「ダウン・バイ・ザ・シーサイド」2
翌日は練習があった。
N県立、天岩中学校のバスケットボール部は〝弱小〟という蔑称が示している通り、チームとしての能力が低い。
そしてその原因は、圧倒的な部員不足と、練習日数の少なさにあった。部員は七人。全員がレギュラーだ。そして、彼らは大会前になっても、週三日、という練習メニューを崩さないのだ。そのうえ、夏休みに入っても、そのメニューを続ける気でいる。
尤も、そのことに対して不満を言う者は居ない。俺も含め、誰一人として大会で優勝することなど狙っていないからだ。
奇妙な言い方になるが、俺たちは部活に入っているという社会的信頼を得るために活動をしていた。社会に──信頼。自分で言っていても恥ずかしくなる言葉だ。
「壁谷 優?」
休憩中。友人の横溝に、俺は壁谷のことを訪ねた。彼は一年生の時も、壁谷と同じクラスだったのだ。
「そう。あいつのこと、何か知らないか?」
「何か、って言われてもなあ……パソコン部だよな、確か」
そう言われてみれば、放課後、パソコン室の前で何度か彼を見かけたような気がする。
「友達が多いってわけじゃなさそうだったけど……でも少なくもないと思うぜ」
「つまり……普通の奴ってことか」
その言葉に、横溝は訝しむような表情をした。
「……あいつがどうかしたのかよ」
「……いや、どうもしないけど」
「全く、じゃあ何で訊いたんだ?」
呆れてような顔でそんなことを言い、横溝は練習着の袖で汗を拭い、手に持っていた水筒に口をつけた。
既に八月になり、夏休みも中盤にさしかかろうとしていたが、暑さは一向に引く気配がない。横溝にならい、俺も水筒に入れたスポーツドリンクに口をつけるも、あまり涼しくならなかった。
「おい、そろそろ練習始めるぞ」
ふと、体育館の外に居た俺たちに向かい、体育館の中からそんな声が発せられた。
あれは同輩の、バスケットボール部の部長だった。この部活の中では一番やる気があるが、やることと言えば今のように声をかけることが精々で、顧問にかけあって練習試合をセッティングするだとか、そういったことは一切しないのだった。
部長に返事を返してから、俺たちは、再び暑苦しい体育館の中へ戻っていった。
練習が終わった後、練習着のまま、俺たちは近場の駄菓子屋へ向かった。今度の人数は五人だ。
駄菓子屋に着くと、全員が好き勝手に、駄菓子屋の前にある自動販売機で飲み物を買い、好き勝手に飲みはじめた。誰が決めたわけでもないが、夏休みに入ってから、この流れは定番化している。
俺が凍土の空気のように冷えたジンジャーエールを飲み干したところで、ふと、横溝が口を開いた。
「ああ、そう言えばお前ら、〝ダウン・バイ・ザ・シーサイド〟って知ってるか?」
不意にそう言われたので、俺たちは一瞬面くらったが、俺は直ぐに、
「レッド・ツェッペリンだろ、それ。兄貴が聞いてた」
と答えた。
「そうなのか? その辺の事情は分からんが……それとは違うやつだよ、ほら、あれ──都市伝説だ。やっぱり、まだみんな知らなかったか」
最後には声を潜めつつ、横溝は言い切った。
「またそれか。この前言ってたのは何だったか──鏡に映る少女? もう別のもんかよ。お前ホントにそういうの好きだよな」
仲間の一人が言う。
横溝は都市伝説だとか陰謀だとか、そういった話題に詳しいのだ。そして、そういう情報を仕入れる度に友人に触れて回っているのだ。
「いやいや、今度のは今までのとは違うんだよ」
そう言い、横溝は再び声を潜めて語り始めた。
「ダウン・バイ・ザ・シーサイドはな、巣なんだよ。この世界からは少しずれた位相に張られた、永遠に、どこまでも広がっている浜辺──。そこには得体の知れない化け物が住んでいて、そいつは、その巣にかかった人間を喰うんだ」
「──喰う?」
「ああ。その選別の基準は不明だ。だがそいつは結果として人を巣へ引きずり込み、喰い、その巣を拡大させている……」
巣に引きずり込む。その言葉に、俺はどきりとした。
「……俺には、鏡に映る少女の話とそれ、大差ないように見えるけどな。荒唐無稽に過ぎないか?」
俺はひとまずそう返した。
「まあオレは、鏡に映る方も信じてはいるがな。まあ、荒唐無稽という話は分かる。だが、夢の中で海辺に迷い込んで、化け物に追いかけられたという声が多数上がっている。もしも、それが夢でもなんでもなく、ダウン・バイ・ザ・シーサイドなのだとしたら?
