第三十七話 なんか、機嫌悪い
月曜日の放課後。
綾乃とすずは、並んで駅へ向かっていた。
「今日、何か食べて帰る?」
「どうしようかな」
「私は甘いもの食べたい」
「じゃあ、駅で何か買う?」
「うん」
そんな話をしながら歩いていると。
「あれ?」
すずが前を見た。
「どうしたの?」
「あそこ」
少し先に、二人の男子が歩いている。
「あ」
綾乃も気づいた。
「先輩と佐々木先輩だ」
ちょうど二人が振り返る。
「お」
恵斗が声を上げた。
「綾乃」
「先輩」
綾乃が小走りで近づく。
「今帰りですか?」
「うん」
「私たちもです」
遥翔が笑った。
「じゃあ、途中まで一緒に帰る?」
「いいですよ」
綾乃が答える。
自然な流れで、四人で歩き始めた。
*
最初は四人で話していた。
学校のこと。
先生のこと。
帰り道にある店のこと。
けれど、しばらくすると自然に二組に分かれる。
前を歩くのは、恵斗と綾乃。
少し後ろに、すずと遥翔。
「そういえば」
綾乃が言った。
「先輩って、映画とか見ます?」
「映画?」
「はい」
「まあ、たまに」
「じゃあ、このシリーズ知ってます?」
綾乃がスマホを見せる。
そこには、先日話していた映画のタイトルが表示されていた。
恵斗の目が、ほんの少しだけ止まる。
「……知ってる」
「本当ですか?」
「前のやつは見た」
「やっぱり」
綾乃が嬉しそうに笑う。
「面白かったですよね」
「まあ」
「私、結構好きなんです」
「そう」
「先輩はどこが一番好きでした?」
「……覚えてない」
「えー」
綾乃が笑う。
「絶対そんなに好きじゃないじゃないですか」
「いや、見たことはある」
「でも覚えてない」
「細かいところまで覚えてるほうがおかしいだろ」
「そうかなあ」
綾乃は楽しそうに笑っている。
恵斗は、その横顔を見た。
昨日。
駅で見た綾乃とは、少し違う。
松寺と話していたときの綾乃は、もっと無邪気で。
声も明るくて。
楽しそうだった。
今の綾乃は、自分と話しているときのいつもの綾乃だ。
それなのに。
昨日の光景が、なぜか頭から離れない。
「そういえば」
綾乃が続ける。
「続編、再来週ですよね」
「そうなの?」
「はい。楽しみなんです」
恵斗は綾乃を見る。
「……誰と?」
「え?」
綾乃が首を傾げる。
「誰と見るの?」
少しだけ。
声が低かった。
「えっと……」
綾乃は一瞬考える。
優太と行く約束をしている。
でも。
わざわざ恵斗に言うことでもない。
「まだ決めてないです」
「……そう」
恵斗は短く答えた。
嘘だ。
昨日、駅で聞いた。
松寺と行くのだと。
なのに。
本人は何も言わない。
わざわざ自分から話すことじゃない。
そんなことは分かっている。
それなのに。
なぜか、少し苛立った。
「先輩?」
「何」
「いえ……」
綾乃は少し迷ってから聞いた。
「先輩、映画あんまり興味ないんですか?」
「別に」
「じゃあ、続編は見ないんですか?」
「興味があるなら、見るかもな」
「……え?」
「何で俺に聞くんだよ」
言ってから。
恵斗は少しだけ眉を寄せた。
――何で、こんな言い方したんだ。
綾乃は何も悪くない。
ただ映画の話をしているだけだ。
「……すみません」
「いや」
恵斗は少し間を置いた。
「悪い。今のは別に」
「……はい」
綾乃は少し困ったように笑った。
恵斗は前を向く。
自分でも分からない。
ただ。
昨日、駅で聞いた約束を。
綾乃の口から聞きたかったのか。
それとも。
聞きたくなかったのか。
そのどちらなのかすら、分からなかった。
*
少し後ろを歩いていたすずは、二人の会話を聞いていた。
恵斗の声が、いつもより少し冷たい。
そして。
綾乃は、それに気づいているようで気づいていない。
すずは隣を見る。
遥翔と目が合った。
すずは、ほんの少し眉を上げる。
そして前を見る。
また遥翔を見る。
「……もしかして」
