第三話 銀髪の転校生
結局、あまり眠れなかった。
眠ったのか眠っていないのか、自分でもよくわからない。
目を閉じても意識だけが沈みきらず、ウトウトしては目が覚めるのを何度も繰り返した。
そのたびに、机の上に置いたケースの事を思い出した。
暗い部屋。
黒いケース。
その中の黄金のデリンジャー。
持ち上げた瞬間に、一瞬だけ光った気がしたあの日輪に蛇の刻印。
やっぱり、見間違いだったのだろうか。
そう思う。
でも、思ったところで確かめる勇気はない。
夜中に何度か起きたのに、机の方をまともに見る事さえできなかった。
見たら何かある気がして。
いや、何かあるわけない。
そんなの、ただの思い込みだ。
アカネは重たい体を起こし、ノロノロと布団を出た。
頭が重い。
喉も少し乾いている。
洗面所で顔を洗うと、鏡には目の下にクマを作ったひどい顔が映っていた。
(……最悪……)
別に誰が見るわけでもないけど。
そう思うあたりが、もうだめだなとアカネはぼんやり考える。
朝食を終え、部屋で制服へ着替えようとして、ふと右手の甲が目に入った。
(……あれ?)
アカネは手を止めると、右手の甲をジッと凝視する。
薄っすらと、何か痕のようなものがあった。
薄い、本当に薄い。
痣と言われたらそのまま納得してしまいそうなくらいの、ぼんやりした痕だった。
色も濃くないし、痛みもない。
腫れている感じもない。
ただ、何となく線のようなものが肌に浮いて見える。
「……何これ?」
小さく呟いてみる。
どこかでぶつけた跡のようにも見える。
(……まぁ、いいか)
アカネはすぐにそう結論づけた。
気にしたところで、自分に分かるわけがない。
痛いわけでもないし、見た目だって大した事はない。
こんな事でいちいち騒ぐほうが変だ。
それに、今はそれよりも机の上の黒いケースの方が問題だった。
アカネはそちらへ視線を向ける。
黒い革張りのケースは、朝の光の中でも静かにそこにあった。
その異様さは何も変わらない。
むしろ昨夜よりもはっきりと、これが自分の部屋にあってはいけないモノだとわかる。
(消えていてくれてたら良かったのに)
もちろん、消えてくれるはずもない。
当たり前だ、夢じゃなかったんだから。
(……どうしよう……)
また、その言葉が頭に浮かぶ。
昨日の夜から、ずっと同じだ。
何も決まらないまま時間だけが過ぎていく。
置いていけばいい。
学校へ行っているあいだに、落ち着いて考えればいい。
帰ったら警察に届ける事だって出来るかもしれない。
(でも……もし、その前に見つかったら……)
母親が洗濯物を置きに入ってくるかもしれない。
掃除機をかけに入るかもしれない。
机の上に出したままだったら、言い訳なんて出来ない。
ベットの下やクローゼットに隠しても、見つかるときは見つかる。
親にだけは見つけられたくない。
その気持ちは、警察へ届けるべきだという理性よりも、ずっと現実的で、ずっと強かった。
アカネはしばらく立ち尽くした末、黒いケースに手を伸ばす。
(持っていくの!? 本気で!?)
自分で自分に呆れるみたいな気持ちがあった。
なのに、置いていくという選択はもうできなかった。
結局ケースを鞄の奥へ仕舞い込んだ。
他に隠せる場所も思いつかない。
(……最低だ……)
自分でそう思う。
もっとちゃんとしたやり方があるはずなのに、何も思いつかない。
思いついても実行できる気がしない。
だから見つからなさそうな場所へ、一時的に押し込める事しかできない。
(……わたしって、本当にダメだな……)
教科書とノートの下に隠しても、そこにある事だけは隠せない。
胸の奥が少し重くなる。
でも、落ち込んでいる時間もなかった。
支度を終え、アカネは家を出る。
◇
朝の空気はひんやりとしていた。
通学路には、いつも通り生徒たちが歩いていて、誰かの笑い声や自転車の音が聞こえる。
何も変わらない朝。
世界は普通に動いている。
変なのは、自分だけみたいだった。
鞄が重い。
教科書のせいだけじゃないとわかっているから、余計に気になる。
歩くたびに肩へ食いこむ重みが、隠しているモノの存在を何度も思い出させた。
(……いやだな……)
こんなモノを持って学校に行くなんて。
中身を知っているせいで、少し揺れるたびに神経が擦れる。
誰かにぶつかられたらどうしよう。
落として音がしたら。
何かの拍子に口が開いて、中が見えたら。
考えたくないのに、考える事をやめられない。
早く教室に着いてしまいたいのに、着いた先でこの鞄をどう置けばいいのかもわからなかった。
校門を通り抜ける。
いつもと同じ景色のはずなのに、胸の奥がざわついた。
鞄の中で、黄金のデリンジャーと弾丸の小箱が確かな重みを主張している。
金属の塊を抱えて教室へ入る自分が、急にひどく場違いなものに思えた。
教室の扉を開けると、いつもと同じ朝のざわめきがそこにあった。
誰かが昨日のテレビの話をしていて、誰かが小テストの事をぼやいていて、友人同士の笑い声も昨日までと変わらない。
なのに、何かが違って見える。
アカネは出来るだけ存在を消しながら、自分の席へ向かった。
鞄を机の横に掛けようとして、手を止める。
(これ、バレたりしないよね)
心臓の鼓動が速くなる。
誰かの足が当たるかもしれない。
倒れたら、音がしたら、中身がズレたら……。
考えた後、アカネは祈る思いで鞄を机の横に掛けてから座った。
机の脇に置いているだけなのに、そこに小さな爆弾を隠しているみたいな気分になる。
席につくと、すぐ前の女子が振り返って軽く笑った。
「草壁さん、なんか顔色悪くない」
アカネは一瞬、返事に詰まる。
口から心臓が飛び出てしまいそうだった。
「……ちょっと……寝不足で……」
少しかすれた声で、何とか言葉を絞り出す。
「大丈夫? 無理しないでね」
「うん……大丈夫……ありがとう」
そう返しながら、アカネは鞄の持ち手をそっと握った。
その時、担任が教室に入って来ると教壇を軽く叩いた。
「みんな静かに、今日は転校生を紹介する」
転校生。
その言葉に教室の空気が、ぱっと明るく揺れる。
教室の扉が開くと、空気がざわついた。
入ってきたのは、銀色の髪をした少女だった。
朝の光を受けた長い銀色の髪は、教室の中ではどうしても目立つ。
外国人らしい整った顔立ちに、肌は透けるように白く、同時に少しだけ冷たい印象を受ける。
少女は静かに前へ出ると、黒板へ名前を書いた。
『ルナ・シルヴァ』
珍しい名前だなと、アカネはぼんやりと思った。
ルナは振り返ると、短く名乗る。
「ルナ=シルヴァです」
氷のような目で教室全体を見回す。
(綺麗な子だな)
アカネには、そのくらいの認識だった。
自分には関係のない、目立つ転校生。
どこから来たのかを淡々と告げ『よろしくお願いします』と、感情のない日本語で締める。
男子の何人かがひそひそ声を立てる。
綺麗だとか、やばいとか、そんな軽い感想が聞こえてくる。
女子たちも落ち着かない空気で視線を向けている。
けれどアカネには、そんな空気すら遠く感じられた。
それよりも、机の横の鞄が気になって仕方なかった。
早く一日が終わってほしい。
でも終わったら終わったで、またあれをどうするか考えなければならない。
そう思いながらも、時間だけは静かに進んでいった。
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