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五話 俺は今、猛烈に感動している

 結局、『恋スク』の世界に来た初日は、詠子と話すことができなかった。

 だが、その日は柚月の転校初日でもあり、イベントが多いのは仕方がない。

 

 明日から頑張ればいい。


 翌日。

 

「あ、あの、佐藤さん——」

「ゆうちゃん! お願い、宿題見せて!」


 華憐が宿題を忘れ、俺に泣きついてくる定番イベントだ。

 

 その翌日。


「佐藤さん、ちょっと——」

「桜庭くん。図書室はどちらかしら?」


 柚月が、いつもの落ち着いた表情でこちらを見ている。


 さらに翌日。


「今日こそは——」

「桜庭! 白姫を職員室まで案内してやれ」


 ……。


「なんでなんだよ!」


 思わず机を叩く。


『恋スク』の世界へ来て数日。


 俺はいまだに、詠子とまともな会話すらできていなかった。


「まあ、当たり前なんだけどさ……」


 ここは『恋スク』の世界だ。


 桜庭優一という主人公は、メインヒロインたちと交流するために作られている。

 

 ゲームの中では、詠子が画面に映らないことも多かった。


 けれど、今は違う。


 すぐそこにいる。


 手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、そのたびにメインヒロインたちに遮られる。


 姿すら見えなかったゲームの中よりも、すぐそばにいるのに近づけない今のほうが、ずっともどかしかった。


 だが、このままでは駄目だ。


 ゲームと同じ流れをなぞるだけでは、詠子ルートなんて一生始まらない。

 

 前の席には華憐。

 隣には柚月。

 この教室は、メインヒロインイベントの発生地点だ。


 なら、狙うべきは教室の外。


 そうだ。


 次の授業は体育だったはずだ。


 体育なら席順は関係ない。

 華憐や柚月とも、自然に距離を取れるはずだ。


 教室の外なら、きっと詠子に近づくチャンスも増える。


「よし……次こそは」


 俺は小さく拳を握った。


 今日こそ、詠子と会話をするぞ。


 俺は校庭脇の更衣室で体操着に着替え、そのまま授業へ向かった。


 体操着姿の生徒たちが次々と集まる中、やはり一番目立っていたのは柚月だった。


「白姫さん、スタイル良すぎない?」

「脚、長っ……」

「肌が白すぎる」


 男女問わず、視線が柚月へ集まっていく。


 体操着という飾り気のない格好なのに、それでも隠しきれない美しさがあった。


 さすが、完璧美少女。


 柚月の体操着姿までイベントCGが用意されていたのも納得だ。


 だが、俺が探しているのは柚月じゃない。


 俺は人混みの中から、茶髪のポニーテールを探した。


 いた。


 友達と楽しそうに笑っている詠子だ。


 ゲームにも体育の場面はあったが、詠子の体操着姿まで映ることはなかった。


 つまりこれは、ゲームでは決して見ることのできなかった姿だ。


 ……感動だ。


 俺は今、猛烈に感動している。


 友達と楽しそうに笑うその横顔を見ているだけで、自然と頬が緩んでしまう。


「……やっぱり可愛いな」


 気づけば、俺は詠子を目で追っていた。


 すると、不意に詠子がこちらを向く。


「あっ……」


 さすがに見つめすぎた。


 ばっちりと目が合ってしまう。


 詠子は驚いたように目を丸くし、どうしていいのか分からない様子で視線を泳がせていた。


 その時だった。


「ゆうちゃーん!」


 詠子のすぐ後ろで、華憐がぶんぶんと手を振った。


 詠子は華憐の存在に気づくと、何かを納得したように気まずそうに笑い、そっと視線を逸らした。


 その控えめな笑みを見た瞬間、俺は察した。


 もしかして詠子は、俺が華憐を見ていたのだと勘違いしたんじゃないか。


「ち、違う!」


 俺が見ていたのは華憐じゃない。


 詠子、君なんだ。


 このままでは、余計な勘違いをさせてしまう。


 俺は詠子へ向かって駆け出した。


「ど、どうしたの? ゆうちゃん、そんなに走って……」


 華憐の前を横切り、そのまま通り過ぎようとする。


「俺が見てたのは……華憐じゃなくて、詠——」


 ドゴンッ!


「ぐへぇ!」


 突然、後頭部に強い衝撃が走った。


 走っていた勢いのまま、俺は地面へ倒れ込む。


「ゆうちゃん! 大丈夫!?」


 顔を上げると、華憐が心配そうに俺を覗き込んでいた。


「ごめん! 蹴ったボールがそっちに飛んでいっちゃった!」


 ボールを蹴ったらしい男子生徒が、慌てて駆け寄ってくる。


 どうやら、俺が華憐の前へ飛び出した瞬間、背後からボールが飛んできたらしい。


 結果的に、俺は華憐とボールの間へ割り込む形になっていた。


 周囲から見れば、華憐を庇って飛び出したようにしか見えない。

 

「ゆうちゃん……私をボールから庇ってくれるなんて」


 華憐が潤んだ瞳で俺を見つめる。


 ……この台詞。


 聞いたことがある。


 授業中、飛んできたボールから華憐を守るイベント。


 ゲームでは、主人公が格好よくボールを受け止めていたはずだ。


 しかも、今はまだ授業すら始まっていない。


 俺が詠子へ近づこうとしたから、世界がイベントを前倒ししたのか?

 ゲームにない行動を取ろうとする俺を、無理やり元のシナリオへ戻すために——。


 慌てて辺りを見渡す。


 けれど、どれだけ周囲を探しても、詠子の姿はうまく捉えられなかった。


「……教室の外でも、駄目なのかよ」


 場所なんて関係ない。


 俺がゲームにない行動を取ろうとすれば、世界はイベントをねじ込んででも、元の物語へ引き戻してくる。


 まるで、決められた筋書きから外れることなど許されていないかのように。

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