↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日も、たぶん平和じゃない  作者: RieL


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/56

第一話 相談相手は、なぜ私?

牧綾乃が、海藤恵斗と仲良くなったきっかけは、本当に偶然だった。

 高校一年の春。

 入学して、まだ間もない頃。

 美術部の活動で使う資料を取りに行った綾乃は、廊下の角を曲がったところで、誰かとぶつかりそうになった。

「あ、ごめんなさい」

「……いや」

 反射的に頭を下げる。

 顔を上げて、綾乃は少しだけ固まった。

 背が高い。

 目つきが鋭い。

 口元も、あまり笑っていない。

 第一印象は、正直に言えば、

 ――怖そう。

 だった。

 その先輩が、海藤恵斗だった。

 同じ美術部の三年生。

 綾乃が入部したばかりの頃は、ほとんど話したこともなかった。

 部活中に見かけることはあっても、恵斗は基本的に仲のいい部員としか話さない。

 それ以外の相手には、かなり淡泊だった。

 だから綾乃も、特に自分から話しかけようとは思っていなかった。


 ところが。

 ある日の放課後。

 たまたま二人きりになった美術室で、恵斗が突然言った。

「牧って、好きな人いる?」

「……はい?」

 綾乃は筆を洗っていた手を止めた。

「いきなり何ですか?」

「いや、何となく」

「先輩って、いきなりそういうこと聞くんですね」

「嫌だった?」

「いえ」

 綾乃は少し考える。

「恋バナですか?」

「まあ」

 恵斗は、まるで天気の話でもするような顔をしていた。

 綾乃は少し笑う。

「いますよ」

「へえ」

 恵斗の眉がわずかに上がった。

「誰?」

「それは言いません」

「何だよ」

「じゃあ先輩は?」

「俺?」

「はい」

「……いる」

「誰ですか?」

「それは言わない」

「先輩もじゃないですか」

「お互い様だろ」

「確かに」

 綾乃は笑った。

 恵斗も、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 それが始まりだった。


*

 それから二人は、妙に話すようになった。

 好きな人の話。

 昔の恋愛の話。

 学校の話。

 部活の話。

 クラスの変な人の話。

 先生の話。

 そして、ときどきどうでもいい話。

 恵斗は、仲のいい相手には意外なくらい世話焼きだった。

「牧、それ重いだろ」

「大丈夫です」

「いいから貸せ」

「え、でも」

「いいって」

 そう言って、綾乃が持っていた画材をひょいと持っていく。

 かと思えば、別の部員が何か頼んでも、

「自分でやって」

 と一言で終わる。

 綾乃は何となく、その違いがおかしかった。

「先輩って、意外と面倒見いいですよね」

「そう?」

「仲いい人には」

「……まあ」

「それ以外には冷たいですけど」

「そう?」

「そうですよ」

「じゃあ牧は?」

「私は?」

「俺にとって、仲いいほう?」

「……どうでしょう」

 綾乃が笑うと、恵斗は少しだけ考えるような顔をした。

「まあ、いいほうじゃない?」

「何ですか、それ」

「俺が普通に話してる時点で」

「確かに」

 そんなやり取りが増えていった。

 そして、ある日のことだった。

「牧」

「はい?」

「苗字で呼ぶの、ちょっと呼びにくい」

「そうですか?」

「下の名前、何だっけ」

「綾乃です」

「……じゃあ、綾乃でいい?」

「いいですよ」

 恵斗は少しだけ間を置いて、

「綾乃」

 と呼んだ。

「はい」

 綾乃は普通に返事をした。

 それだけだった。

 綾乃にとっては。

 ただの先輩。

 話しやすい先輩。

 恋バナをする相手。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 ――少なくとも、この頃は。


*

 そんな恵斗には、元カノがいる。

 水上杏奈。

 高校二年生。

 色白で小柄。

 ふわっとした雰囲気の、いわゆる可愛い系の女の子だ。

 恵斗と付き合っていた期間は、約一ヶ月。

 短い。

 そして、終わり方もあまり綺麗ではなかったらしい。

 綾乃がそのことを詳しく知ったのは、恵斗本人からだった。

 ある日の恋バナの途中。

 恵斗が珍しく、少し疲れた顔で言った。

「……水上のこと、もう無理」

「そんなにですか?」

「疲れた」

「何かあったんですか?」

「いろいろ」

「いろいろ……」

