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探偵は死体を推理しない、爆弾の場所を当てる  作者: 早野 茂


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第36話「招かれた者たち」

深夜の冷たい隙間風が、広大なコンクリートの空洞を吹き抜けていく。

相馬環の持つフラッシュライトの鋭い光が暗闇を切り裂くと、再開発のために放置された巨大な鉄骨や、瓦礫の山が次々と浮かび上がった。

かつての華やかな装飾の痕跡は微塵も残っておらず、剥き出しの配管やコンクリートのひび割れが、五年という長い時間の経過を残酷なまでに示している。

床には泥と油の混じった水たまりが点在し、相馬のライトが当たるたびに濁った光を鈍く反射した。

五年前、数万人の参加者が謎解きのゴールとして熱狂の渦の中で歓喜の声を上げるはずだった最終会場跡地。

今はその熱気も欠片もなく、冷え切った巨大な廃墟として都市の地下に広がっている。

その中心には、天井を支える太い主柱が一本、まるで巨大な墓標のようにそびえ立っていた。

相馬と黒瀬透がその柱の根元へ歩み寄った瞬間、二人の足取りがぴたりと止まった。


そこにあったのは無骨に束ねられた大量のプラスチック爆薬だった。

緻密に這わされた赤と青の配線が柱を幾重にも締め付けている。

無機質な破壊の塊が圧倒的な暴力の象徴として静かに鎮座していた。

「プラスチック爆薬だ……。この広大な空間を人質に取るには、十分すぎる量だ」

主柱を見上げる相馬の硬い声が、コンクリートの壁に低く反響する。

彼女の額に冷たい汗が滲む。

爆薬の規模と仕掛けの複雑さを見れば、これが単なる脅しではないことは火を見るよりも明らかだった。

だが黒瀬の氷のような視線は、爆薬そのものよりもそれに付随するように設置された不自然な機材へ向けられていた。

爆弾の周囲には、高解像度の小型カメラが複数台それぞれ違う角度で設置されている。

暗闇の中で、レンズの横にある赤いランプがゆっくりと規則的に明滅していた。

配信装置は、市販の機材をただ組み合わせたものではなかった。

古い施設の死んだ回線、撤去されずに残った監視系統、再開発工事の仮設電源。

それらが、長い時間をかけてこの場所を調べ尽くした者にしか作れない精度で、一つの巨大な採点装置へと繋ぎ直されていた。

「ただの起爆装置ではないな」

黒瀬が主柱のそばに立ち尽くしたまま静かに呟く。

「あれは映像と音声を外部へ送信するための、遠隔起動式の配信装置だ」

相馬が鋭く目を細める。

「配信だと?」

「出題者は、ここで交わされる声を外へ流す気だ」

黒瀬はカメラの赤いランプを見たまま言った。

「五年前、誰が何を隠したのか。社会の前で答えさせるために」

黒瀬は薄い唇をきつく結んだ。

「五年前の処理に関わった者たちにとって、それは彼らが守ってきた地位と秩序を一瞬で崩しかねないものだった。……ここはただの解答の場ではない。逃げ場のない『公開採点会場』として設計されている」


その時二人が入ってきた背後の重い防火扉が、鈍い摩擦音を立てて再び開かれた。

荒れたコンクリートの床を叩く、複数の不規則な靴音が響いてくる。

暗闇の中から姿を現したのは、五年前のイベントの総合プロデューサーであった鷹城梓と、五年前の警察側の処理に近い位置にいた荒巻誠一管理官だった。

二人は防火扉から数歩入った場所で、中央の主柱に巻き付けられた爆弾を視界に捉え、弾かれたように足を止めた。

「どういうことなの、これは……!」

鷹城のヒールの音が、苛立ちと恐怖で不規則に乱れている。

かつてメディアの前で綺麗な言葉を淀みなく紡いでいた彼女の顔にも、隠しきれない動揺が浮かんでいた。

丁寧な化粧の下の青ざめた肌が、相馬のライトの光に晒されて無防備に引きつっている。

「相馬、お前なぜここにいる。特捜本部の待機命令を無視したな」

荒巻は周囲を鋭く睨みつけ、中央に立つ相馬の姿を認めて顔を歪めた。

だが彼が発した威圧的な声の底にも、明らかな焦燥と動揺が混じっている。

彼は部下を一人も連れず、単独でここへ来ていた。

相馬は表情を変えず、顎で柱の根元にある爆弾を示した。

「出題者に指定されたから来たまでのこと。あんたたちと同じだ」

彼らは警察という組織の力も、事務所の権威も使うことができなかった。

指定された場所へ来なかった場合、何が公表されるのか。

何が爆発するのか。

その可能性だけが、彼らをこの暗闇まで歩かせていたのだ。

権力を手放し、生身の人間として脅威の前に立たされている。


「遅れて申し訳ありません」

突如、入り口付近で立ち尽くす荒巻と鷹城の背後から、ひどく静かで平坦な声が落ちた。

相馬がハッと息を呑んでライトを向ける。

開いたままの防火扉の向こうの暗闇から、久我真尋がゆっくりと姿を現した。

彼は二人の脇をすり抜け、彼らから数歩離れた壁際の暗がりへと静かに移動した。

真尋は左腕を三角巾で吊っていた。

本人は、ここへ向かう途中で転倒し、廃材で腕を切ったのだと短く説明した。

「出題者は、僕にも答えろと言っているんでしょう」

そう言う真尋の声には、痛みを訴える響きも、恐怖を誇張する色もなかった。

彼は色褪せたセーター姿のまま、表情を消して暗がりに立っている。

冷え切った空気が肺を刺す中、真尋の周囲だけが、まるで別の時間が流れているように静謐だった。


相馬のライトが、彼の吊られた腕をわずかに照らし出した。包帯の下に、添え木にしては少し硬すぎる角張った膨らみがあった。だが相馬は、その時は応急処置の固定具だと判断した。


