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今日も、たぶん平和じゃない  作者: RieL


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第十七話 いつもの場所で

 放課後。

 美術室には、いつもより多くの画材や段ボールが並んでいた。

 文化祭まで、まだ少し時間がある。

 けれど。

 展示の準備は、思っていたより早く始まっていた。

「これ、どこ置けばいい?」

 琉生が段ボールを抱えたまま聞く。

「そっち」

 すずが答える。

「どっち?」

「そっち」

「適当すぎない?」

「適切」

「同じ意味じゃない」

「中川先輩、うるさい」

 綾乃が笑う。

「牧まで言う?」

「だって、先輩さっきからずっと聞いてるじゃないですか」

「確認してるだけ」

「三回目です」

「慎重なんだよ」

「それなら最初からラベル貼ればいいのに」

「……」

 琉生が段ボールを見る。

「それは思った」

「ほら」

 すずが勝ち誇ったように言う。

「次から貼って」

「先輩」

「何?」

「反省してください」

「します」

「絶対してない」

 美術室に笑い声が広がった。

 そのとき。

 先生が入口から顔を出した。

「みんな、ちょっといい?」

「はい」

「三年生にも手伝ってもらうことになったから」

「三年生?」

 綾乃が聞き返す。

「卒業制作で使う材料と一緒に、展示用の板を運んでもらうの」

「分かりました」

「もうすぐ来ると思うから、置く場所だけ空けておいて」

「はーい」

 先生が去っていく。

 綾乃は、琉生とすずを見る。

「誰だろ」

「知らない」

 すずが答える。

「先輩?」

「三年生って言ったでしょ」

「だから、誰だろうって」

「来れば分かる」

「その通り」

 琉生が頷く。

「でも」

 綾乃は少し考えた。

「美術部の三年生なら、海藤先輩とか?」

「ありそう」

 すずが言う。

 綾乃は、何気なく美術室の入口を見る。

 昨日のことを思い出した。

 杏奈。

 恵斗。

 そして。

 自分まで巻き込まれた、あのやり取り。

 今日はまだ、恵斗とは話していない。

「……」

 別に、気まずいわけではない。

 そう思う。

 けれど。

 もし本当に恵斗が来たら。

 いつも通りに話せるのだろうか。

 *

 しばらくして。

 廊下から、何かを運ぶ音が聞こえてきた。

「重いな、これ」

「落とすなよ」

 聞き覚えのある声。

 次の瞬間。

 美術室の扉が開いた。

「お疲れ」

「あ」

 綾乃が顔を上げる。

「海藤先輩」

 恵斗だった。

 その後ろには、同じ三年生の男子が二人いる。

 三人で、大きな展示用の板を抱えていた。

「これ、どこ置けばいい?」

 恵斗が聞く。

「あ、えっと」

 綾乃が少しだけ迷う。

「そちらです」

「そっち?」

「はい」

「分かった」

 恵斗たちは、壁際へ板を運ぶ。

「ここ?」

「もう少し右です」

「右?」

「先輩から見て右です」

「それ先に言って」

「すみません」

「まあいいけど」

 恵斗が笑う。

 綾乃も、思わず笑った。

 その瞬間。

 昨日まで少しだけ残っていた緊張が、ほんの少し薄くなった気がした。

 *

 板を運び終えたあと。

「先生、これでいいですか?」

 恵斗が入口のほうへ声をかける。

「うん。ありがとう」

「まだ何かあります?」

「あと、その板に下地を塗ってくれる?」

「分かりました」

 恵斗は板を見る。

「……まだ帰れないらしい」

「先輩、三年生なのに大変ですね」

 綾乃が言う。

「先生に捕まった」

「お気の毒に」

「他人事だな」

「一年生なので」

「関係ないだろ」

 恵斗が笑う。

 綾乃も笑った。

 その様子を見ていた琉生が、刷毛を手にしたまま近づいてくる。