「もういいだろ」

「分かりました」

 綾乃は、それ以上聞かなかった。

 でも。

 恵斗の様子を見ていれば、だいたい分かる。

 嫌いというより、疲れている。

 もう関わりたくない。

 できれば、そっとしておいてほしい。

 そういう感じだった。

 だから綾乃は、杏奈にも何となく気を遣っていた。

 ……のだが。


 ある日の放課後。

「綾乃ちゃん」

「はい?」

 廊下を歩いていた綾乃は、後ろから呼び止められた。

 振り返ると、杏奈が立っていた。

「ちょっと相談していい?」

「もちろんです」

 二人は廊下の端へ移動した。

 杏奈はしばらく黙っていた。

 それから、小さな声で言った。

「……恵斗先輩のことなんだけど」

「はい」

「恵斗先輩ってさ」

「はい」

「もう、私のこと何とも思ってないのかな」

 綾乃は少し考えた。

「恋愛として、ってことですか?」

「うん」

「……たぶん、そうだと思います」

「やっぱり?」

「はい」

 杏奈が俯く。

「でも」

 綾乃は少しだけ考えてから続けた。

「嫌いになったわけではないと思いますよ」

「……そうかな」

「先輩、杏奈先輩にはかなり塩対応ですけど」

「うん……」

「本当にどうでもいい人なら、あそこまで疲れた顔しないと思います」

「それ、どういう意味?」

「分析です」

「分析?」

「はい」

 杏奈が少しだけ笑った。

「綾乃ちゃんって、変なところ鋭いよね」

「そうですか?」

「うん」

「よく言われます」

「……羨ましい」

「何がですか?」

「恵斗先輩のこと、よく分かってるところ」

「恋バナいっぱいしましたからね」

 綾乃は何の疑いもなく答えた。

 その瞬間。

 杏奈の表情が、ほんの少しだけ曇った。

「……そっか」

「はい」

 綾乃は首を傾げる。

「どうしました?」

「ううん。何でもない」

「そうですか?」

「うん」

 杏奈は笑った。

 でも、その笑顔が少しだけ無理をしていることに、綾乃は気づいていた。

 ――ああ。

 やっぱり、まだ気になるんだ。

 そう思っただけだった。


*

 そして、綾乃にはもう一つ、恵斗から聞いていることがあった。

 森本環。

 同じ美術部の三年生。

 恵斗と同じクラス。

 黒髪のロングヘアがよく似合う、和風美人。

 恵斗が、今好きな人。

 その話を聞いたのは、杏奈との別れ話から少し経った頃だった。

「先輩、次はどんな人が好きなんですか?」

 いつものように恋バナをしていた時。

 綾乃が何気なく聞いた。

「……いる」

「やっぱりいるんですね」

「うん」

「誰ですか?」

「言ったら、たぶんお前に知られる」

「もう知ってますよ。私、先輩の恋愛相談役なので」

「自分で言うな」

「じゃあ、教えてください」

 恵斗はしばらく黙った。

 それから、美術室の窓の外を見る。

「……森本」

「え」

 綾乃は目を丸くした。

「森本先輩ですか?」

「うん」

「え、意外です」

「何で」

「だって、森本先輩、すごく綺麗じゃないですか」

「そう?」

「そうですよ」

「まあ……綺麗だけど」

 恵斗が少しだけ視線を逸らした。

 綾乃は、その表情を見て笑った。

「先輩、好きなんですね」

「……うるさい」

「図星だ」

「だから言いたくなかった」

「すみません」

 でも、綾乃は嬉しかった。

 自分だけが知っている。

 そのことが、何となく特別なことのように感じられた。

「応援しますよ」

「……何を?」

「森本先輩とのこと」

「別に、まだ何もしてないけど」

「じゃあ、これからですね」

「受験生なんだけど」

「あ」

 綾乃は笑った。

「それは確かに大変ですね」

「だから、変なことする暇ない」

「でも好きなんですよね?」

「……まあ」

「じゃあ、頑張ってください」

「他人事だな」

「他人事ですから」

「そうだな」

 恵斗も笑った。

 この話を知っているのは、綾乃だけだった。

 少なくとも、恵斗はそう思っている。

 綾乃も、そのつもりだった。

 だから綾乃は、何の疑いもなく思っていた。

 ――先輩の好きな人は、森本先輩。

 ――私は、その相談相手。

 ただ、それだけ。


*

 その日の帰り。

 教室で鞄をまとめていると、松寺優太が机の横に立った。

「牧」

「何?」

「今日、部活?」

「うん」

「また?」

「美術部だからね」

「そりゃそうか」

 優太は笑った。

 入学したばかりの頃は、綾乃も少しだけ緊張していた。

 何しろ、第一印象は、

 ――イケメン!!

