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十五話 もうわらかなくなっちゃった

 詠子は柚月の行き先を伝えると、すぐに教室へ戻ろうとした。

 

「あの、佐藤さん」

「は、はい?」


 詠子が少し驚いたように振り返る。


 ゲームでは、ここで行き先を聞いた主人公は、すぐに柚月の元へ向かう。


 けれど、俺は違う。


 せっかく手に入れた、詠子と話せる貴重な時間だ。


 少しでも話せるなら、この機会を逃したくない。


「文化祭当日って、何の担当になったの?」

「えっ……?」


 突然そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、詠子は目を丸くした。


「一応、ホールに出ることになりました」


 少し恥ずかしそうに頬をかきながら、小さく笑う。


「でも……」


 その笑顔は、どこか自信なさげだった。


「私のメイド服姿なんて、誰も見たくないと思いますけど」

「そんなことないよ」


 俺は即座に否定した。


「少なくとも、俺は見たいかな」

「……え?」


 詠子はぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「佐藤さんなら、きっと似合うと思う」

「そ、そんなこと……」


 耳までほんのりと赤く染めると、詠子は照れ隠しをするように視線を逸らした。


「でも……あ、ありがとうございます。

 お世辞でも嬉しいです」


 小さくこぼれたその声に、思わず頬が緩む。


 お世辞なんかじゃない。

 詠子なら、絶対にメイド服が似合うと思っている。


 それなのに、素直に受け取れず遠慮してしまうところまで、やっぱり可愛かった。


「あのさ、もしよければ、文化祭当日なんだけど——」


 そう言いかけた、そのときだった。


 詠子の姿が、少しずつ周囲の景色へ溶け込んでいく。


 ……どうしてだ?


 ついさっきまで、はっきりと見えていたはずなのに。


 制服の輪郭が意識から抜け落ち、廊下を行き交う生徒たちの中へ紛れていく。


 イベントの途中なのに、どうして——。


 そこで、すぐに気づいた。


 この柚月イベントにおける詠子の役割は、あくまで主人公に柚月の居場所を伝えること。


 その役目を終えた今、詠子は再び背景へ戻ろうとしているのだ。


 こんな中途半端なところで、会話を終わらせたくない。


 だが、これ以上ここにいても、詠子は完全に背景へ戻ってしまう。


 なら、伝えられることだけ伝えて、今は柚月のイベントを進めるしかない。


 俺は詠子が指さした廊下の奥へ向かって走り出した。


「佐藤さん! メイド服、楽しみにしてるから!」


 走りながら、背後へ向かって声を張り上げる。


 返事は聞こえなかった。


 けれど、振り返った一瞬、背景へ溶けかけた詠子がこちらを見ていたような気がした。


 短い時間ではあったが、また詠子と話すことができた。


 それに、言いたかったこともちゃんと伝えられた。


 今はそれで十分だ。

 

 あとは、柚月のイベントを無難にこなすだけだ。


 俺は柚月がいる外階段へ向かい、その扉を開けた。


 午後の風が吹き抜ける、静かな踊り場。


 まだ太陽は高く、眩しいほどの陽射しが差し込んでいる。


 階段を少し下った踊り場に、一人の白髪の少女が腰を下ろしていた。


 両脚を投げ出したまま座り込み、乱れたスカートからは白い脚がのぞいている。


 そのまま、ただぼんやりと空を見上げていた。


 人の気配に気づいたのか、少女は座ったまま首を後ろへ反らした。


 階段の上に立つ俺を、逆さまに見上げる。


 そこで初めて、その気の抜けきった表情が見えた。


 半分閉じた水色の瞳。

 無防備に開いた口元。

 まるで頭の中を空っぽにしていたかのような、ぼんやりとした顔。


「お、おう……」

「さ、桜庭くん……?」


 俺と目が合った瞬間、柚月の表情が一気に切り替わった。


 気の抜けていた瞳に光が戻り、開いていた口元もきゅっと閉じられる。


 柚月は慌てて立ち上がると、乱れたスカートを直し、背筋を伸ばした。


 そこに立っていたのは、いつもの完璧な白姫柚月だった。


「ど、どうして……こんなところに?」


 柚月は気まずそうに目を逸らした。


「安心しろ。俺は何も見てないぞ」

「何も見てないって……」


 柚月は恥ずかしそうにスカートの裾を押さえ、頬を赤らめた。


「いや、違う。見えたとか見えてないとか、

 そういう意味じゃなくてだな……」


 余計に墓穴を掘った気がする。


「……幻滅したわよね」

「え?」

「こんな姿、見せるつもりじゃなかったのに」


 やはり柚月が気にしていたのは、スカートのことだけではないらしい。


 さっきまでの気の抜けた表情は、もうどこにも残っていない。


 けれど、その微笑みは、いつもより少しだけ無理をしているように見えた。


「別に、幻滅なんてしてないぞ」

「気休めはやめて」


 いや、元から知っていたから、本当に幻滅なんてしていないんだけどな。


「私ね……両親の都合で、昔から転校が多かったの」


 柚月はどこか遠くを見るように、静かに語り始めた。


 憂いを帯びた横顔さえ絵になるのだから恐ろしい。


「せっかく仲良くなっても、すぐに別の学園へ行くことになる。また一から関係を築き直して……ずっと、その繰り返しだったわ」


 柚月は白い髪を指先でそっと撫で、小さく息を吐いた。


「だから、新しい場所では少しでも早く馴染めるように、相手に合わせる癖がついたの」


 教室で見せていた、誰にでも優しく笑顔を絶やさない完璧な振る舞い。


 それは、転校を繰り返す中で身につけた生き方だった。


「それに……あまり深い関係になっても、どうせすぐにお別れが来るでしょう?」


 柚月は寂しそうに微笑んだ。


「だから、どこかで一歩引いてしまうの。気づいたら、誰にも本当の自分を見せられなくなっていたわ」

「辛くないのか?」

「余計な人間関係に悩まされるよりは、ずっと楽よ」


 そう言って浮かべた微笑みは、やはりどこか寂しげだった。


「でも、気づいたら……自分が本当はどうしたいのかさえ、分からなくなっちゃった」


 柚月とのフラグをこれ以上立てないため、俺はゲームどおりの言葉を一つも返していない。


 それなのに柚月は、決められたシナリオをなぞるように、自らの過去を明かし始めた。

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