それに、知り合いに平坂高校に通ってる奴が居るんだが、そこのオカ研によれば、三丁目だけで十四件もあったそうだ」
「なんとなく信ぴょう性があるような気もするが──」
横溝が語り終えたところで、俺は再び、落ち着き払った調子で口を開いた。──その心臓は、早鐘のようになりつけているというのに。
化け物に追いかけられる。別位相に巣を張った化け物に。俺は今、その言葉を頭ごなしに否定することができないのだ。
だって。
だって、俺は。
「でも、そういう夢の報告例が多いのは、単に社会の情勢が不安定だからだろ? 夢分析なんてものもあるくらいだ。そういう、心因性のものだと思った方がよっぽど現実的だろう」
俺は早口でまくしたてる。途中、何度も噛みそうになったが、それでも奇跡的に言い切ることができた。
「まあ、確かにな。でもそれじゃ面白みがないだろ、もっと楽しもうぜ、な?」
「…………」
冗談めかしてそう言う横溝に呆れたような表情を返してから、俺はトイレに立った。駄菓子屋の裏には公園があり、そこには、衛生環境があまりいいとは言えないようなトイレがあった。
本当にトイレがしたかったわけではない。これは、気持ちを落ち着けるための行動なのだった。
ズボンを履いたまま洋式の大便器に座り、俺はこめかみに指をあてる。その脳裏には、さっきの横溝の言葉がよみがえっていた。
〝ダウン・バイ・ザ・シーサイドは巣なんだよ〟
〝その巣にかかった人間を喰うんだ〟
〝化け物に追いかけられたという声も多数あがっている〟
俺はそれらの言葉を、頭ごなしに否定することができない。
だって俺は、昨日、出会っているのだ。
どこからともなく現れ、その理由を質問すると、ひどく空虚な表情を浮かべる同級生に。
もしもダウン・バイ・ザ・シーサイドの都市伝説がすべて事実だとすれば、昨日の現象には全て説明がつく──。
今なら分かる。ひどく引っかかっていたあの表情の理由が。あれは〝恐怖〟の表情だったのだ。
どこか遠くから、セミの声がした。
個室の中はあり得ないほど暑かった。俺はその熱気に圧されるようにして、トイレを後にした。
戻った時、既に話題は変わっていた。それは学校の話題だったので、俺はさりげなく、横溝以外の奴にも壁谷のことを訊いてみることにした。
「壁谷かー。話したことないな」
「俺もだ。ああ、でも、委員会で一回だけあるな。大人しい奴だよな、あいつ」
「そう言えば、夏休み前に数回休んだことがあったよな」
その言葉に、俺は目を見開いた。そいつは、思いのほか反応が良かったことに味を占めたのか、話を続けた。
「そんでもっかい来た時に、今にも死にそうな顔しててさ。あの時はちょっと怖かったよなあ」
「え? そんなことあったか?」
横溝が驚いたような声をあげた。そんな彼に、そいつは「薄情だな」というようなことを言っていたが、それは俺も同じだった。
──もしも、件の都市伝説が、全て真実だったなら。
その後、俺たちは、学生をメインターゲットにしているうどん屋で昼飯を済ませてから、部長の提案でカラオケに行くことにした。
実際、その日だけでかなりの金が吹き飛んだことになるが、カラオケのクーラーに当たることができたことを考えると、安いものだと思う。
フリータイムで入った俺たちがその店を出たのは、結局、午後の七時を過ぎた辺りになった。
幸い、そんな時間になっても空はまだ明るかったので、このまま家に帰れば、怒られずには済むだろう、と誰もが思っていた。
──しかし。
この後、誰一人として、予定通りに家に帰れた者は居なかった。




