第四話 冷たい視線
授業が、とても長く感じられた。
黒板の文字をノートへ写しているつもりでも、気づくと手が止まっている。
先生の声も聞こえているようで、あまり頭に入ってこない。
机の横にかけた鞄が、ずっと意識のどこかに引っかかっていた。
いつも通りにしているつもりなのに、たぶん全然できていない。
周りから見たら、変に思われているかもしれない。
(いや、そんな事ないか……)
そもそも自分なんて、誰かがいちいち気にするような人間でもない。
そう思うと少しだけ楽になる反面、胸の奥がじんわりと冷える。
チャイムが鳴り休み時間になると、教室の空気は一気にゆるんだ。
教師が教室から出て行くと、転校生のルナの周りには同級生たちが集まっていく。
(やっぱり、そうなるよね)
アカネは、自分の席からそっとそちらを見る。
ルナは、何人もの同級生に囲まれていた。
同級生に質問されて、短く答える。
また別の誰かが、ルナに声をかける。
その繰り返しだ。
中心にいるのに、どこか距離がある。
上手く笑っているわけでもないのに、近寄りがたい雰囲気だけで人を遠ざける事もない。
(不思議な子だな~)
銀髪で綺麗だから目立つだけではない気がした。
うまく言えないけれど、最初から教室の空気と少しだけずれている。
なのに、浮いていると言うほどでもない。
見ていると何だか落ち着かなくなる。
(あぁいう子とは、たぶん一生話さないんだろうな~)
アカネはそんな事を考えながら、ルナから視線を外した。
別に話したいわけじゃない。
向こうだって、自分みたいなのに興味を持つはずがない。
その時ふと、何となく机の上に置いた自分の右手が目に入る。
朝見た薄い痣は、今もまだうっすら残っていた。
けれどやっぱり、それだけだ。
少し変わった形に見えなくもないけれど、気にするほどではない。
そのうち消えるだろう。
アカネは、何の気なしに指先で軽くそこに触れた。
その瞬間だった。
ぞくり、と背中が冷えた。
(えっ!?)
誰かに見られている。
そんな感覚が、いきなり首筋をなぞった。
心臓が、ドクンッと嫌な音を立てる。
アカネは、反射的に顔を上げた。
教室の向こう、同級生たちに囲まれているルナが、こちらを見ていた。
距離もあるし、ルナの周りには同級生たちが何人もいる。
それなのに、氷のような視線が真っ直ぐ自分へ届いている気がした。
まるで最初から自分がここにいると知っていて、その確認をした者の目の様だった。
アカネは息を止める。
(なに……怖い……)
そう思った途端、自分でもわけがわからなくなる。
ただ見られただけだ。
睨まれたわけでもない。
怒らせるような事をした覚えもない。
話した事すらない。
そもそも、今日初めて会った転校生だ。
なのに、怖い。
胸の奥がヒヤッとして、肩が強張る。
まるで何か悪い事をしているところを見つかったみたいな、そんな気分になる。
何でそんな風に思うのか。
おかしい、本当におかしい。
相手はただの転校生だ。
自分が勝手に怯えているだけだ。
でも、無理だった。
アカネは、慌てて右手を引っ込める。
痣を隠そうとしたわけではない。
そんなもの、遠くから見えるはずがない。
ただ、視線から逃げるみたいに手を引いてしまった。
(やだ、見ないで……)
そんな事を思ってしまう自分が、ますます嫌になる。
自意識過剰すぎる。
誰もそこまで気にしてない。
たぶん、たまたま目が合っただけだ。
そうに決まってる。
そう言い聞かせても、体の強張りはすぐには解けなかった。
ルナは、同級生に何か声をかけられ、ゆっくりそちらへ顔を向ける。
それでようやく、アカネは息を小さく吐いた。
(……何なんだろう、あの子)
綺麗で、静かで、少し冷たい。
それだけのはずなのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろう。
アカネは俯き、机の木目をぼんやり見る。
昨夜からずっと変な事ばかりだ。
寝不足のせいかもしれない。
鞄の中の黒いケースのせいで、神経が変になっているのかもしれない。
きっとそうだ。
そうじゃないと困る。
教室のざわめきは何も変わっていない。
笑い声も、話し声も、そのままだ。
ルナはまた人の輪の中に戻っていて、今見ればただ遠い場所にいる転校生にしか見えない。
それなのに、アカネの胸の奥には冷たいものだけが残っていた。
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