第四十一話 どうでもいいはずなのに
火曜日。
放課後の廊下を、恵斗は一人で歩いていた。
窓の外は、少しずつ夕方の色になっている。
文化祭が終わってから、しばらく経った。
学校も、ようやくいつもの空気に戻ってきている。
それなのに。
恵斗の中だけは、なぜか落ち着かなかった。
原因は分かっている。
今週の土曜日。
映画。
綾乃が松寺と行く予定の日。
「……」
恵斗は小さく息を吐いた。
別に。
何もない。
ただ映画を見るだけだ。
二人で映画を見る。
それだけ。
そのあと、どこかへ寄るかもしれない。
それも。
別に。
自分には関係ない。
「……なのに」
そこまで考えて、恵斗は眉をひそめた。
なんで、こんなことを考えているんだ。
*
「海藤くん」
声をかけられて、恵斗は顔を上げた。
「森本」
そこにいたのは、環だった。
「これ、先生に渡してくれる?」
「ああ」
環からプリントを受け取る。
「ありがとう」
「うん」
環が笑う。
その顔を見て。
恵斗も、自然に笑った。
少しだけ。
胸が軽くなる。
森本といると、素直に笑える。
顔を見れば、やっぱり嬉しいと思う。
その気持ちは、今だって変わっていない。
だから。
恵斗は、今でも自分は森本が好きなんだと思っていた。
「海藤くん?」
「ん?」
「どうしたの?」
「いや」
恵斗は首を振る。
「何でもない」
「そう?」
「うん」
環は少し首を傾げてから、
「じゃあ、またね」
と言った。
「ああ。また」
環が去っていく。
その背中を見ながら。
恵斗は思った。
――やっぱり。
森本のことは、好きだ。
それは間違いない。
なのに。
その直後。
なぜか頭に浮かんだのは。
綾乃だった。
「……」
恵斗は、自分でも意味が分からなくなった。
*
廊下の先に、綾乃がいた。
すずと一緒に歩いている。
「あ、先輩」
綾乃が気づいて、笑った。
「おう」
「まだ学校いたんですね」
「うん」
「お疲れさまです」
「綾乃も」
「はい」
それだけ。
いつもの会話。
何も変わらない。
綾乃はすずと一緒に、そのまま歩いていった。
恵斗も、その背中を見送った。
そして。
また思い出す。
土曜日。
映画。
松寺。
「……」
さっきまで。
森本と話していたときは。
何もおかしくなかった。
環が笑ってくれて。
自分も自然に笑えた。
それでよかった。
なのに。
綾乃と少し話しただけで。
こんなにも気持ちがざわつく。
何なんだ。
*
その日の帰り。
恵斗と遥翔は駅へ向かって歩いていた。
「なあ」
「ん?」
「今週だな」
「何が」
「映画」
「……」
恵斗は黙った。
「何?」
「別に」
「またそれ?」
「何だよ」
「いや」
遥翔は笑う。
「最近、映画の話すると分かりやすいなと思って」
「分かりやすくない」
「そう?」
「そう」
「じゃあいいけど」
恵斗は前を向いた。
少し歩いてから。
「……綾乃さ」
「ん?」
「最近、楽しそうだよな」
遥翔が横を見る。
「そうだな」
「……」
「それがどうかした?」
「別に」
「はいはい」
遥翔は笑った。
恵斗は少しだけ眉をひそめた。
でも。
否定する言葉が見つからなかった。
*
夜。
恵斗はベッドに寝転がっていた。
スマホを手に取る。
何となく画面を見る。
特に何かあるわけではない。
綾乃から連絡が来ているわけでもない。
それなのに。
スマホを置けない。
「……」
今日のことを思い出す。
森本と話した。
環が笑っていた。
自分も笑った。
嬉しかった。
それは本当だ。
だったら。
何も問題ないはずだ。
森本のことが好き。
そう思っている。
なのに。
綾乃が松寺と映画に行く。
それが気になる。
映画のあとも二人でいる。
それも気になる。
綾乃が楽しみにしている。
それも。
……面白くない。
「……」
恵斗は眉間を押さえた。
自分でも嫌になる。
何でこんなに引っかかるんだ。
別に。
綾乃が誰と映画を見ようが自由だ。
松寺だって悪くない。
むしろ。
綾乃が楽しそうにしているなら、それでいいはずだ。
「……いいはずなんだけど」
口にして。
恵斗は黙った。
全然よくない。
そう思ってしまった。
それが一番嫌だった。
*
ふと。
駅で見た綾乃を思い出す。
松寺と話していた。
綾乃は、楽しそうだった。
声も。
表情も。
あのときの綾乃は、いつもよりずっと弾んでいた。
「……」
恵斗は目を閉じる。
あのとき。
何となく気になった。
ただ、それだけだと思っていた。
でも。
今は。
その「何となく」が、ずっと残っている。
映画。
そのあと。
二人で寄り道。
綾乃が楽しみにしている。
「……」
恵斗は枕を抱えた。
「何なんだよ……」
誰に聞いても。
答えは返ってこない。
もちろん。
自分でも分からない。
ただ。
分からないまま。
綾乃の予定だけは気になって仕方がない。
「……別に」
小さく呟く。
「気にしてない」
言ってみる。
でも。
自分でも信じられなかった。
気にしていないなら。
どうして。
土曜日まであと何日かなんて。
頭の中で数えているんだ。
「……俺、何してんだ」
恵斗は顔を覆った。
情けない。
本当に。
森本といると、素直に笑える。
顔を見れば、やっぱり嬉しいと思う。
その気持ちは、今だって変わっていない。
なのに。
綾乃のことになると。
こんなに感情が乱れる。
嬉しくない。
面白くない。
気になる。
腹が立つ。
でも。
その理由が分からない。
「……」
恵斗はしばらく黙っていた。
やがて。
枕に顔を埋める。
自分でも、さすがに呆れる。
「……自分でも引くわ。中学生かよ、俺」
そう呟いたところで。
当然、答えてくれる相手はいなかった。
それでも。
土曜日のことを考えるのを、やめられなかった。