 だった。

 けれど、入学してしばらく話しているうちに、その感情はすっかりどこかへ消えた。

 今では普通の、気の置けないクラスメイトだ。

「牧ってさ」

「何?」

「最近、恋バナ好きすぎじゃない?」

「え?」

「休み時間も誰かの恋愛の話してるじゃん」

「だって面白いから」

「自分のは?」

「自分の?」

「自分の恋愛」

「……ない」

「即答じゃん」

「だって、今はそういうのないし」

「ふーん」

 優太は特に興味もなさそうに頷いた。

「じゃ、また明日」

「うん。またね」

 優太が教室を出ていく。

 綾乃はその背中を見送り、何となく笑った。

 恋愛。

 自分には、まだ遠い話だと思っていた。


*

 その夜。

 綾乃は自分の部屋でベッドに寝転がっていた。

 スマホをいじっていると、通知が鳴る。

 画面を見る。

 恵斗だった。

『綾乃、ちょっと聞きたい』

『何ですか?』

 すぐに返信する。

『水上って、まだ俺のこと好きなのかな』

「……」

 綾乃は画面を見つめた。

 数時間前の会話を思い出す。

 そして、何の迷いもなく入力した。

『好きだと思います』

 送信。

 既読。

 早い。

『即答?』

『さっき相談されました』

 送った瞬間。

「……あ」

 綾乃の指が止まった。

 しまった。

 これは言わないほうがよかった。

『今の忘れてください』

『いや無理だろ』

『すみません』

『……もう無理』

『そんなにですか?』

『疲れた』

 綾乃は思わず吹き出した。

『先輩、元カノに疲れすぎじゃないですか』

『お前まで言うな』

『すみません~』

 しばらくして。

 また通知が鳴った。

『でも、ありがとう』

『何がですか?』

『話聞いてくれて』

 綾乃は、少しだけ画面を見つめた。

 そして、

『いえいえ』

 と返した。

 スマホを伏せる。

「……相談役って、大変だなあ」

 独り言を呟いて、綾乃はベッドに転がった。


 このときの綾乃は、本気でそう思っていた。

 自分はただ。

 友達の相談に乗っているだけ。

 先輩の相談に乗っているだけ。

 それだけ。

 ――のはずだった。


*

 そして、その翌日。

 放課後の美術室。

 綾乃が一人で片付けをしていると、すずが顔を出した。

「綾乃、帰る?」

「もうちょっと」

「先輩は?」

「図書室じゃない?」

「受験生だもんな」

「うん」

 すずが椅子に座る。

「そういえば、昨日の夜また恵斗先輩と話してた?」

「うん」

「何の話?」

「恋バナ」

「また?」

「また」

 すずが呆れたように笑う。

「お前ら、本当に好きだな」

「恋バナは楽しいじゃん」

「まあ、分かるけど」

 その時。

 スマホが震えた。

 画面を見る。

 グループトーク。

 メンバーは、綾乃、すず、杏奈、恵斗、琉生。

 五人。

『琉生:今日部活?』

『すず:私は帰った』

『綾乃:私まだ美術室』

『恵斗:俺は図書室』

『杏奈:恵斗先輩勉強してる?』

『恵斗:してる』

『杏奈:ほんと?』

『恵斗:してるって』

 綾乃は画面を見ながら笑う。

「始まった」

「何が?」

「いつもの」

 そこへ琉生からメッセージが来た。

『琉生:俺もう眠い』

『すず:早』

『琉生:寝る』

『綾乃:おやすみ』

『琉生:おやすみ』

 それから数十秒。

『琉生:……』

『すず:寝た?』

『綾乃:たぶん』

『恵斗:寝たな』

『杏奈:早すぎない?』

