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 聖剣。それは勇者だけが扱うことを許された、(いにしえ)から残る伝説の武器。

 雲まで届く山を穿ち、海を二つに分け、厄災を屠るとされた無二たる世界の至宝。

 その存在を知るものは数多いれど、お目に掛かる機会など一生に一度あれば幸運であろう。そのはずだった。


「……え、うそ。抜けたの?」

「ぬ、抜いてない! 触ったらいきなり光って、それで……!」


 ライも予想外だったのか、聖剣とリルアを怪訝そうな瞳で眺めながら困惑を見せるのみ。

 リルアの手に握られた一本の剣。つい先ほどまで地面に刺さっていた、そのはずだったのもの。

 確かな重量感のはずなのに、決して負担にはならない心地好さ。そして何より、強固な楔で繋がれたかのような感覚がリルアは感じてしまう。

 まるで何年も共にあったと錯覚しそうなくらいの馴染み様。腰にある愛剣含め、これほどまでにしっくりくる物をリルアは持ったことはなかった。


「ちょっと貸せ。……まじかこれ。やっぱり切れてやがる」

「繋がり……?」

「だあくそっ! 悪い、ちょっと触るぞ!」


 なにかとんでもなくまずいことをしてしまったのではないかと。

 取り繕うことすら出来ずに焦るリルア。ライはそんな彼女の間近へ迫り、唯一露出している部分──頬に手を当てて目を閉じる。


「…………」

「……あ、あの……」


 それにしても近い、近すぎる。無性に気恥ずかしさがこみ上げてくる距離だ。

 リルアだって冒険者ではあるがそれ以前に年端もいかない少女。元勇者だけあって無駄に良い顔だからついどきどきしてしまう。

 一秒、三秒、五秒。

 何秒経過したかすら曖昧になる合間。リルアがちょっと気まずさを覚えてきた頃、ライはため息交じりに頬から手を放す。


「あーまじか、まじでそうなってんのか。確かにそれなら納得いくが、それにしてもまじか……」

「え、ええ? 一体何に落ち込んでるのさ?」

「……所有者が変わってんだよ。喜べリルア。お前、どうやら勇者になったらしいぞ?」

「はっ? ……はあァ!?」


 言葉を呑み込むのに数秒。そしてようやく追いついたリルアの絶叫は山頂に響き渡る。

 

「勇者って、そんな馬鹿な! いくらなんでもそんなわけないじゃん!!」

「自覚はなし、ってことは覚醒はまだ。……いや、聖剣の所有権だけ移るなんて有り得るもんなのか……?」

「もーライ! こっちにも説明してよ、説明!」


 口に手を当て、自分の世界に籠もろうとしたライ。

 何も分からぬリルアは少しでも自分も知りたいと、そんな彼の肩を揺らして呼びかける。

 

「ああ悪い。ちょっと突然すぎて冷静じゃなかった」

「ほんとだよ。で、なに? 私が勇者になったってどういうこと?」

「……そのままの意味だ。聖剣(そいつ)の所有者が変わった。俺じゃなく、お前に。つまり今代の……次の厄災に立ち向かうべき勇者になったんだよ、リルアは」


 あくまで平静に、言葉を荒げることなく静かに告げるライ。

 だがリルアの頭はその言葉を意味を理解出来ない。……いや、この場合は納得出来ない、したくないと拒んでいるといった方が正しいか。


 勇者。それは自らが憧れる人物が持つ英雄の呼び名。

 リルアにとってのそれは国によってその称号を与えられた数人ではなく、あくまでただ一人のための敬称に他ならない。

 そんな存在に自分がなった。よりにもよって、その唯一の本人がそう断言してしまった。

 それはつまり憧れの人から、命の恩人から聖剣を奪ってしまったも同義。そんな恩を仇で返すようなことを、あろうことか自分がしてしまったのだ。


 理解と共に湧いてくる罪の意識。心に溜まる罪悪感と言う名の黒い泥。

 取り返しの付かないことをしてしまった。どうすれば、どうすれば聖剣を返すことが──。


「落ち着けリルア。こんなことで取り乱すな」

「で、でもわたし! そんなつもりじゃ……!」

「別にそう困るってわけじゃないから気にすんな。別に今も便利だから使ってはいたが、俺にとって聖剣(これ)はもう必要な物じゃない。なんせ勇者トゥールは既に役目を終えたんだからな」


