「ダウン・バイ・ザ・シーサイド」3
最初に不調を訴え始めたのは、部長だった。
何か寒気がする、としきりに言うので、まさか風邪か、と全員でからかっていたのだが──ふと目を離した時、彼の姿が消えていたので、からかうことはできなくなった。
そこからのことは、正直よく覚えていない。その場の誰もが取り乱していたこと。そして、そんな中で一人ずつ消えていったことは覚えているが──。
ともかく、気付いた時、俺たちは、どことも知らない場所に居た。
どことも知らない──海辺に。
「だ、ダウン・バイ・ザ・シーサイドだ! オレたちは、あれにかかっちまったんだよッ!」
それを言ったのはやはり横溝だった。しかし、その顔に楽しんでいるような様子はどこにもなく、純然たる恐怖だけがそこに君臨していた。
そして、それは他の奴らも同様だった。ダウン・バイ・ザ・シーサイドが現実だったということに対して、宇宙的な恐怖感を覚えているように見える。
かくいう俺も、少し前から体の震えが止まらない。意識こそしていなくとも、しっかりと恐怖しているということだろう。
ダウン・バイ・ザ・シーサイドは、現実だったのだ。
予想が当たった。それも、最悪のものが、だ。恐らく、壁谷は夏休みが始まる前から、ダウン・バイ・ザ・シーサイドに連れ去られていたのだろう。学校を休んだのはそのためなのだ。
俺に見せたあの反応は、恐らく、巻き込まれた相手に対して、いつも見せているものなのだろう。どのようにやるのかは知らないが──ダウン・バイ・ザ・シーサイドから抜けると、現実の座標にたどり着くことになるのだろう。それがたとえ、民家の中であったとしても。
彼はずっと、この恐怖に耐え続けていたのだ──。
「ど、どうすんだよオイ! 横溝ォ! お前分かるだろ!? そういうの詳しいんだからさあ!」
「お、おお、オレが知るかよ!」
「いや、お前しか知らねぇんだよ! なあ、なんかないのか!? あるだろ! 全部の怪異には、対策があるんだよな!?」
「だから知らねえっつってんだろ!」
みんなは尚も言い争っている。
俺はその輪に加わらず、狂ったように辺りを見回した。
そこは横溝の話の通り、永遠の浜辺だった。見渡す限り、どこまでも浜辺が続いている──。
不思議なのは、この場所には太陽が照り付けているというのに、全く暑さを感じないことだった。
今まで暑さを感じていたのが嘘のようだった。その場所には、気温という概念が存在していないかのようだ。
だが、そのことが、逆に俺の恐怖心を煽った。気温が存在しない場所。そんなものは間違いなく現実ではない。
そんな風景の中に、俺はふと、一か所に留まり続ける陽炎を見つけた。空間の歪み。咄嗟に、そんな言葉が浮かぶ。
「おい、お前ら、あれ──」
震える腕を押さえつけ、俺はその陽炎の方を指さそうとした。
と、その瞬間。けたたましい爆音とともに、言い争いを続けていた横溝の背後から、巨大な蜘蛛が現れた。
それは空間を割った、という表現がふさわしいような、唐突な出現だった。
「怪物──」
横溝は動かなかった。唖然としてしまっていて、全く動く気配がない──。
「逃げろッ!」
部長の言葉で、ようやく横溝は動き出した。全速力で駆け、蜘蛛から逃げる。
そんな横溝の努力を、あざ笑うように──。
蜘蛛は、口で練った糸を吐き出した。それは見事に彼の足を捕らえ、転倒させる。
「うッ……うわああああああああッッ!」
横溝の叫び声が、空間に響き渡った。その絶叫に、蜘蛛は奇妙なうめき声をあげ、彼の方へと向かう。
それで、俺は足を止め、今向かっている方向とは逆の方を向き、走り出した。──横溝のいる方向である。
俺は一先ず、巨大な体躯に見合わないスピードで駆けてくる蜘蛛を靴の先で蹴飛ばした。蜘蛛はその攻撃でのけぞった。不意打ちだったので、防御できなかったうえに、面食らったのだろう。
だが、その攻撃に、俺も無傷ではいられなかった。
蹴りを入れた瞬間、俺の足に激痛がはしった。ちらりと見てみると、蹴りを入れた靴が溶けていた。
どうやら、その蜘蛛の体液には強い腐食作用があるらしい。うかつに攻撃をすることはできないようだった。
「くそっ!」
毒づき、俺は、地面に倒れている横溝の足の糸を払った。粘着性はそこまで高くなかったようで、直ぐにはがすことができたが、その代わりに、今度は俺の手に激痛がはしった。どうやら、糸にも腐食性能があるらしい。俺の手は、ケロイドのようにただれていた。
撃退することはできない──。それを、俺も、周囲のみんなも、刹那に悟ったようだった。
「あ、あの陽炎まで走れ! 多分それで出られる!」
手の痛みを紛らすという意図もあり、俺は声を張り上げて叫んだ。それと同時に、横溝に肩を貸して起こしてから、自分自身も陽炎へ向かって走る。
一撃が効いたのかもしれない。蜘蛛がもう一度糸を放つよりも早く、全員この空間から脱出することができた。
──と、ふと。脱出の寸前、俺は視界の端に、倒れている少年を見た。それはどうやら、壁谷のようだった。
彼の眼は空いていた。どうやら、意識があるらしい。
その体は、蜘蛛の糸で覆われている。どうやら、俺たちがダウン・バイ・ザ・シーサイドに巻き込まれる前に、捕縛されていたらしい。
逃げろ。彼の眼は、そう言っているような気がした。




