全て遠き……
──目が覚めた時、あなたは見知らぬホームに立っていた。
そのホームは日本風の建築をしていた。そのことで、あなたは今自分が立っている場所が、日本であると推察できる。
ただし、そこが日本かどうか、ということを、明らかにすることはできない。目の前に広がる線路の、その向こうには、一面、キャンバスにも似た白い空間が広がっているからだ。
あなたは周りを見回す。
その場所にいるのは、あなただけではなかった。
あなたの周りには、仮面をつけた者たちが立っている。大柄な者もいれば、華奢な者もいるが、彼らは一様に、一言も言葉を発さなかった。
あなたはそのうちの一人に話しかける。それは特に大柄な人物だった。
しかし、彼はちらりとあなたを一瞥しただけで、返答をしてくれはしなかった。
あなたは肩を落とし、大人しく電車を待つことにした。
電車の来る気配はない。ホームには、静寂が満ちていた。
あなたはその静寂を心地の良いものだと認識する。都会の雑踏の雰囲気は、そこにはない。あるのは人込みと、ホームだけ。
その場所は寒くもなく、熱くもなかった。まるで気温そのものが存在していないかのようだった。
あなたは電車を待っている。
そうこうしているうちに、妙に懐かしいメロディーとともに電車は現れた。
それは車体に無数のルーン文字が刻まれた、妙にオカルトチックな電車だった。あなたはその姿に強烈な違和感を覚えるだろう。なにせ、表面の文字以外はいたって普通の電車なのだから。車体は蜜柑の皮のような色をしていた。
電車がぴたりと静止すると、人々はそれに乗り込んでいった。あなたもそれに続く。そうして、ホームの人間は全員乗車した。
車内は全てボックス席になっていた。人々は思い思いの席に座った。もちろん、あなたもそれに倣うことになる。
電車に乗り込んでも、やはり人々は一言も発さなかった。
そして、あなたも一言も発さない。車内にも静寂は満ちた。
ふと、扉が閉まる音と前後して電車が発車した。
車窓からは、無数に連なった高架道路の群が見えた。それ以外には何もない。天を衝くような摩天楼も、山々も、木々も、何もない。あるのはそれだけだった。
あなたは道路上を、大型のトラックが走っているのを目撃する。
そのトラックはひどく粗い運転をしていた。ふらふらと、右へ左へよれているのだ。運転手は居眠りをしているのかもしれない。
あなたは車窓を覗くのをやめた。そして、車内に目を向ける。
車内では誰もが無言だ。誰も、誰とも顔を合わそうとしない。
そんな彼らの態度の中に、あなたは彼ら自身の疲れを読み取った。
それは唐突に表れた観念だったが、尤もらしいように思えた。
彼らは、疲れているのかもしれない──。
そうこうしているうちに、車内がふっと暗くなった。
電車がトンネルに入ったのだ。車窓を満たすのは一面の闇だった。
何分ぐらい経っただろう。電車はトンネルを抜けた。
──そこで、あなたは信じられないものを目撃する。
それは一面、見渡す限りの黄金だった。
やがて、あなたはそれが本物の黄金でないことに気付く。それは稲穂だったのだ。太陽光の反射で、金色に見えていたのである。
車窓から除く風景に彩りが出たことで、あなたは再び窓の外の風景を見ることになった。
しばらくあなたが見とれていると、電車は駅に到着した。
合成音声のような発声をするアナウンスに促され、あなたは電車から降りる。そんなあなたには数人の人間が続いたが、大半の乗客は降りることを選ばなかった。
あなたがホームに降りると、電車は去っていった。新天地に向かったのかもしれない。
あなたは小さな、そのむき出しのホームから降りる。そして、初めてその場所の場景を目にした。
まず、あなたは小高い丘に建っている。駅もそこにある。
──そして、その小高い丘から一望できるのは、小さな国の風景だった。
白亜の宮殿が立ち並ぶその国は、荘厳な印象をあなたに与えるかもしれない。だがそれらは、生え茂った草木の下に埋没していた。
草木に若々しさはなかった。そこには茫漠とした「悠久」の影があった。
しかし不思議なのは、それらの宮殿が一切荒廃していないということだった。大理石には傷一つついておらず、埃もなければ虫もたかっていない。
あなたはふと、視線を少し上に向ける。そうしたことで、その国が、山に囲まれた盆地に成り立っていることを視認することができた。
理想郷。あなたの脳裏に、そんな言葉が浮かぶ。そこには西洋的な趣があった。
あなたは駅から、下へと降りていく。