 ライは少し寂しげに、けれど肩の荷が下りたかのようなすっきりした顔でリルアを励ます。

 

「それに困るのはお前の方だぜ? もしお前が本当に勇者なら、それはつまり運命が定まったってことに他ならない。お前の道行きには必ず向かい合うべき宿命が待ち受けている証明なんだからな」

「運命……宿命」

「おう。……ま、もしかしたら俺とは違って来る前に一生が終わっちまうかもしれないけどな!」


 ライ場の空気を解すようにからからと笑いながら、聖剣はリルアへと手渡される。

 ずしりと響く剣の重み。どうしようもなく手に馴染んでしまう。

 これが自分の物だとは未だに信じられない。繋がりなんてものを自覚できようと、自分が憧れの人と同じ勇者であるなどと、当分は飲み込めそうにない事実だった。

 

「ま、細かいことを考えても仕方ないな。ここじゃ鞘もないし、とりあえずは帰ってから考え──」


 ライが手を叩き、この場を纏めようとした。

 その時だった。リルアの五感、いやそれより深い底の底──魂が締め付けられるような感覚に陥ったのは。

 

 ライもまた何かを感じ取ったのだろう。ライは腰の木刀に手を、リルアは手に持つ聖剣を強く握りながら、すぐさま同じ方向へと体を向ける。


 虚ろの溝(ノール)。大陸エーデラークの外とされ、何一つ存在しない虚無の空洞。

 物言わぬ空白。何一つ生むことなく続く、何者すら育むことのない無限の黒。そのはずの場所。

 

 其れは光。聖剣が放つ白など遠い、血でも混ざったかのように赤みがかった紫の輝きだ。

 虚ろの溝から零れ出たその光は、まるで空を駆ける一条の星屑のように、青空に線を引いていく。 

 

 リルアの内で暴れる本能が警告を、恐怖を、絶望で胸と脳みそを揺さぶってくる。

 あれはこの地に、エーデラークに必要ない災厄であると。

 そして同時に理解してしまう。あれが、あれこそが、リルア(わたし)が生まれてきた意味なのだと。


 穴より零れた光は瞬く間にカルボ山を越え、そして遙か彼方の大地へ墜落していく。

 地面へぶつかったと同時に膨らみ、世界を覆わんと弾ける極光。

 リルアはあまりの光量に思わず目を塞いでしまう。そしてすぐさま開き直すと光は消え失せ、元通りの景色が広がるだけだった。


「な、何が……。あれはなに……?」

「わからん。だが確かにあそこから、虚ろの溝(ノール)から出てきた。それだけは確かだ」


 リルアの呟いた問いに、ライは先ほどまでの笑顔を一切見せず真剣に答える。

 

「まさか本当に……? やつが言ったことは真実だってのか……?」

「ライ?」

「……何でもない。なんなんだろうな、あれ」


 ライは一瞬考え込むような素振りをするがすぐに元に戻り、首を振って答えてくる。

 リルアにはわかる。今見えたライの反応は、何も知らない人間がするものではないと。

 けれどそれを追求することはない。解説できるほど詳しいわけではないのだと、そこに嘘はないのも何となく察しが付いてしまったから。


「……とりあえず帰ろうぜ。これ以上、ここにいたって仕方ないからな」

「……そうだね。お風呂入ってご飯食べたいし」

「おう。俺も冷えたし暖まりたいわ」


 思うことはあれど、一旦後回しだとライの提案に乗ることにしたリルア。

 いくら胸にざわつきを覚えたところで、それを推測するための材料が欠けているのだから答えは出ない。ならばこんなところで考え続けても意味はない。

 そんなことよりちょっと予想とは違ったけれど、勇者に会ってお礼を言うという長年の目標を達成したこと。今はそれを喜びながら、山を下って休息を取りたいところだ。


「あ、そういえば帰りは何か近道とかあったりする?」

「ない。行きと変わんねえから迷子になるなよ?」

「やっぱりー? あー残念」

 

 冷たい風が吹く中、二人は神殿を離れてゆっくりと帰路につく。

 帰り道への億劫さでため息を漏らすリルア。だがその反面、顔に浮かべる表情は実に柔らかいものだった。

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