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第七話 黄金の目覚め


 アカネは物陰に身を潜(ひそ)めたまま、息を殺していた。


(どうしよう、わたしに助けるなんて、できるわけがない)


 声も出ないし、足だって震えてる。


 逃げたい。


 でも、このまま見てるだけなのも嫌だ。


 男のひとりが女性へ、また一歩近づく。


(神様……)


 その時だった。


 鞄の中で、何かがかすかに触れ合う音がした。


 まるで、何かが目を覚ましたみたいに。


 アカネの肩がビクリと揺れる。


(えっ!?)


 反射的に、鞄を抱え込む。


 中にあるのは、あの黒いケースだ。


 内側で何かが、僅かにずれたような感触が伝わってくる。


 アカネは震える指で、そっと鞄の口に右手を差し入れた。


 見えないまま、布越しに黒いケースに触れる。


 閉じている……はずだった。


 なのに、指先が触れたそれは、わずかに口を開いていた。


(ヤダ……どうして!?)


 意味がわからない。


 仕舞った時、ちゃんと閉じたはずだ。


 なのに今は、何かを待つみたいに、ほんの少しだけ開いている。


 心臓の音が激しくドラムのように身体中に響く。


 手を引っ込めたほうがいい。


 こんなの、絶対に触らないほうが良いに決まってる。


 でも、その恐怖の奥で、別の感情がじわりと頭に浮かぶ。


(あれなら、この状況をどうにかできるかもしれない)


 その考えが浮かんだ瞬間、アカネはゾッとする。


 助けたいからではない。


 力があるかもしれないと思ってしまった。


 自分が、それを試したいと思ってしまった。


(違う、そんなつもりじゃ……)


 だが男たちの笑い声がまた聞こえた瞬間、アカネの指は吸い寄せられるようにケースの中へ滑っていた。


 冷たい感触。


 黄金のデリンジャーだった。


 触れた瞬間、ビクッと体が跳ねる。


 指先がそこへ吸いつくみたいだった。


(何これ、怖い、気持ち悪い)


 なのに、手の平には妙になじむ。


 むしろ握ったほうが少しだけ落ち着くような、そんなおかしな感覚があった。


 次の瞬間、鞄の中で不思議な事が起きる。


 小さな銃身がカチリと音を立て、黄金のデリンジャーが開いた。


 弾丸の小箱から、一発の黄金の弾が転がるようにして隙間から転げ落ちる。


 黄金の弾丸が、まるで意志を持っているかのようにデリンジャーの薬室(やくしつ)へ収まっていく。


 鞄の中で、小さく、カチンッと音がした。


 アカネの呼吸が止まる。


(今の……何……?)


 自分では何もしていない。


 見えてもいない。


 ただ握っただけだ。


 それなのに、鞄の中の空気が変わった気がした。


 何が起きたのか、アカネにはわからない。


 ただ手の中の黄金の重みが変わっているのがわかる。


 そんな確信だけが、不気味なくらいはっきりと胸へ落ちてくる。


(何かが収まった? ……まさか弾が!?)


 そう思ったと同時に、路地の空気そのものが、スゥッと冷えた。


 ゾワッと肌が粟立(あわだ)つ。


 アカネの立っている場所を中心にして、見えない圧のようなものが静かに広がった。


 空気そのものに質量が生まれたかのようだ。


 アカネ自身でさえ、その場に立っているだけで胸を圧迫(あっぱく)される。


 街灯(がいとう)がかすかに点滅し、足元の影が一瞬だけ濃く沈む。


 男たちの笑い声が止まる。


 さっきまで軽薄に笑っていた三人が、ピタリと動きを止めていた。


 何かに気づいたみたいに、ゆっくり周囲を見回す。


 男たちは女を囲んだまま、明らかに様子が変わっていた。


 目に見えて何かがあるわけじゃない。


 それでも、この場にいてはいけないと本能でわかってしまったみたいな、そんな怯え方だった。


「……何だよ」


 ひとりが、低く呟く。


 さっきまでの軽さが消えていた。


 下卑(げび)た余裕が、一瞬で剥がれ落ちていく。


 ひとりが肩越しを振り返り、もうひとりが何か言い返そうとして、声にならないまま喉を詰まらせる。


 アカネは、物陰で固まったまま息もできない。


 もうひとりが露骨に青ざめた顔をして、わずかに後(あと)ずさる。


「おい……何か、やばくね?」


 その声は、ひどく緊張していた。


「っ、やべえって!」


 その一言をきっかけに、三人は一斉に女性から距離を取った。


 男たちは強がる余裕も、格好をつける余裕もなかった。


「何なんだよ、ここ……!」


「知らねえよ、早く行け!」


 ただ、何かわからないものに追い立てられるみたいに、慌てて路地の外へ駆け出していく。


 あっという間に足音が遠ざかり静かになる。


 さっきまであれだけ嫌な笑い声が響いていたのに、路地には嘘みたいな静寂だけが残った。


(何……何が起きてるの……?)


 意味がわからない。


 全然わからない。


 自分は何もしていない。


 本当に、何もしていない。


 ただ鞄の中に手を入れて、デリンジャーを握っただけだ。


 それだけなのに。


 でも、ひとつだけ確かなのは、男たちが逃げたのは偶然とは思えないという事だった。


(……わたしが……やったの……?)


 鞄の中では、まだ黄金のデリンジャーの感触が手のひらにある。


 デリンジャーを握ったまま、アカネの胸の奥に甘く熱い蜜を垂らされたみたいな高揚(こうよう)が広がった。


 誰かを救えた事への喜びじゃない。


 もっと直接的で、もっと嫌なものだ。


 人が怯えて退いた事、それがどこか気持ち良かった。


 最低だ。


 自分で自分に吐き気がした。


 でも、その高揚する感覚は完全には消えてくれない。


 アカネは、震える指で握っていたデリンジャーを放した。


 その途端(とたん)、さっきまで路地を満たしていた異様な圧が、スッと遠のいた気がした。


 アカネは息を呑む。


(何なのよ……これ……わたしは今、何をしたの!)


 アカネは物陰に身を寄せたまま、震える唇をきつく結ぶ。


 答えなんて、どこにもなかった。


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