「海藤先輩」

「ん?」

「これ、塗ります?」

「そうらしい」

「じゃあ俺もやります」

「助かる」

「中川先輩」、こっちも

 すずが別の机から呼ぶ。

「何?」

「これ運んで」

「何で?」

「男子だから」

「雑な理由」

「いいから」

「はいはい」

 琉生が段ボールを持ち上げる。

 恵斗は刷毛を手に取り、展示用の板の前に座った。

「綾乃」

「はい?」

「これ、どのくらい塗ればいい?」

「え?」

「白で全部?」

「あ、はい」

「適当だな」

「白って言いましたよ」

「そこまで説明する?」

「すみません」

「いや、別に」

「先輩もそれ言うんですね」

「何が?」

「『別に』」

 綾乃が笑う。

 恵斗は少しだけ考えた。

「便利だから」

「すずと一緒ですね」

「何の話?」

 すずが振り返る。

「先輩も『別に』が便利って言ってました」

「でしょ?」

「何で仲間扱いするの」

 恵斗が笑う。

 その会話に、また笑い声が重なった。

 *

 作業はしばらく続いた。

 綾乃は展示用の紙を切っていた。

 その隣では、恵斗が板に下地を塗っている。

「綾乃」

「はい?」

「これ、曲がってない?」

 恵斗が紙を指差す。

「どれですか?」

「ここ」

 綾乃が覗き込む。

 二人の距離が少し近くなる。

「……あ」

「曲がってる?」

「少しだけ」

「やっぱり?」

「先輩が持ってる方を、ちょっと右です」

「また右?」

「今度は先輩から見て右です」

「最初から分かってる」

「よかったです」

 綾乃が笑う。

 恵斗も笑った。

 紙を貼り直す。

「どうですか?」

「うん。いいんじゃない?」

「本当ですか?」

「多分」

「信用できない」

「ひどいな」

「先輩がさっきから適当だからです」

「適当じゃない」

「じゃあ何ですか?」

「感覚」

「私と同じじゃないですか」

「……そうかも」

 二人で笑う。

 昨日。

 杏奈の前で、恵斗は怒っていた。

 自分を巻き込むなと。

 あんなにはっきり言っていた。

 けれど。

 今はもう、普通に話している。

 そのことが、綾乃には少し不思議だった。

「先輩」

「ん?」

「普通に話せますね」

 恵斗の手が止まった。

「何が?」

「昨日のあとだったから」

 少しだけ、空気が静かになる。

 綾乃は言ってから、余計なことを言ったかもしれないと思った。

「……あ、すみません」

「いや」

 恵斗は刷毛を動かしながら言う。

「昨日のことは、もういいだろ」

「はい」

「俺も気にしてない」

「本当ですか?」

「……多分」

「先輩の『多分』は信用できません」

「じゃあ、気にしてない」

「最初からそう言ってください」

「細かいな」

「先輩が適当なんです」

 また。

 二人は笑った。

 それで終わった。

 昨日のことは、もうそれ以上話さなかった。

 *

「お疲れ」

 入口から声がした。

 振り返る。

「あ」

 遥翔だった。

「佐々木先輩」

「遥翔」

 恵斗が顔を上げる。

「まだいたんだ」

「先生に捕まった」

「なるほど」

 遥翔は美術室の中を見る。

 綾乃。

 すず。

 琉生。

 そして恵斗。

 みんな普通に作業をしている。

「何?」

 恵斗が聞く。

「いや」

 遥翔は少し笑った。

「もう大丈夫そうだな」

「何が?」

「別に」

「お前もそれかよ」

 恵斗が呆れたように言う。

 綾乃が笑う。

「今日、みんなそれ言ってます」

「流行ってるんじゃない?」

 遥翔が言う。

「嫌な流行ですね」

 琉生が口を挟んだ。

「中川までいたの?」

「最初からいますよ」

「ごめん」

「ひどい」

 琉生が笑う。

 遥翔は恵斗を見る。

 昨日。

 あれだけ苛立っていた。

 綾乃のことまで巻き込まれたのだから、仕方ないと思った。

 けれど。

