二十一話 ようやくたどり着いたのだ
翌日。
俺は朝から、かつてないほど気分がよかった。
後頭部にはまだ鈍い痛みが残り、額には包帯も巻かれている。
だが、そんなものは些細な問題だ。
俺はついに、詠子と文化祭を一緒に回る約束をした。
◇◇◇◇◇
「私のこと、詠子って……前にも、そう呼びましたよね?」
「今度は佐藤さんにちゃんと許可をもらって、堂々とそう呼びたいんだ。駄目かな?」
「そんな怪我した顔でお願いするなんて、桜庭くんはずるいです」
「そ、それじゃあ?」
「恥ずかしいですけど……分かりました」
詠子は赤くなった頬を隠すように、わずかに顔を伏せる。
「桜庭くんのお願いを聞いたんですから……いつか、私のお願いも聞いてくださいね」
◇◇◇◇◇
ああ、なんて可愛いんだ!
詠子の頼み事なら、なんだって聞いちゃうぞ!
「ふふっ……」
思わず笑みがこぼれる。
「ゆうちゃん、さっきから気持ち悪いよ?」
隣の席から、華憐が露骨に顔を引きつらせた。
「失礼だな。俺は今、人生で一番幸せなんだ」
「やっぱり、頭を打ったせいでまた変になっちゃったんだ」
華憐は呆れたようにため息をつく。
「今度は、着替えを覗いたりしないでよ?」
何とでも言うがいい。
これまで何度も邪魔され、近づくことすらできなかった詠子と、文化祭を一緒に回れるのだ。
『恋スク』では、文化祭を一緒に回る相手は、攻略ルートに入ったヒロインと決まっている。
これはもう、俺は念願の詠子ルートに入ったと考えていいだろう。
◇◇◇◇◇
文化祭の準備は、最後の追い込みへ入った。
教室では着々とメイド喫茶の飾り付けが進み、廊下では段ボールを抱えた生徒たちが慌ただしく走り回っている。
華憐は相変わらずドジを踏み、凪は黙々とケーキを焼き、柚月は落ち着いた様子で飾り付けを進めていた。
生徒会長である蘭子も、あの事故をきっかけに、何もかも一人で抱え込むことは減った。おかげで前より少しだけ余裕があるように見える。
ゲームで何度も見た、文化祭直前の風景。
しかし、今の俺の頭にあるのは一つだけだった。
文化祭が終わったら、詠子に告白する。
今度こそ、自分の気持ちをきちんと伝える。
そう決めていた。
そして、大きな問題が起きることもなく、俺たちは無事に文化祭当日を迎えた。
校門をくぐった瞬間、色とりどりの装飾が目に飛び込んでくる。
一年に一度の、『恋スク』最大のイベントが始まる。
◇◇◇◇◇
午前九時。
『恋桜学園文化祭、ただいまより開幕します!』
文化祭の開始を告げるアナウンスが、校内に響き渡った。
「それじゃあ、開店します!
みんなメイド喫茶、絶対成功させようね!」
華憐の元気な声を合図に、俺たちのメイド喫茶は営業を開始する。
扉を開けた瞬間、外で待っていた生徒たちが一斉に店内へとなだれ込んできた。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
華やかなメイドたちが、客を笑顔で迎え入れる。
「し、白姫さん、注文をお願いしてもいいかな……?」
「かしこまりました、ご主人様」
柚月は優雅な仕草で、丁寧に頭を下げた。
「ああ、女神様だ……。俺、ここで死んでもいい!」
「我々は天界へとたどり着いたようだ」
柚月が接客している生徒たちは祈るように手を合わせていた。
「愛原さん、三番テーブルに紅茶とケーキをお願い!」
「任せて!」
華憐はトレーを手に、軽い足取りでテーブルへと向かう。
「お待たせしました。ハッピー紅茶とキャロットケーキになります!」
そう言って、華憐はぱちりとウインクしてみせた。
「……か、可愛い」
「ああ、華憐ちゃん……ファンになりそう」
一方、凪はというと——
「……早く注文して」
可愛らしいメイド服に身を包んでいるにもかかわらず、接客はあまりにも無愛想だった。
「あ、あの。おすすめはありますか?」
「キャロットケーキ。……私が焼いた」
「それください!」
「濱由良さんが焼いたケーキを食べられるなんて……!」
「俺も!」
「こっちもください!」
凪のウサ耳メイド姿を前に、男子生徒たちは感動で震えていた。
予想はしていた。
いや、ゲームで何度も見ていたのだから、知っていたというべきか。
メインヒロインたちの圧倒的な人気。
柚月の気品あふれる立ち振る舞い。
華憐の明るい笑顔。
そして、普段との落差が凄まじい凪のウサ耳メイド姿。
開店直後から三人目当ての客が押し寄せ、教室はあっという間に満席になった。
「キャロットケーキ、追加お願いします!」
「ストックもうないよ! 家庭科室まで取りに行かないと!」
「えっ、まだ一時間も経ってないよ!?」
さらに店の盛況に拍車をかけたのが、凪のキャロットケーキだった。
「これ、本当に美味しい!」
「もう一個ください!」
「持ち帰りできませんか?」
評判はあっという間に校内へ広がり、注文が途切れる気配はない。
「凪ちゃんのケーキ、すごい……」
華憐が目を丸くする。
「……普通」
本人は相変わらず淡々としていたが、その手は休むことなく、次々とケーキを皿に盛りつけていた。
さすがは、『恋スク』のメインヒロインたちだ。
けれど、そんな賑わいの中でも、俺の視線は自然と一人の少女へ向かっていた。
教室の奥で、少し緊張した様子のまま接客を続けている詠子。
「あ、ありがとうございました。
その……いってらっしゃいませ」
派手さはない。
華憐たちのように、客から歓声を浴びているわけでもない。
それでも、一人ひとりに丁寧に頭を下げる姿が、俺には誰よりも愛おしく見えた。
ゲームのこの場面のCGでも、詠子は三人の後ろに小さく映り込んでいた。
ゲームの中では、ただの背景だった少女。
けれど、今は違う。
教室のどこにいても、詠子の姿がはっきりと見える。
俺は、ようやくたどり着いたのだ。
誰も見つけることのできなかった、詠子のルートに。




