第六話 トラブルとの遭遇
駅前は、まだ人が多かった。
学校帰りの制服姿の学生。
買い物袋を手にする買い物帰りらしい人。
疲れた仕事帰りの大人。
信号待ちをする女性。
車の音。
店先から流れる音楽。
明るくて、騒がしくて、いかにもいつもの街だ。
なのに、少しも落ち着かない。
誰も自分なんか見ていない。
そんな事はわかっている。
でも、人が近くを通るたびに肩が強張る。
ぶつかったらどうしよう。
鞄を落としたらどうしよう。
中身を知られたらどうしよう。
嫌な想像ばかり浮かんで、息苦しくなった。
人通りの多い駅前へ出れば、少しは落ち着くかもしれない。
そう思ったのに、夕暮れの街は、学校よりもずっと息苦しかった。
(もう帰ったほうが良いのかな……)
でも、家へ帰る勇気が出ない。
家に帰れば、普通の顔をしなくてはいけない。
夕飯の匂いのする家で、何もありませんでしたみたいに制服を脱いで、何も拾っていませんみたいに椅子へ座らなくてはいけない。
そんな事が、今の自分にできる気がしなかった。
学校へ戻るなんて、もっと無理だ。
どこか行きたい場所があるわけでもない。
(……どうしよう)
また、その言葉が浮かぶ。
今日ずっと、そればかりだ。
何一つ決められない。
何一つうまくできない。
アカネは、人の流れから逃げるように、大通りを一本外れた。
それだけで、少しだけ空気が変わる。
人通りが減って、店も古びた感じになる。
さっきまでのざわめきが遠くなって、少しだけ息がしやすくなった。
こっちの方が、まだマシ。
そう思って、そのまま歩く。
でも、歩きながらすぐに不安になる。
人が少なすぎるのも、それはそれで怖い。
本当に自分は面倒くさいなと、アカネはぼんやり思った。
ひとりだと不安で。
人が多くても落ち着かない。
どうしろっていうんだろう。
答えはない。
肩へ食い込む感覚が、アカネを現実へ引き戻してくる。
鞄の中には、黄金のデリンジャーと黄金の弾丸の箱が入った黒いケースがある。
たったそれだけのはずなのに、そこに自分の今日一日全部が詰まっているみたいだった。
(これを捨てたら、終わるのかな……)
ふと、そんな事を考える。
どこかのゴミ捨て場へ投げ込んでしまえば。
川へ沈めてしまえば。
それで何もかも終わるなら、そうしたほうが良いのかもしれない。
でも、すぐに別の声が胸の奥で囁く。
『本当に、捨てられるの』
アカネは、無意識に鞄の持ち手を強く握った。
答えを考えたくなかった。
考えてしまえば、自分がもう手放したくないと思っている事まで認める事になる。
古い雑居ビルの前を通り、シャッターの下りた店の横を抜け、さらに細い道へ入る。
夕方なのに、この辺りだけ少し空気が淀んでいるみたいだった。
道端には吸い殻が落ちていて、停まっているバイクもどこか荒っぽい印象がある。
(……来すぎたかも)
そこでやっと、アカネは足を止めかけた。
さすがに戻ったほうがいい。
これ以上奥へ行くのはまずい気がする。
そう思った、その時だった。
少し先の細い路地の奥から、短い悲鳴が聞こえた。
アカネの肩がビクッと跳ねる。
続いて少し先の細い路地の奥から、笑い声が聞こえた。
低くて、だらしない男の声。
嫌な感じがした。
聞かなかった事にできる。
本能的に、関わらないほうがいいと思った。
むしろ関わったら、面倒な事になるに決まっている。
そう思ったのに、足はすぐには動かなかった。
その場を離れようとして、でも気になってしまう。
もう一度、小さく声がした。
怯えた、掠れた声だった。
アカネは息を呑む。
気づけばアカネは、近くの建物の影へそっと身を寄せていた。
(何やってるの、わたし……)
自分でもそう思う。
今の自分に、誰かを助ける余裕なんてない。
見ないふりをして帰ればいいのに。
でも、耳に入った男たちの笑い声がどうしても気になった。
アカネは物陰から、そっと路地の奥を見る。
そこにいたのは、一人の女性だった。
アカネより少し大人っぽい大学生風の女性。
その女性が壁際に追い詰められ、男が三人で囲んでいた。
(うわ……最悪……)
三人に囲まれている時点で普通じゃない。
逃げ道を塞がれているように見えて、見ているこっちのほうがぞっとした。
「ちょっと話すだけじゃん」
「そんな警戒しなくてもよくない?」
「感じ悪いなぁ」
男たちは、軽い調子で笑っている。
でも、それが余計に嫌だった。
アカネは物陰に隠れたまま、その様子を窺う。
(どうしよう……)
助けを呼ぶべきなんだろうか。
でも誰を。
警察?
いや、そんなすぐに来てくれるわけがない。
大声を出す?
もっと無理だ。
というか。
(何で私、まだここにいるの)
逃げればいい。
自分には関係ない。
そう思うのに、足が動かない。
怖くて固まっているだけなのかもしれない。
それでも、見捨てるみたいで嫌だと思ってしまう自分もいた。
男のひとりが、少しだけ女性との距離を詰める。
(ヤバい! 逃げて!)
心の中でそう叫ぶ。
でも女性は壁に追い詰められ、動けないでいる。
(どうしよう……どうしよう、どうしよう)
頭の中は、そればかりだった。
鞄を抱える腕に、ぎゅっと力が入る。
中の重みが、やけにはっきり伝わってきた。
アカネは物陰に身を潜めたまま、息を殺してその場を見つめ続ける。
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