 今日はもう、綾乃と普通に話している。

 いつものように。

 それが、少しだけ不思議だった。

 他の後輩なら。

 恵斗は、こんなにすぐに何事もなかったように戻るだろうか。

「……」

 遥翔は、その考えを口にしなかった。

「帰る?」

「もう少し」

「そっか」

「何か用あった?」

「別に」

「だから何なんだよ」

 恵斗が笑う。

 遥翔も笑った。

「終わったら連絡して」

「分かった」

「じゃあ、また」

「おう」

 遥翔は手を上げて、美術室を出ていった。

 *

 しばらくして。

 今日の作業が終わった。

「疲れた」

 琉生が机に手をつく。

「まだ初日ですよ」

 すずが言う。

「先が長い」

「文化祭終わったら解放されますよ」

「それまで長い」

「中川先輩、さっきからそればっかり」

「疲れたから」

「まだそんなに働いてない」

「北川、厳しい」

 琉生が笑う。

「綾乃」

 すずが鞄を持つ。

「帰る?」

「うん」

「先に昇降口行ってるね」

「分かった」

 すずと琉生が、美術室を出ていく。

 綾乃は机の上を片づけ始めた。

 恵斗も、刷毛を洗っている。

「先輩」

「ん?」

「今日、ありがとうございました」

「何が?」

「板」

「手伝っただけ」

「三年生なのに」

「先生に頼まれたから」

「でも」

 綾乃は少し笑う。

「助かりました」

「……そっか」

 恵斗も小さく笑った。

「ならよかった」

 *

 帰り際。

 綾乃は教室に忘れたプリントを取りに戻った。

「あ」

 教室の前で、優太と鉢合わせる。

「牧」

「松寺」

「まだいたんだ」

「文化祭準備」

「大変そう」

「これからもっと大変」

「へえ」

 優太が教室の中を見る。

「文化祭、いつだっけ?」

「来月」

「まだ先じゃん」

「準備するものが多いの」

「そういうもん?」

「そういうもの」

 綾乃が笑う。

 優太は少し考えた。

「じゃあ、終わったら遊べばいいじゃん」

「え?」

「文化祭」

「何で?」

「大変なんだろ」

「うん」

「終わったら休みたいだろ」

「まあ」

「じゃあ遊ぶ」

 綾乃は少し笑った。

「誰と?」

「友達と」

「急にどうしたの」

「別に」

「優太まで」

「何が」

「『別に』が流行ってる」

「何それ」

 優太が笑う。

「まあ、まだ先の話だけど」

「そうだね」

「牧もたまには息抜きしろよ」

「うん」

「約束じゃないからな」

「何それ」

「何でもない」

「今日どうしたの?」

 綾乃が笑う。

 優太も笑った。

 けれど。

 それ以上、その話を続けなかった。

 *

 その夜。

 綾乃は自分の部屋で、文化祭の資料を眺めていた。

 今日一日。

 いろいろなことがあった。

 昨日のこと。

 美術室での作業。

 恵斗との会話。

 そして。

 優太との、何でもない帰り際の会話。

「……」

 文化祭が終わったら。

 遊ぶ。

 まだ、誰と。

 どこへ。

 何をするのか。

 何も決まっていない。

 ただ。

 そんな未来の話をすることが、少しだけ楽しかった。

 そして。

 今日、美術室で恵斗と普通に話せたことも。

 なぜか。

 少しだけ嬉しかった。

 昨日のことがあったから。

 気まずくなるかもしれないと思っていた。

 けれど。

 そんな心配は必要なかった。

「……いつも通り、か」

 綾乃は小さく呟く。

 いつも通り。

 恵斗と話して。

 すずと笑って。

 琉生が適当なことを言って。

 優太とくだらない話をする。

 それが。

 綾乃にとっては、当たり前の日常だった。

 まだ。

 この中の誰かとの時間が。

 これから少しずつ、特別なものに変わっていくことを。

 綾乃は知らなかった。



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