すずが小声で言った。
「ん?」
「先輩って……」
すずは言葉を濁した。
遥翔は前を歩く恵斗を見る。
それから、すずに視線を戻した。
「うん」
「……」
「そうかもね」
すずは少しだけ目を見開いた。
「やっぱり?」
「俺は、結構前からそう思ってる」
「……そうなんだ」
すずは前を見る。
綾乃は何も気づいていない。
恵斗と普通に話そうとしている。
その様子を見て。
すずは少しだけ考えた。
もしかしたら。
綾乃がまだ気づいていないだけで。
恵斗のほうは、もうかなり深いところまで来ているのかもしれない。
「でも」
すずが小さく言う。
「本人が一番分かってなさそうですね」
「だな」
遥翔は苦笑した。
*
駅が近づいてくる。
「先輩」
綾乃がまた話しかけた。
「何?」
「この映画、2作目も面白いんですよ」
「そう」
「もし時間あったら見てみてください」
「……考えとく」
「はい」
綾乃は笑った。
「見たら感想教えてくださいね」
「何で?」
「だって、話したいじゃないですか」
恵斗は一瞬黙った。
「……分かった」
「ありがとうございます」
綾乃が笑う。
その笑顔を見て。
恵斗は少しだけ目を逸らした。
まただ。
昨日から。
何度も。
あの時の、改札で見た笑顔が頭に残る。
――何でだよ。
恵斗は心の中で小さく舌打ちした。
別に。
綾乃が誰と映画に行こうが。
自分には関係ない。
それなのに。
松寺と行くと知っているだけで。
どうしてこんなに気になる。
*
駅前で、四人は立ち止まった。
「じゃあ、俺たちこっちだから」
遥翔が言う。
「はい」
すずが頷く。
「また明日」
「お疲れさまです」
綾乃が手を振る。
「じゃあな、牧」
「はい。また」
恵斗も小さく手を上げた。
「またな、綾乃」
「はい」
四人はそこで別れた。
*
すずと綾乃が歩き出す。
しばらくして。
「ねえ」
すずが言った。
「ん?」
「今日、先輩ちょっと変じゃなかった?」
「やっぱり?」
綾乃が振り返る。
「すずもそう思った?」
「うん」
「何かあったのかな」
「さあ」
「疲れてたのかな」
「……かもね」
すずは、それ以上言わなかった。
ただ。
さっきの恵斗の声を思い出す。
――誰と?
あの聞き方。
ただの興味とは、やっぱり思えない。
すずは前を歩く恵斗を見た。
さっき遥翔が言ったことを思い出す。
――もしかして、本当に。
先輩は、綾乃のことが好きなんじゃないだろうか。
*
一方。
駅の反対側へ向かう恵斗と遥翔。
しばらく歩いたところで。
「恵斗」
「何」
「今日、ちょっと感じ悪かったぞ」
「……」
「牧に」
「そうか?」
「うん」
「普通だっただろ」
「どこが?」
「普通に話してただろ」
「普通に話してる人は、『誰と?』ってあんな聞き方しないと思うけど」
「……」
恵斗が黙る。
「映画の話してただけだろ」
「そうだな」
「だったら、別にいいじゃん」
「……」
「牧が誰と見るかなんて」
「分かってる」
恵斗は少し早足になる。
「分かってるけど」
「けど?」
「……何でもない」
遥翔は笑った。
「そういうところだよ」
「何が」
「自分で考えてみれば?」
「分かんねえよ」
「だろうな」
「笑うな」
「笑ってない」
「笑ってる」
「気のせい」
恵斗はため息をつく。
そして。
少しだけ前を向いたまま呟いた。
「……別に、誰と見るかなんて関係ないだろ」
「うん」
「俺には関係ない」
「うん」
「だから、別に」
「分かった分かった」
遥翔は笑いながら頷いた。
恵斗はまだ気づいていない。
自分が綾乃に苛立っていた理由も。
その苛立ちが、無意識に言葉へ出ていたことも。
そして。
すずが、その変化に気づき始めたことも。
ただ。
自分でもよく分からないまま。
恵斗の中には、ひとつだけ残っていた。
――松寺と映画に行く。
その事実が。
どうしても、面白くなかった。




