第二話 広沢は今日もいない
広沢佑は問題児である。
これは美術部員の共通認識だった。
もちろん本人だけは認めていない。
「俺、何もしてないです」
が口癖である。
実際には、かなりの頻度で何かしている。
あるいは何もしない。
どちらかだ。
*
「綾乃ー」
放課後。
美術室へ向かっていた綾乃は、後ろからすずに呼ばれた。
「何?」
「今日さ」
「うん」
「嫌な予感しない?」
「何その雑な占い」
「だって」
すずが窓の外を見る。
「文化祭の展示パネル届いたじゃん」
「あ」
綾乃も思い出した。
朝から職員室前には、大きな展示用パネルが積まれていた。
そして。
その手の作業には、必ず付きまとう問題がある。
「広沢か」
「広沢だな」
二人は同時に頷いた。
案の定だった。
美術室に入ると、二年生の琉生がパネルを見ながら言った。
「重そう」
「重いですね」
「重いな」
三人とも動かない。
そこへ顧問が現れた。
「じゃあ運ぼうか」
逃げ場はなかった。
「綾乃、そっち持てる?」
「持てます」
「すずは?」
「大丈夫」
廊下を運びながら、綾乃は周囲を見回した。
「広沢は?」
沈黙。
「広沢は?」
もう一度聞く。
さらに沈黙。
琉生がぼそりと言った。
「いないね」
「いますよね?」
「さっきまでいた」
「いたんですか?」
「いた」
すずが真顔で言う。
「先生が『運ぼうか』って言った瞬間に消えた」
「忍者?」
「忍者」
綾乃は眉間を押さえた。
一時間後。
作業が終わった頃。
広沢は何事もなかったような顔で現れた。
「あれ? 終わったんですか?」
綾乃の額に青筋が浮いた。
「広沢」
「はい?」
「どこ行ってたの?」
「トイレ」
「一時間?」
「長かったです」
「嘘つけ」
「本当です」
「嘘つけ」
「本当です」
すずが横で吹き出した。
琉生は遠くを見ている。
広沢だけが平然としていた。
「別にサボってないです」
「じゃあ運べたよね?」
「いや、トイレだったんで」
「一時間?」
「長かったです」
「最初に戻った」
*
その日の少し後。
図書室で勉強をしていた恵斗が、資料を取りに美術室へ顔を出した。
「何やってんの」
「恵斗先輩!」
綾乃は即座に告げ口した。
「広沢が逃げました」
「逃げてないです」
「逃げた」
「逃げてないです」
「逃げた」
「小学生か」
恵斗が呆れた顔をする。
「広沢」
「はい」
「お前また逃げたの?」
「逃げてないです」
「逃げたんだな。何で?」
「牧さんがキレてるから」
「それは関係なくない?」
「綾乃がキレる時は大体お前が悪い」
「偏見です」
「実績だろ」
すずが盛大に笑った。
結局。
広沢は最後まで謝らなかった。
それどころか、
「でも俺、運べって言われてないですし」
と逆ギレした。
綾乃は本気で机を叩きそうになった。
「言われなくても分かるでしょ!」
「えー」
「えーじゃない!」
「綾乃」
横から恵斗が声をかける。
「落ち着け」
「先輩、わたし、この人無理です」
「知ってる」
「何で怒らないんですか」
「慣れた」
「慣れないでください」
恵斗が笑った。
珍しく、少しだけ楽しそうだった。
*
その日の夜。
いつものグループトーク。
『綾乃:今日の広沢ひどかった』
『すず:過去形じゃない』
『杏奈:また何かしたの?』
『綾乃:何もしてない』
『杏奈:?』
『綾乃:何もしてないことが問題』
『杏奈:ああ』
『琉生:分かる』
珍しく琉生が起きていた。
『綾乃:一時間トイレだったらしい』
『すず:人類最長』
『琉生:ギネス狙える』
『杏奈:それは嘘だと思う』
『綾乃:私もそう思う』
そこへ。
『恵斗:どうせ逃げた』
全員が即座に反応した。
『すず:それな』
『綾乃:それです』
『杏奈:確かに』
『琉生:確かに』
満場一致だった。
しばらくして。
話題が途切れた頃。
綾乃のスマホに個人メッセージが届いた。
恵斗だった。
『今日マジでキレてたな』
『キレますよ』
『まあな』
『先輩、広沢に甘くないですか?』
『甘い?』
『怒らないじゃないですか』
『怒っても意味ないし』
『諦めてる』
『諦めてる』
綾乃は思わず笑った。
『でも』
続けてメッセージが来る。
『綾乃が怒ってるの見てちょっと面白かった』
『最低ですね』
『ごめん』
『全然反省してない』
『してない』
『最低ですね』
既読がつく。
数秒後。
『でも』
『?』
『綾乃、普段あんまり怒らないじゃん』
『そうですか?』
『そう』
『だから珍しかった』
綾乃は少しだけ画面を見つめた。
そう言われると、そうかもしれない。
『広沢限定です』
『知ってる』
『先輩も知ってるんですね』
『部員全員知ってる』
『不本意です』
『いや事実だろ』
綾乃はクッションを抱えて笑った。
*
一方、その頃。
恵斗は、校門付近で遥翔と合流した。
「今日、部活寄った?」
遥翔が聞く。
「ちょっとだけ」
「ふーん」
「何」
「いや」
遥翔は何気なく聞いた。
「最近、部活で一年とよく話してる?」
「誰」
「牧綾乃」
一瞬。
恵斗の足が止まった。
「……まあ」
「へえ」
「恋バナしてるだけ」
「ああ」
遥翔は頷いた。
「なるほど」
「何だよ」
「いや、別に」
遥翔は笑った。
恵斗本人は、まだ何も気づいていない。
ただ、以前の恵斗なら、後輩の名前をこんなふうに覚えていること自体が珍しかった。
まして、個人的に連絡を取っている。
遥翔は何となく思う。
――何か始まってるのかもしれない。
でも。
今はまだ、言わない。
その方が面白いから。
*
そして綾乃も。
もちろん何も気づいていなかった。
恵斗が環を好きなこと。
杏奈がまだ恵斗を気にしていること。
それらは知っている。
でも。
自分がその中心に近づいていることだけは。
まだ全く気づいていなかった。
今日もグループトークは続いている。
広沢本人だけがいないまま。
そしてたぶん明日も。
広沢は何かをやらかす。
みんなが、そう思っていた。