「鉄扉の手前で待機しろと言ったはずだ」

相馬の声には、責める響きよりも先に、わずかな警戒が混じっていた。


真尋は左腕を吊ったまま、静かに頭を下げる。

「申し訳ありません。中へ入っていく関係者の姿が見えました。……ここまで来て、外で待つことはできませんでした」


理屈は通っていた。

だが相馬は、彼が現れた防火扉の向こうへ、一瞬だけ視線を走らせた。

この旧区画の動線を、真尋はあまりにも迷わず進んできたように見えた。


「誰だ、この男は」

荒巻が怪訝な顔で眉をひそめる。

突然現れた見知らぬ青年の存在に、彼の警戒心がさらに高まっていた。

「五年前、あんたたちが『不幸な迷子』として処理した少女の遺族だ」

相馬の冷ややかな返答に、荒巻と鷹城は一瞬だけ言葉を失い気まずそうに視線を逸らした。

彼らは出題者が被害者遺族までこの場に招いたのだと解釈した。

この空間にいるほとんどの者が、真尋を「招かれた遺族」として見ていた。

出題者像はまだ、姿を見せない匿名の存在として彼らの頭上にあった。


だが中央の主柱の前に立つ黒瀬の視線だけは違っていた。

黒瀬は暗闇の中を歩いてきた真尋の足取りを、冷徹な目で追っていた。

瓦礫が散乱し、まともな照明すらないこの広大な廃墟の中で、真尋の歩みには一切の躊躇がなかった。

一度も躓かず、戸惑うこともなく、初めて足を踏み入れた者の歩き方には到底見えなかった。

真尋の視線は、憎しみや恐怖といった感情の揺れを一切見せない。

まるで最初から決められていた配置につくかのように、正確な距離を保って暗がりに佇んでいた。

遺族の悲痛な思いとしては自然な行動だ。

荒巻も、鷹城も、そこに疑問は抱いていない。

しかしこの異常な空間における真尋の淀みのない静けさだけが、黒瀬の中に小さな棘として残った。

感情の起伏を一切見せず、壁際の暗がりからただ冷徹に事象を俯瞰しているかのようなその姿勢。

悲劇の遺族という輪郭の背後に、まだ見えていない何かがある。

黒瀬の中で、その違和感だけが静かに重みを増していた。


『――関係者の出頭を確認した』

突如、空間の四隅に設置されていたスピーカーから、耳障りなノイズと共に無機質な合成音声が鳴り響いた。

それは五年前に華やかなアナウンスを流していたのと同じスピーカーから発せられているようだったが、今はただの冷酷な裁判官の声としてコンクリートの空間を震わせていた。

全員の視線が上空へ弾かれる。

同時に中央の柱に据え付けられた配信装置のカメラが、一斉に低い駆動音を立てて彼らへレンズを向けた。

赤いランプの明滅が速くなる。

ピィ、という乾いた電子音が響き、爆弾に接続されたタイマーが青白い光を放ってカウントダウンを開始する。

「なっ……!」

荒巻が呻き、反射的に背後の防火扉へ向かおうとした。

だが彼が振り返った瞬間、ガシャンという重い電子ロックの音が鳴り響き、唯一の出口であった扉は、重く閉ざされた。

「動くな」

相馬が懐から拳銃を抜き、銃口を床へ向けたまま、防火扉の前に立ちはだかる。

「下手に逃げようとすれば、出題者を刺激するだけだ。起爆の主導権は向こうにある。……今は、指示に従うしかない」

鷹城が顔を覆い、荒巻が忌々しげに舌打ちをする。

彼らが五年前に頼った肩書きも、組織の手続きも、この場所では何の効力も持たなかった。

彼らは今、逃げ場のない檻の中に閉じ込められたただの解答者でしかない。


『これより、五年前の夜の採点を開始する』

スピーカーからの冷徹な宣言が、コンクリートの壁に反響し、空間を支配していった。

黒瀬は盤面の中央に立ち、周囲の人間たちの配置を静かに見渡した。

出口を塞がれ、入り口付近で怯える権力者たち。

その前に立ち、出口へ向かおうとする彼らの退路を塞ぐ刑事。

そして、少し離れた壁際の暗がりで、感情を殺して立ち尽くす遺族。

すべての駒が、見えない出題者の盤面の上に置かれたように見えた。

五年前、途中で途切れた問い。

黒瀬がその先を見ようとしなかった場所。

そこに、一人の参加者が暗闇へ消えた「正解の外側」があった。

その空白を埋めるための答え合わせが、今、始まろうとしていた。

黒瀬は小さく息を吸い込み、姿なき出題者へ向けて、冷たい覚悟を秘めた瞳を真っ直ぐに向けた。

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