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今日も、たぶん平和じゃない  作者: RieL


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第十話 知らないふりをする難しさ

 昼休み。

 綾乃は教室で弁当を食べていた。

 窓の外はよく晴れている。

「牧」

 前の席から声がした。

 顔を上げると、松寺優太が自分の弁当を持って立っていた。

「何?」

「ここ、借りていい?」

 優太が綾乃の前の席を指差す。

「いいよ」

「ありがと」

 優太が椅子に座る。

「今日、購買行かなかったんだ」

「うん。今日は弁当」

「珍しい」

「昨日パンだったから」

「ああ」

 綾乃も笑う。

「松寺くんは?」

「俺も弁当」

「陸上部なのに?」

「それ関係ある?」

「ないね」

「ないだろ」

 二人で笑った。

 特別な話をするわけでもない。

 ただ、昼休みにこうして話すことも、最近では自然になっていた。

「そういえば」

 優太が箸を動かしながら言う。

「文化祭って、結構早くから準備するんだな」

「美術部はね」

「ポスターとか?」

「うん」

「大変そう」

「まあ、楽しいよ」

「牧、そういうの好きそう」

「そう?」

「うん」

「松寺くん、私のこと何だと思ってるの?」

「真面目」

「それだけ?」

「あと、細かい」

「褒めてる?」

「たぶん」

「たぶんなんだ」

 綾乃が笑う。

 優太も笑った。

「じゃあ、午後も頑張って」

「松寺くんも」

「うん」

 昼休みは、そのまま終わった。

 *

 放課後。

 美術室では、綾乃とすずが文化祭用のポスターを仕上げていた。

「綾乃、ここどう?」

 すずが紙を見せる。

「うん。いいと思う」

「昨日決めた通り?」

「うん」

「じゃあ、このまま清書するね」

「お願い」

 すずが筆を動かす。

 綾乃はその横で、細かい部分を確認していた。

「ここ、少しだけ線が薄い」

「ほんと?」

「うん」

「じゃあ、あとで直す」

「そうしよう」

 昨日まで迷っていた部分も、少しずつ形になっていく。

「結構完成してきたね」

「うん」

 すずがポスターを眺める。

「思ったよりちゃんとした」

「最初、どうなるかと思ったけどね」

「失礼」

「だってすず、最初すごかったじゃん」

「そう?」

「うん」

「綾乃もでしょ」

「私は普通」

「自分だけ普通にするな」

 二人で笑った。

 そのとき。

 美術室の扉が開いた。

「お疲れ」

「あ、先輩」

 恵斗だった。

「まだやってたんだ」

「はい。仕上げです」

 すずが答える。

「昨日見てもらったところ、直してます」

「そっか」

 恵斗がポスターを見る。

「結構進んだな」

「もう少しです」

「頑張って」

「はい」

 恵斗はそれ以上何も言わず、入口の近くに立った。

「先輩、今日は何しに来たんですか?」

 綾乃が聞く。

「ちょっと休憩」

「またですか?」

「またって何だよ」

「最近、よく来るので」

「そんなに?」

「来てますよ」

 すずが笑った。

「でも、先輩が来るとちょうどいいです」

「何が?」

「ちょっと休憩する人がいると、こっちも息抜きになる」

「それ俺必要?」

「必要です」

「そういうもん?」

「そういうもんです」

 恵斗が苦笑する。

 綾乃も笑った。

 そのとき。

「お疲れさま」

 美術室の扉が開いた。

「森本先輩」

 環だった。

「お疲れ」

 恵斗が顔を上げる。

「海藤、来てたんだ」

「うん」

 環は室内を見回した。

「ポスター、もう完成しそうだね」

「はい」

 すずが答える。

「昨日、海藤先輩に見てもらったところも直しました」

「そうなんだ」

 環がポスターを見る。

「きれいにまとまってる」

「本当ですか?」

「うん」

 すずが嬉しそうに笑った。

「よかった」

 綾乃もポスターを見る。

 昨日まで迷っていた部分が、今はすっかり馴染んでいる。

「あと少しですね」

「そうだね」

 環が頷いた。

「ここだけ、少しだけ線を整えたら完成じゃない?」

「じゃあ、そこ直します」

 すずが筆を持つ。

「森本先輩、ここで合ってます?」

「うん。もう少しだけ細く」

「これくらい?」

「そう」

「ありがとうございます」

 すずは黙々と作業を続ける。

 恵斗もその様子を見ていた。

「昨日よりだいぶいいな」

