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二十話 ゲームと同じ結末なんて

 保健室を飛び出した俺は、ふらつく足で校舎の廊下を歩いていた。


 額には包帯が巻かれ、後頭部にはまだ鈍い痛みが残っている。


 先生に見つかれば、すぐに保健室へ連れ戻されるだろう。


 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。


 詠子は、あのあとどうなったんだ。


 まさか巻き込まれて、怪我はしていないだろうか。


 今、どこにいるんだ。


 照明が落ちたあの瞬間、最後に見えたのは、俺の名前を叫びながら駆け寄ってくる詠子の姿だった。


 それから先のことは、記憶にない。


 けれど、胸を締めつけているのは、それだけじゃなかった。


「結局、駄目だったのかよ……」


 思わず足を止め、拳を強く握り締める。


 俺は『恋スク』の世界に来た。


 攻略ルートも、イベントも、全部知っている。


 それなのに。


 また俺は、詠子ルートへ辿り着けなかった。


 この世界は俺を、何が何でもメインヒロインのルートへ連れていこうとする。


「なんでだよ……」


 喉の奥から、押し殺していた声がこぼれた。


「別に、誰を好きになったっていいじゃねえか」


 俺はただ、詠子を好きになっただけなのに。


 ここまでしても、詠子を選ぶことは許されないのか。


 ゲームの世界に来たなら、叶わなかった望みくらい叶えさせてくれよ。


 ゲームと同じ結末なんて……そんなのありかよ。


 文化祭前に、詠子が登場するイベントはもう残っていない。


 次に彼女が現れるのは、文化祭当日。


 それも、誰かの確定ルートの中だ。


 もう、ここで終わりなのか。


 俺と詠子は、このまま何も始まらずに終わってしまうのか。


「桜庭くん!」


 聞き慣れた声に、俺は勢いよく顔を上げた。


「詠子……?」


 掠れた声が、かすかにこぼれた。


 廊下の向こうから、詠子がこちらへ走ってくる。


「桜庭くん、駄目じゃないですか! そんな怪我で歩き回って!」


 詠子は俺の前まで来ると、息を弾ませながら顔を覗き込んだ。


「保健室で休んでいないと……」


 そこまで言って、詠子が心配そうに眉を下げる。


「桜庭くん……どこか痛みますか?」

「え?」


 詠子は戸惑いながら、そっと俺の頬へ手を伸ばした。


「だって……涙がこんなに……」


 その言葉で初めて、自分の頬を涙が伝っていることに気付いた。


 怪我が痛いわけじゃない。


 目の前に、詠子がいる。


 もう手が届かないと思っていた彼女が、今こうして俺を心配してくれている。


 そう自覚した途端、堪えていたものがさらに込み上げてきた。


「ご、ごめん。全然大丈夫だから……」


 慌てて袖で涙を拭う。


 詠子は不思議そうに首を傾げたあと、ふらつく俺を支えるように、そっと隣へ寄り添った。


「でも、桜庭くんも……そんな顔をするんですね」

「それって……どういう意味?」


 詠子は少し考えるように視線を上げる。


「桜庭くんって、なんだか不思議なんです」

「不思議?」

「いつも目立っていて、次から次へといろんなことをし始めますから」


 詠子は思い出すように、指を折って数え始めた。


「急に下の名前で呼んできたり、私のメイド服が見たいって言ったり……そんなこと、今まで誰にも言われたことがありませんでした」

「それは、その……」


 今思い返すと、かなり不審者じみている。


 けれど詠子は嫌そうな顔をすることもなく、小さく笑った。


「愛原さんをボールから守ったり、濱由良さんのケーキ作りを手伝ったり、迷子になった白姫さんを探したり」


 そこで一度言葉を切り、俺の額に巻かれた包帯へ目を向ける。


「今日は、会長を庇って怪我までして」


 詠子の表情が、わずかに曇った。


「桜庭くんの周りでは、いつもいろんなことが起きていますよね」

「まあ……そう言われるとそうかも」

「桜庭くんと違って、私ってあまり目立たないから」


 詠子は少し照れくさそうに笑った。


「だから、桜庭くんを見ていると楽しいんです。次に何をするんだろうって、いつも気になってしまって」


 胸の奥が、大きく跳ねた。


 詠子も、俺を見てくれていた。


 メインヒロインたちに囲まれ、次々とイベントに巻き込まれていく俺を。


 無駄じゃなかった。


 何度邪魔されても、何度詠子を見失っても。


 それでも諦めずに動き続けた俺のことを、詠子は見ていてくれた。


「桜庭くん?」


 黙り込んだ俺の顔を、詠子が心配そうに覗き込む。


「やっぱり、どこか痛みますか?」

「いや……」


 違う。


 痛いんじゃない。


 嬉しかった。


「私にできることがあったら、言ってください」

「じゃあ、一つお願いしてもいいかな?」

「はい!」

「文化祭……俺と一緒に回ってほしいんだ」

 

「……え? 文化祭ですか?

 怪我のことじゃないんですか?」


 詠子は驚いたように目を丸くした。


「うん。俺はどうしても佐藤さんと一緒に文化祭を回りたいんだ」

「えっ……そんな、急に言われても」


 詠子は戸惑ったように視線を泳がせる。


「その……わ、私なんかでよければ……」


 その言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。


「ほ、ほんと? ありがとう! すごく嬉しいよ」


 自然と笑みがこぼれた。


「それと、もう一つだけいい?」

「まだあるんですか?」

「ごめん……これで最後だから」


 詠子は少し警戒するように俺を見つめた。


「わかりました。……聞くだけですよ?」

「佐藤さんのこと、詠子って呼ばせてほしいんだ」

「えっ……」


 詠子の頬が、みるみる赤く染まっていった。

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