 綾乃は吹き出した。

「中川先輩、自由だなあ」

「いつもじゃん」

 すずも笑う。

 そして綾乃は、ふと思い出した。

「そういえば、広沢って今日来てた?」

「知らない」

「またどっか逃げたんじゃない?」

「重いもの運ぶ日だけ消えるからな」

「本人いないのに話題になるの、面白いよね」

「本人、LINEできないから知らないけどな」

「そうだった」

 二人で笑う。

 広沢はグループトークには入っていない。

 そもそもLINEをしていない。

 部活の連絡も直接伝えなければならない。

 なのに。

 なぜか毎日のように話題になる。

 そして今日も。

『すず:そういえば広沢、今日どこいた?』

『恵斗:知らん』

『綾乃:また逃げた?』

『杏奈:何から?』

『すず:仕事』

『杏奈:あー……』

『恵斗:あいつはそういう奴』

 本人のいないところで、話はどんどん進んでいく。

 綾乃は笑った。


 こうして。

 いつもの夜が始まる。

 杏奈は恵斗のことを気にしている。

 恵斗は杏奈の気持ちを気にしている。

 琉生は眠い。

 すずはそれを面白がっている。

 広沢は本人不在でネタにされている。

 そして綾乃は。

 その全部を、少し離れたところから見ている。

 ――つもりだった。


*

 しかし。

 この日を境に、綾乃の立場は少しずつおかしくなっていく。

 杏奈からは、

「恵斗先輩って、今どう思ってるのかな?」

 と聞かれ。

 恵斗からは、

「水上って、何考えてる?」

 と聞かれる。

 片方から聞いた話を、もう片方には言えない。

 もう片方から聞いた話も、片方には言えない。

 なのに、どちらも綾乃には普通に相談してくる。

 しかも。

 杏奈は、恵斗が綾乃に相談していることを知らない。

 恵斗も、杏奈が綾乃に相談していることを知らない。

 つまり。

 綾乃だけが、二人の間に挟まっている。

「……なんで私なんだろう」

 綾乃は、まだその程度にしか思っていなかった。


 自分が恋愛に詳しいとも思っていない。

 ただ、人の話を聞くのが嫌いじゃない。

 それに。

 恋バナは好きだ。

 ものすごく好きだ。

 他人の恋愛なら、いくらでも聞いていられる。

 誰が誰を好き。

 誰と誰が付き合っている。

 あの二人、絶対両思い。

 あの人は脈なし。

 あの子はまだ未練がある。

 そういう話なら、綾乃は驚くほど鋭い。

 けれど。

 自分自身が、その恋愛模様の中に入る可能性なんて。

 考えたこともなかった。

 そして、もう一つ。

 この時点では、綾乃は知らない。

 海藤恵斗の恋愛相談を聞いているうちに。

 その「相談相手」という立場そのものが、少しずつ変わっていくことを。


 恵斗が好きなのは、森本環。

 同じ美術部で、同じクラス。

 恵斗が綾乃にだけ話した、片思いの相手。

 だから綾乃は、何の疑いもなく思っていた。

 ――先輩の好きな人は、森本先輩。

 ――私はただの相談相手。

 その認識が。

 あとになって、少しずつ。

 少しずつだけ、狂っていく。


  その始まりが、この日だった。

 牧綾乃はまだ知らない。

 自分が思っている以上に。

 この恋愛模様の、中心に近いところにいることを。


 そして――。

 この先、毎晩のグループトークが、平和で終わる日などほとんどないことも。

 今日も、たぶん。

 平和じゃない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。