「ですよね」

 すずが満足そうに笑う。

「先輩のおかげです」

「俺は少し言っただけだろ」

「それでもです」

 環が小さく笑った。

「海藤、そういうところあるよね」

「何が?」

「頼まれると、結局ちゃんとやってくれる」

「そうかな」

「そうだよ」

 恵斗は少しだけ困ったように笑った。

 綾乃はその二人のやり取りを見ていた。

 環は、恵斗のことをよく知っている。

 同じクラスで。

 同じ部活で。

 こうして自然に話している。

 やっぱり。

 二人は距離が近い。

 そう思った。

 けれど。

 嫌な感じはしなかった。

 むしろ。

 恵斗が環と自然に話していることが、少し嬉しかった。

 その理由は、自分でもよく分からなかった。

 *

 しばらくして、ポスターが完成した。

「できた」

 すずが筆を置く。

「お疲れさま」

 環が言う。

「ありがとうございます」

 すずが満足そうにポスターを見る。

「これなら先生にも見せられる」

「うん」

 綾乃も頷いた。

「昨日よりずっといいね」

「でしょ?」

 すずが笑う。

「先輩たち、ありがとうございました」

「俺はそんなに何もしてないけど」

「十分です」

 すずが即答する。

「そう?」

「はい」

 環も笑った。

「よかったね」

「はい」

 恵斗は時計を見る。

「俺、そろそろ戻る」

「図書室ですか?」

「うん」

「受験生ですもんね」

 綾乃が言う。

「そう」

「頑張ってください」

「ありがとう」

 恵斗が鞄を持つ。

 そして。

「森本は?」

「私も少ししたら戻る」

「そっか」

「うん」

 短いやり取りだった。

 けれど。

 恵斗が少し嬉しそうに見えた。

 綾乃は何も言わなかった。

 ただ、その表情を見ていた。

 *

 恵斗が美術室を出ていく。

 扉が閉まった。

 少しして。

 環も資料を片づけ始める。

「じゃあ、私も行くね」

「はい」

 環が扉へ向かう。

 そのとき。

「森本先輩」

「ん?」

「これ、職員室に持っていくんですよね?」

「うん」

「私、途中まで持ちます」

「いいの?」

「はい」

「じゃあお願いしようかな」

 綾乃が資料を受け取る。

 二人で廊下へ出る。

「ありがとう、牧さん」

「いえ」

「ポスター、きれいにできたね」

「みんなでやったので」

「うん」

 環が少し笑った。

「文化祭、楽しみだね」

「はい」

 少しだけ話しながら、二人は廊下を歩く。

 綾乃は隣の環を見る。

 やっぱり。

 恵斗が好きになるのも分かる――

 そう思いかけて。

 綾乃は慌ててその考えを止めた。

 そんなことを考える必要はない。

 ただの先輩。

 自分にとっては、それだけ。

 *

 その日の帰り。

 綾乃とすずは昇降口へ向かっていた。

「今日、森本先輩と恵斗先輩、一緒にポスター見てたね」

「うん」

「綾乃、なんか嬉しそうだった」

「そう?」

「うん」

 綾乃は少し考えた。

「……そう見えた?」

「見えた」

「そっか」

 すずはそれ以上聞かなかった。

 綾乃も、自分がなぜそんな顔をしていたのか、よく分からなかった。

 ただ。

 恵斗が笑っていた。

 環も笑っていた。

 それを見て、少しだけ嬉しかった。

 それだけだった。

 *

 その夜。

 綾乃は自分の部屋で宿題をしていた。

 スマホが震える。

『恵斗:今日、ありがとう』

 綾乃は画面を見る。

『綾乃:私は何もしてないですよ』

『恵斗:ポスターのこと』

『綾乃:すずに言ってください』

『恵斗:分かってる』

 綾乃は少し笑った。

『綾乃:森本先輩とも話せてよかったですね』

 送ってから、少しして。

『恵斗:うん』

 短い返信。

 綾乃は小さく笑った。

『綾乃:よかったです』

 しばらくして。

『恵斗:綾乃に相談すると、なんか安心する』

 その言葉を見て、綾乃は少しだけ驚いた。

『綾乃:そうですか?』

『恵斗:うん』

『綾乃:じゃあ、いつでもどうぞ』

『恵斗:頼りにしてる』

 綾乃はスマホを見つめた。

 嬉しかった。

 先輩に頼ってもらえること。

 自分が先輩の役に立てること。

 だから。

 この気持ちは、ただ「相談されるのが嬉しい」というだけなのだと思った。

 まだ。

 綾乃は知らない。

 恵斗にとって自分が、少しずつ特別な存在になっていることを。



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