表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/16

十六話 俺は柚月のことが

 これが『恋スク』のメインヒロイン・白姫柚月の抱えていたものだった。


 転校生という目立つ立場に加えて、人目を惹くほどの美貌。


 男子と少し親しくすれば、「色目を使った」「横取りした」と女子に陰口を叩かれる。


 告白を断れば、「期待させた」「騙された」と逆恨みされる。


 ——私の何を知っているの。


 ゲームで語られたその一言が、今でも強く印象に残っている。


 そんな出来事を繰り返すうちに、柚月は誰からも嫌われないように振る舞い、誰にも深く踏み込ませない生き方を選んだ。


 けれど、それはあくまでゲームの中で語られていた設定にすぎない。


 今、目の前にいる柚月は、誰にも本音を打ち明けられず、一人で苦しんでいるように見えた。


「でも、まさか桜庭くんに見つかっちゃうなんて……ね」


 柚月は、いつもの笑顔を浮かべた。


「この学園に、ほかにも一人になれる場所はあるのかしら」


 冗談めかした口調だった。


 けれど、きっと今は、唯一ありのままでいられたこの場所さえ、失ってしまったような気持ちなのだろう。


 誰にも見せたくなかった姿を見られたことで、これからは学園にいる間、どこにいても気を抜けなくなるかもしれない。


 本来なら、ここで主人公は——。


『俺の前では、完璧な柚月じゃなくてもいい。どんな柚月を見たって、俺は嫌いにならないから』


 確か、そんな言葉をかける。


 その一言をきっかけに、柚月は少しずつ主人公へ心を開いていく。

 そして、この外階段の踊り場は主人公と柚月にとって特別な場所になる。


 だが、その言葉はほとんど告白と変わらない。


 それは、柚月ルートを進めるための言葉だ。


 今の俺にとって大切なのは、この場を手早く終わらせ、余計なフラグを立てないこと。


 だからといって、目の前で苦しんでいる柚月に、何も言わず立ち去ることもできなかった。


「いつもの柚月も、さっきの柚月も、どっちも本当の柚月なんじゃないか?」

「……何を言っているの?」

「もう少し肩の力を抜いてさ。思ったことを、そのまま口にしてもいいんじゃないか」

「そんな勝手なこと、言わないで」


 柚月の水色の瞳が、鋭く揺れた。


 ……ゲームでは、こんな反応はなかった。


 俺は、柚月がこれまでどんな経験をしてきたのか、ゲームの知識でしか知らない。


 それでも、一人の友人として、少しでも柚月の苦しみを軽くしたかった。


「……ごめん。

 でも、素の自分を見せたからって、離れていかない人だっている。少なくとも華憐や凪なら、そんなことで柚月を避けたりしないさ」

「本当にそうかしらね」

「え?」

「私が桜庭くんのことを好きだと言っても、二人は今まで通りに私と仲良くしてくれると思う?」


 柚月が一歩、また一歩とこちらへ近づいた。


「おい……な、何を言ってるんだ」


 気づけば、互いの吐息が触れそうなほど距離が縮まっていた。


 俺の鼓動が大きく跳ねる。


 こんな台詞も、こんなシーンもゲームにはないぞ。


 それに柚月は、過去の経験から、特に男子には勘違いさせるような態度を絶対に取らない。


「きっと、そうは思わないわ」


 柚月は俺を見上げながら、さらに半歩近づく。


「取られたって……横取りされたって、きっとそう思うはずよ」

「そんなことは……」

「それなら、桜庭くんは華憐や凪が見ている前でも、こうしていられる?」


 柚月は俺との間に残っていた最後の一段を上がると、ゆっくり両腕を腰へ回した。


「白姫さん……離れてくれ」

「どうして?」

「どうしてって……」


 揺れる水色の瞳が、間近から俺を見つめている。


 制服越しに伝わる体温。


 鼻先をくすぐる、ほのかに甘い香り。


 下から見上げる柚月が、たまらなく愛おしく見えた。


 このまま強く抱きしめたい。


 この子を、誰にも渡したくない。

 俺だけのものにしてしまいたい。


 そんな欲望が、熱に浮かされたように胸の奥から次々と湧き上がってくる。


 違う。


 こんなのは俺の本当の気持ちじゃない。


 俺は、こんなことを望んでいなかったはずだ。


「桜庭くんは……私のこと、どう思ってるの?」


 柚月が、甘く掠れるような声で囁いた。


「俺は……」


 柚月の想いに答えなきゃ。


 そんな考えが頭の中を埋め尽くしていく。


 そして、ひとつの言葉が浮かんだ。


『俺は何があっても、柚月のそばにいる』


 そう言ってしまえ。


 その言葉を口にすれば、柚月はお前のものになる。


 ——学園一の美少女が、お前だけを見てくれる。


 やめろ……


 ——約束された幸せが待っている。


 やめてくれ……


 甘い誘惑が、頭の奥で何度も繰り返される。


 それは主人公が柚月ルートへ進むための言葉だ。


 俺が望んでいるのは、詠子と——。


 そう思ったはずなのに、柚月の甘い香りを吸い込むたび、意識がぼんやりと霞んでいく。


 息が荒くなり、体温が上がっていく。


「ああ……俺は——」


 違う。


 言うな。


「何があっても……」


 止まれ。


 こんな言葉、俺は望んでいない。


「柚月のそばにいる」


 口からこぼれたのは、俺が最も避けようとしていた、柚月ルートの決められた台詞だった。


 その言葉に、柚月の瞳が大きく揺れた。


 そして、俺の腰に回されていた腕から、ふっと力が抜ける。


 まるで、求めていた答えを聞いて満足したかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