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今日も、たぶん平和じゃない  作者: RieL


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第四十三話 好きな人と

 月曜日。


 放課後。


 綾乃とすずは、美術室にいた。


 それぞれ自分の作業をしている。


 文化祭が終わってから、ようやく部屋の中も少しずつ落ち着いてきた。


「ねえ、すず」


「何」


 綾乃が筆を止める。


「土曜日の松寺くん、なんかちょっと変だった」


 すずが顔を上げる。


「変?」


「うん」


 綾乃は少し考えた。


「なんか……いつもより優しかった」


「例えば?」


「私が行きたいって言ったお店に、すぐ行こうって言ってくれたり」


「うん」


「買い物で迷ってたときも、一緒に考えてくれたし」


「うん」


「あと、荷物も持ってくれた」


 すずは少しだけ黙った。


「……それ、いつもの松寺くんじゃないの?」


「そうかな?」


「私に聞かれても」


「でも、なんか違ったんだよね」


 綾乃は首を傾げる。


「前より、ちょっと優しかった気がする」


「へえ」


「何?」


「いや」


 すずは綾乃を見る。


「綾乃はどう思ったの?」


「どうって?」


「優しかったんでしょ?」


「うん」


「嬉しくなかった?」


 綾乃は少し考えた。


「……嬉しかった」


「そっか」


「でも、それがどうかした?」


「別に何も」


「すず、絶対なんか思ってる」


「綾乃がそう思うなら、そうなんじゃない?」


「それ、答えになってる?」


「なってると思う」


 綾乃は少し不満そうな顔をした。


 すずは小さく笑う。


 けれど。


 ――松寺。


 やっぱり。


 綾乃のこと、かなり特別に見ているんじゃないだろうか。


 そう思った。


 けれど、本人がまだ気づいていないことを。


 わざわざ自分から言う気にもならなかった。


 *


「お疲れ」


 美術室の入り口から声がした。


 綾乃が顔を上げる。


「あ」


 そこにいたのは、恵斗だった。


「恵斗先輩」


「おう」


「どうしたんですか?」


「先生に用事」


「今、職員室ですよ」


「知ってる」


 恵斗はそう言って、美術室の前を通り過ぎる。


 そのとき。


「……そういえば」


 綾乃が呼び止めた。


「何」


「土曜日、映画見てきました」


「ああ」


 恵斗が足を止める。


「どうだった」


「すごく面白かったです」


「へえ」


「前の作品より、ちょっと泣きそうになりました」


「そうなんだ」


「先輩も、あの作品見てましたよね?」


「ああ」


「続編も、たぶん好きだと思います」


 恵斗は少しだけ笑った。


「へえ」


「先輩、見ないんですか?」


「時間あったら」


「ぜひ見てください」


 綾乃が嬉しそうに言う。


 その顔を見ながら。


 恵斗は、ふと思った。


 土曜日。


 綾乃は。


 松寺と一緒に。


 こんなふうに笑っていたんだろうか。


「……」


「先輩?」


「何」


 恵斗は短く答えた。


 綾乃は少し首を傾げる。


「今度は違うところにも行ってみたいなって思って」


 何気なく。


 綾乃が続ける。


 恵斗が、少しだけ綾乃を見る。


「違うところ?」


「はい」


「どこ」


「まだ決めてないですけど」


「……誰と?」


 すずの視線が、恵斗に向く。


 綾乃は特に気にすることもなく答えた。


「松寺くん」と


「……」


 恵斗が黙る。


 綾乃は続ける。


「映画のあと、いろいろ見て回ったんですけど」


「……」


「楽しかったので、またどこか行こうって話になって」


「そう」


 恵斗の返事は短かった。


 すずは、横からその横顔を見る。


 ――あ。


 また。


 なんとなく。


 機嫌が悪い。


「先輩も今度、どこか行けばいいじゃないですか」


 綾乃が言った。


 恵斗が顔を向ける。


「……誰と?」


「好きな人と」


 その瞬間。


 恵斗の表情が止まった。


 すずも、一瞬だけ目を見開く。


 綾乃は何も気づいていない。


「先輩、好きな人いるんですから」


「……」


 恵斗は綾乃を見る。


 綾乃は、いつもの顔をしていた。


 何も考えず。


 何の含みもなく。


 ただ当たり前のことを言っている。


「映画とか」


 綾乃は続けた。


「好きな人と行ったら、楽しいんじゃないですか?」


「……余計なお世話」