風が吹いている。柔らかな風だ。そこに人間を拒むものはなにもなかった。むしろ、導かれているような心地さえした。
ふと、あなたの体を影が包む。
それで上を向くと、あなたは、頭上に巨大な飛行船が飛んでいるのを見た。
どこの誰が操縦しているのだろう? あなたは不思議に思う。確か日本国内では、一隻も飛んでいなかったはず──。
だがそんなことは既にどうでもよかった。あなたは先刻丘の上から見た光景の中へと入っていく。
そこには静謐、という形容の相応しい、凪いだ雰囲気があった。あなたは白亜の道を抜け、脇にある神殿へと入っていく。
吹き抜けになっていた神殿内部は、上部にある丸窓から降り注ぐ、木漏れ日のような光のみが光源だった。それ以外には、なにもない──。
神々の国。あなたはふと、そんな単語を思い浮かべた。
ここは神の国なのだ。彼らはそこに、不死性だけを託して去っていったのだ。おそらく、永遠に。
草木も、神殿も、時間の手によって滅ぼされることは、きっとないのだろう。そこはいつまでも、その状態のまま保存され続けるのだろう。あなたはそう思った。
あなたは神殿を出、歩き続ける。その足取りは軽い。
ふとあなたは、道の先に、透き通るような緑色をした鳥居を見つけた。
いや、それは正確には緑色ではない。その鳥居は翡翠でできているのだ。この場所では異物でしかないはずの鳥居は、不思議とその場になじんでいるようにあなたは思えた。
あなたは鳥居をくぐる。すると、空がその姿を変えた。
落日だ。山の向こうに、太陽が落ちていくのだ。
と、ふと、あなたは、さっきまで自分がいた場所が、崩壊していくのを見る。
音もなく、大理石たちがひび割れていく。
音もなく、空を飛んでいた飛行船が落ちてくる。
音もなく、大地が断裂する。
まもなく、日が暮れる。
──そして日が暮れた時、そこにはなにも残っていなかった。
あるのは、廃墟だけ。悲しみをたたえた木々たちは、力なく横たわるのみで、それ以上何かを主張することはない。
それは神殿も同様だった。崩壊した彼らは、今やただの石に過ぎなかった。そこには、先刻の静謐も、悠久も、何も乗っていない。ひたすらに空虚で、無価値だった。
ふとあなたは、体に不快感を感じた。
それは湿気によるものだった。高濃度の霧が、いつの間にか辺りに満ちていたのだ。
あなたは急いで、廃墟の影に隠れた。
理想郷は、そこにはない。
あなたは戸惑いを感じる。そして同時に、どうしようもない悲しみに襲われるだろう。それは避けられないものだ。恐らく、誰も。
あなたは折れずに残っていた柱の根元に体を預け、眠った。
そこで、あなたは夢を見た。
夢の中で、あなたは映画館の中にいた。周りには数人の観客がいる。彼らは一様に真剣な顔で映画を観ている。
その後、あなたたちはきっちりスタッフロールまで観、スクリーンを後にした。
隣のスクリーンではどうやら話題の映画がやっていたらしく、多くの人たちが出てきていた。彼らはなにやら映画についての感想を話しているようだが、その映画の内容を知らないあなたには、そのうちのどれも、意味のある音と認識することができなかった。
あなたは映画館を出る。外は熱く、アスファルトの照り返しが目を打ったが、構わずあなたは家へと歩いていく。
そんな中、ふと、あなたは、頭に痛みを感じてうずくまる。
それは割れるような痛みだった。あなたは地面に倒れこんだ。
誰かから肩を叩かれているような気がする。誰かから呼びかけられているような気がする。だが、そのどれも、正確なところはあなたにはわからない。
──そして、あなたは夢から覚めた。
薄明の空の下、朝もやに満ちた国の中に、何やら動いている人たちがいる。その事実を、あなたは認識する。
彼らは一様に体格がよかった。そして、その顔には快活さが満ち溢れていた。
そのうちの一人、リーダー格らしき男が、図面を片手に指示を出す、それを聞いた者は、何やら、木で枠組みを作り始めた。
土台を作っているのだろう。──そう、他の何ものでもない、神殿を再び造り上げるために。
かつての場景は失われ、見る影もない。だがそこには、それを再興しようとする人間たちがいた。彼らの意志は、きっと、全てが元通りになるまで、途絶えることはないのだろう。
──あなたの目に、理想郷はまだ写っているか。
そうして、あなたは目を覚ました。
──〝Is Utopia still in your eyes front of you?〟closed




