八話 俺は完全に忘れていた
数日後。
女子が着替え中の教室へ乱入した騒動もようやく落ち着き、学園にはいつもの日常が戻っていた。
しばらくは「覗き魔」と不名誉なあだ名がついたものの、今では笑い話になりつつある。
下着姿を見られてしまったにも関わらず、華憐は頭を打った俺のことを心配してくれた。
柚月も呆れてはいたものの、意識が朦朧としていたのなら仕方がないと擁護してくれた。
……さすがゲームの主人公だ。
あの日以来、詠子とはまともに話せていない。
目が合えば視線を逸らされ、近づけば逃げられる。
ただでさえ華憐たちが近くにいると詠子を見失うというのに、本人からまで避けられてしまえば、接触するのはほとんど不可能だった。
それでも、ゲームでは決して交わることのなかった詠子と言葉を交わせたのだ。
焦る必要はない。
ここから少しずつ、距離を縮めていけばいい。
そう——俺は、甘く考えていた。
◇◇◇◇◇
「柚月ちゃんの髪って、絹みたいにサラサラでいいなぁ」
華憐は、柚月の白い髪を羨ましそうに見つめていた。
「私なんて癖っ毛で、全然まとまらないから。本当に羨ましい!」
「華憐の、そのふわりとした髪も素敵だと思うわ」
いつの間に、二人はこんなに仲良くなったのだろう。
「桜庭くんも、素敵だと思うわよね?」
柚月が意味ありげな視線をこちらへ向ける。
やめろ。俺にそんな話を振るな。
「ゆうちゃんはさ……私の髪どう思う?」
華憐が目を泳がせながら、こちらを見つめる。
くう。やはり華憐は可愛い。
「うん。華憐に似合っていて、いいと思うぞ」
「ほんと? ゆうちゃんがそう言ってくれるなら……」
華憐はちらちらと視線を送りながら、もじもじと指先を合わせた。
おい。
やめろ。
幼馴染ヒロインの空気を出すな。
「……本当、華憐って分かりやすい」
そこにぽつりと、温度の低い声が落ちた。
声のした方へ視線を向ける。
そこにいたのは、薄紫色の髪をツインテールに結んだ、小柄な少女だった。
人形のように整った顔立ちには、どこかあどけなさが残っている。
大きな紫色の瞳はどこか眠たげで、その表情から感情を読み取るのは難しい。
「な、凪ちゃん!?」
いつの間にかそばにいた少女を見て、華憐が目を丸くした。
——濱由良 凪。
『恋スク』のメインヒロインの一人。
少し毒舌な、妹系同級生だ。
幼い見た目に反して大人びた言動も多く、淡々とした口調で相手の痛いところを的確に突いてくる。
両腕には、トレードマークの白く大きなうさぎのぬいぐるみが抱えられていた。
いや、ぬいぐるみに見えるが、厳密には違う。
あれは、うさぎ型のポーチだ。
中には筆記用具やハンカチなど、女の子らしい小物が詰め込まれている。ゲームでも、彼女を象徴するアイテムとして何度も登場した。
いつの間にか、三人目のメインヒロインまで、俺たちの会話へ加わるようになっていた。
凪は抱えていたうさぎポーチを、ぎゅっと抱き直した。
「華憐の顔を見れば……何を考えているか分かる」
「ええ! そ、そうかな?」
「と、うさぎがそう言ってる」
「うさぎが!?」
華憐が目を丸くして聞き返す。
凪は無表情のまま、うさぎポーチの片耳をぴょこっと持ち上げた。
「そう。うさぎは、だいたい何でも知ってる。
だから、華憐の心は丸裸……」
「丸裸……って、やめてよ。恥ずかしいよぉ」
華憐は慌てて胸元を隠した。
その恥ずかしそうに身体を隠す動作で、この間みてしまった下着姿の華憐が頭をよぎった。
「…………」
「優一。今、エロいこと考えてた」
「……考えてないぞ」
「うそ。鼻の下が伸びてる」
「気のせいだ」
「うさぎも優一はエロいと言っている」
「エロくない」
「でも、この間は着替えを覗いて——」
「ああ! もう悪かったって!」
凪とのこんなやりとりもいつの間にか当たり前になっていた。
そんな中、勢いよく教室の扉が開いた。
「ごきげんよう、優一さん!」
聞き慣れた高飛車な声が、教室中に響く。
「どうせ暇なのでしょう?
でしたら、わたくしのことを手伝う権利を与えますわ!」
その上から目線の物言い。
金色に輝く縦ロール。
手を腰に当てた、いかにも偉そうな立ち姿。
——蝶野崎 蘭子。
『恋スク』の四人目のメインヒロイン。
恋桜学園の生徒会長であり、学園長の孫でもある。
容姿端麗。
頭脳明晰。
そして、学生離れした抜群のスタイル。
……でかい。
何がとは言わないが、とにかくでかい。
誰もが認める才色兼備のお嬢様——なのだが。
その態度は、とにかく高飛車。
いわゆる、お嬢様系ツンデレヒロインである。
そんな彼女も、ここ最近は何かと俺に絡んでくるようになっていた。
華憐、柚月、凪、蘭子。
四人のメインヒロインが俺のそばに集まるたび、その強すぎる存在感が、ほかのすべてを背景へと押しやってしまう。
周りを見渡しても、目に入るのは華憐たちだけ。
詠子は同じ教室にいるはずなのに、どこにいるのかまるで分からない。
今、どこにいて、何をしているんだ、詠子。
ゲームでも、画面に映るのはいつだってメインヒロインたちばかりだった。
詠子はいつも、画面の外へと追いやられていた。
どれだけ探しても、詠子のルートにはたどり着けないことを、嫌というほど思い知らされたはずなのに。
このときの俺は、完全に忘れていた。
俺が今も、その『恋スク』の物語の中にいるということを。