「え?」


 恵斗の声は、少し低かった。


「いや」


 綾乃が戸惑う。


「すみません」


「謝るなよ」


「でも、怒ってません?」


「怒ってない」


「……怒ってますよね」


「怒ってない」


「じゃあ、何でそんな言い方するんですか」


「は?いつも通りだろ」


「いつも通り?」


「もう、いい」


 恵斗は自分でも、何を言っているのか分からなくなっていた。


 ただ。


 綾乃の口から。


 好きな人と行けばいい。


 そう言われたことが。


 なぜか妙に腹立たしかった。


「……俺、帰るわ」


 恵斗が言った。


「え?」


「じゃあな」


「あ、はい」


 綾乃が見送る。


「お疲れさまです」


 恵斗は返事もせずに歩いていった。


 すずは、その背中を見ていた。


「……」


「先輩、なんか変だったね」


 綾乃が言う。


「そうだね」


「怒ってたよね」


「どうだろう」


「すずは何か分かる?」


「何も」


「本当に?」


「うん」


 綾乃は少し考える。


「松寺くんも変だったし」


「うん」


「先輩もなんか変」


「うん」


「何なんだろう」


 すずは答えなかった。


 そのとき。


 綾乃のスマホが鳴る。


「あ」


 画面を見る。


「松寺くんだ」


「もう帰るの?」


「うん。下で待ってるって」


「そっか」


「じゃあ、私行くね」


「うん」


「また明日」


「また明日」


 綾乃は荷物を持って、美術室を出ていった。


 すずは、一人になる。


 しばらく。


 静かになった美術室を見回した。


「……」




 変なのは。


 松寺だけじゃない。


 むしろ先輩のほうが。


 どう考えても。


 おかしかった。


 *


 帰り道。


 すずは一人で歩いていた。


「北川」


 後ろから声がする。


 振り返る。


「あ」


 遥翔がいた。


「一人?」


「はい」


「牧は?」


「松寺と帰りました」


「そうなんだ」


「はい」


 遥翔は少しだけ笑う。


「何ですか」


「いや」


「何か言いたそうですね」


「別に」


「……」


 すずがじっと見る。


「先輩も、そういう言葉使うんですね」


「何のこと?」


「いえ」


 遥翔は肩をすくめた。


「で、北川は?」


「私?」


「このまま帰るの?」


「そのつもりです」


「じゃあ、一緒に帰る?」


「はい」


 二人で歩き出す。


 少しの間。


 他愛もない話をしていた。


 やがて。


「さっき」


 すずが口を開く。


「うん?」


「美術室で、ちょっと変なことがありました」


 遥翔がすずを見る。


「先輩と綾乃が話してて」


「へえ」


「映画の話になったんです」


「うん」


 すずは、さっきのことを思い出す。


「それで綾乃が、先輩にも今度どこか行けばいいじゃないですかって」


「うん」


「そしたら、先輩が『誰と?』って」


 遥翔の表情が少しだけ変わった。


「……うん」


「で」


 すずは続ける。


「綾乃が」


 少し間を置く。


「『好きな人と』って」


「……」


 今度は遥翔が黙った。


 すずは、その横顔を見る。


「何か知ってます?」


「いや」


「本当に?」


「本当に」


 遥翔は少し笑う。


 すずは前を向く。


 しばらく歩いてから。


「……私、前からちょっと思ってたんですけど」


「何を?」


「先輩」


「うん」


「綾乃のこと、好きなんじゃないですか」


 遥翔は、すぐには答えなかった。


 少し考えてから。


「……そうかもね」


 すずが遥翔を見る。


「やっぱり」


「でも」


 遥翔が続ける。


「本人は、そう思ってないかも」


「え?」


「いや」


 遥翔は少し笑う。


「恵斗、そういうの鈍いから」


「へえ」


「牧も鈍いだろ」


「……まあ」


 すずは納得した。


「似たような二人ですね」


「そうかも」


「面倒ですね」


「見てるほうはな」


 二人は少し笑った。


 同じようなことを思っている。


 けれど。


 二人の知っていることは、少し違う。


 すずは知らない。


 恵斗には。


 綾乃とは別に。


 本人が「好きだ」と思っている相手がいることを。


 遥翔だけが、そのことを知っていた。


 だから。


 さっきの「そうかもね」には。


 すずが思っているよりも。


 ずっと複雑な意味があった。


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