三話 本当は見惚れたくなんかない
「今日は、お前たちに紹介する生徒がいる」
やはり先生は、記憶どおりの言葉を口にした。
「え、転校生?」
「この時期に?」
「男子? 女子?」
クラス中が、一気に色めき立った。
俺は思わず奥歯を噛み締めた。
来る。
恋スク序盤の目玉イベント——完璧美少女の転校生、その登場シーンだ。
「入ってこい」
先生の声に続き、教室の扉がゆっくりと開いた。
ガラガラ——。
その瞬間、白い髪がふわりと揺れた。
朝の光を受けて、雪のように淡く輝く長い髪。
透き通るような水色の瞳。
整いすぎた顔立ち。
静かに立っているだけで、教室の空気を変えてしまう存在感。
白姫 柚月。
『恋スク』のメインヒロインの一人。
特に初登場シーンの美しさは、プレイヤーの間でも語り草になっていた。
実際、こうして目の前で見ると——。
……まあ、認めよう。
とんでもなく美人だ。
画面越しでも綺麗だと思っていたが、実物の破壊力はまるで違う。
髪の一本一本が光を含み、瞬きをするたびに水色の瞳が揺れる。
声を発する前から、全員の視線を奪っていた。
騒がしかった教室が、嘘のように静まり返る。
誰もが彼女に見惚れていた。
男子も。女子も。
白姫柚月は黒板の前に立つと、ゆっくりと頭を下げた。
「白姫柚月です」
鈴を鳴らしたような、静かな声だった。
「本日から、このクラスでお世話になります。
よろしくお願いします」
一礼。
その所作まで、完璧だった。
これは普通の転校生紹介ではない。
完全に、メインヒロインの登場演出だ。
ゲームでは、ここで専用BGMとともに柚月のイベントCGが表示される。
「うおおおおおおっ!」
数秒遅れて、教室中が爆発した。
「やば、マジで可愛い」
「同じクラスって本当?」
「女神かよ……」
歓声があちこちから上がる。
白姫柚月は少し困ったように微笑んでいた。
その控えめな笑みひとつで、さらに教室の熱が上がる。
まるで教室そのものが、柚月を中心に塗り替えられていくようだった。
そのとき、俺の視界に異変が起こった。
机も、黒板も、周囲のクラスメイトたちも、ちゃんと見えている。
それなのに、意識を向けようとした瞬間、輪郭がぼやけて認識できなくなる。
「なんだよ、これ……」
思わず目を擦る。
「柚月以外が、ピントが合ってない背景みたいにぼやけて見える……」
この世界に来て間もないが、俺はひとつの違和感に気づき始めていた。
メインヒロインたちが目立つ場面では、それ以外のものが意識から抜け落ちてしまう。
先ほどの華憐の時もそうだった。
華憐に両手で頬を挟まれ、無理やり視線を戻された。その一瞬で、詠子たちの姿を見失った。
あの時、詠子が消えたわけではなく。
俺が、認識できなくなったのだとしたら。
『恋スク』の世界では、もちろんメインヒロインたちが物語の中心に立つ。
その間、周囲にいる人間は背景へ追いやられる。
当然、詠子も——。
この世界では、背景として扱われるモブなのだ。
だが、俺はそんなことでは諦めない。
ゲームの外から眺めていた頃より、できることは多い。
さっきも詠子の名前を呟いた時、詠子は俺の言葉に反応していた。
この世界なら、詠子のルートへ進めるはずだ。
しかし今は、メインヒロインである柚月の初登場シーンだ。
席にいるはずの詠子がまるで見えない。
「やば、マジで可愛い」
「同じクラスって本当?」
「女神かよ……」
なんだよ、同じようなことばっか言いやがって。
ん?
今の台詞、さっきと全く同じじゃなかったか。
耳を凝らしてよく聞いてみると、クラスメイトたちの言葉が繰り返されていることに気づいた。
なんなんだ……?
どうして同じ台詞を繰り返している?
ゲームなら、とっくに次のシーンに進んでいるはずだ。
俺が何か忘れているのか?
このシーンは確か……
白姫柚月が自己紹介する。
教室が盛り上がる。
主人公が思わず柚月に見惚れる。
それを見た華憐が、少し拗ねる。
そこまでが一連の流れだった。
「……そうか」
俺は気づいた。
このシーンは、主人公である俺が柚月に見惚れることで進む。
つまり、俺が柚月に見惚れなければ、先へ進めない。
詠子の前で柚月に見惚れるなんて……嫌だ。
しかし、このままではいつまでも同じ場面を繰り返すことになる。
これも詠子ルートに進むためだ。
俺は自分にそう言い聞かせると、黒板の前に立つ白姫柚月へ視線を向けた。
白く美しい髪。
水色の澄んだ瞳。
静かに微笑む、完成されたメインヒロイン。
……駄目だ。
分かっていても、視線が引き寄せられる。
か、可愛すぎる。
女神か。柚月はやっぱり女神なのか。
ちょっと視線を向けるだけのつもりが、そのあまりの美しさに目が逸らせない。
「……綺麗だ」
ついこぼれ落ちてしまった言葉。
その瞬間。
「ちょっと! ゆうちゃん」
前の席から、低い声が聞こえた。
俺はゆっくりと視線を前に戻す。
華憐が頬を膨らませ、じとっとした目でこちらを見ていた。
「……ジロジロ見すぎだと思うよ」
ああ。嫉妬する華憐も可愛い……って駄目だ!
俺は華憐の嫉妬顔を横目で流しながら、詠子の席へ視線を向けた。
詠子は隣の席の友達とひそひそと何かを話している。
ああ……違うんだ。
俺が好きなのは詠子。君なんだ。
誤解をされたくなくて、俺は席を立ち、詠子に声をかけようとした。
「静かにしろ。……桜庭、どうした? 急に立ち上がって」
先生は怪訝そうに俺を見たあと、黒板の前に立つ柚月へ視線を向けた。
「まあ、ちょうどいい。
白姫は、そこの桜庭の隣の席だ」
「分かりました。
よろしくね、桜庭くん」
柚月は、控えめながら完璧な笑みを俺に向ける。
「……よ、よろしく」
たったそれだけ。
たったそれだけで。
さっきまで見えていたはずの詠子が、再び教室の背景に消えていってしまった。




