
しばらく無言だった。
「嬉しかった?」
遥翔が聞いた。
「何が」
「牧が応援してくれたこと」
「……まあ」
「そっか」
「何だよ」
「別に」
「……」
恵斗は前を向いた。
綾乃が喜んでくれた。
それは確かに嬉しかった。
けれど。
それと同時に。
自分の中に、よく分からない落胆が残っている。
――何でだよ。
綾乃は何も悪くない。
むしろ。
自分のことを応援してくれている。
それなのに。
「……」
恵斗は小さく息を吐いた。
「何か言った?」
「いや」
「そう」
遥翔は、それ以上聞かなかった。
*
その夜。
恵斗は自室で、明日のことを考えていた。
明日は。
環と映画に行く。
前から楽しみにしていた。
映画を見て。
そのあと少し話して。
それから帰る。
特別なことではない。
でも。
環と二人で出かけるのは、やっぱり嬉しい。
恵斗はベッドに横になりながら、スマホを見る。
明日の上映時間を確認する。
集合時間。
駅から映画館までの道。
だいたい頭に入っている。
「……」
明日は普通に楽しもう。
そう思う。
そして。
ふと。
今日の綾乃を思い出した。
『よかったですね』
『また感想聞かせてくださいね』
「……」
あの笑顔。
あれは。
本当に嬉しそうだった。
自分と森本が映画に行くことを。
何の疑いもなく。
何の迷いもなく。
応援してくれた。
「……」
恵斗は天井を見る。
それでいい。
それが普通だ。
綾乃にとって自分は先輩。
自分が誰を好きなのかを知っている後輩。
それだけ。
なのに。
「……何で、ちょっとがっかりしてんだよ」
答えは出ない。
恵斗は目を閉じた。
「……寝よ」
そう呟いた。
けれど。
なかなか眠れなかった。
*
土曜日。
映画館。
「こっちだよね?」
環がスマホを見ながら言った。
「ああ」
「よかった」
二人で館内へ入る。
チケットを確認して。
飲み物を買って。
上映時間まで少しだけ待つ。
「楽しみだね」
環が言った。
「うん」
恵斗も答える。
昨日まで。
あれだけ余計なことを考えていたのに。
環と一緒にいると。
少しずつ、頭が静かになっていく。
やっぱり。
こういう時間は好きだった。
環と話していると、自然に笑える。
無理に話題を探さなくてもいい。
それが心地よかった。
「始まるよ」
「ああ」
二人で劇場へ入った。
*
映画が終わった。
「面白かった」
「うん」
「前の作品より、ちょっとテンポ早かったね」
「ああ。でも、俺はこっちのほうが好きかも」
「私も」
環が笑う。
恵斗も笑った。
「海藤、途中寝てたでしょ」
「寝てない」
「寝てた」
「寝てないって」
「目閉じてた」
「……それを寝てたって言うんじゃない?」
環が笑う。
恵斗もつられて笑った。
楽しかった。
普通に。
映画も。
環と一緒にいる時間も。
ちゃんと嬉しかった。
映画館を出る。
「このあと、どうする?」
「昼、食べる?」
「うん」
二人で歩きながら話していると。
恵斗のスマホが震えた。
「……」
ポケットから取り出す。
『綾乃:映画、どうでした?』
「……」
恵斗の口元が、ほんの少し緩んだ。
「うれしそうだね」
隣から環の声。
「え?」
「彼女?」
「違う」
恵斗は即答した。
「後輩」
「へえ」
環はそれだけだった。
特に興味がある様子もない。
「返さなくていいの?」
「ああ」
恵斗は画面を見る。
少し考えてから。
『恵斗:面白かった』
送る。
すぐに返事が来た。
『綾乃:よかったです!』
「……」
また。
口元が緩んだ。
環は何も言わない。
「じゃあ、行こうか」
「ああ」
二人で歩き出す。
恵斗はスマホをポケットにしまう。
今日。
環と映画を見た。
楽しかった。
素直に、心が弾んだ。
それは間違いない。
なのに。
今、一番頭に残っているのは。
綾乃から届いた、
**『よかったです!』**
という短い言葉だった。
「……」
恵斗は小さく息を吐く。
ただの後輩。
そう思う。
それなのに。
たった一通のメッセージで。
自分の気分が、こんなにも変わる。
「……ほんと、調子狂うな」
誰に言うでもなく。
恵斗は小さく呟いた。




