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「陽の当たらない場所」4

 次の日の彼女は、定時報告によってたたき起こされた。

 寝ぼけ眼をこすりつつ、彼女は数分で仕度をし、レーンのラボへと車を走らせた。空間転移の魔術は割高であるため、彼女はあえて使い魔を利用することで出費を減らしていた。この任務に使える金額の上限は一億円だ。一見多いようだが、私的な出費を重ねていれば簡単に底が尽きてしまうような金額でもある。

 ラボに着くと、彼女は魔術を解くことなく、そのまま車を乗り入れた。魔術僻地内には、駐車場も整備されているのだ。

 使い魔が機械的な正確さで停車を終えたのを確認すると、彼女は魔術を解き、車から降りた。

 その瞬間、彼女はふと、背筋に悪寒を感じた。

(……嫌な予感がする)

 それは科学的根拠も、魔術的根拠もない、極めて人間的な不安に過ぎなかった。

 彼女は魔道書のページをあらかじめ開けておき、小走りになってラボへと入っていった。

 ──そして、目撃する。

 ラボが、壊滅している、その光景を。

「──な」

 楓は、声が出なかった。

 ラボ内はまるで、嵐が通った後のようにめちゃくちゃにかき乱されていた。ドーム状の空間のあちこちにはひび割れが確認できる。天井を成していたステンドグラスの大部分は粉々になって地面へと降り積もっており、そうして穴の空いた天井からは、僻地外部の風景が顔を覗かせているのだった。

 当然、コードももう使い物にはならない。それが繋がれていた計器も今やぼろくずだ。おまけに、地面の幾何学模様も魔術言語も、全て、内部の術式ごと破壊されている。視認こそできないが、浄化の術式も死んでいるだろう。

 そんな圧倒的な破壊現象の中心には、8つの人影があった。

 そのうち7つは、深紅のフードを目深に被ったもの。かつて教本で読んだ、人間界の吸血鬼の容貌そのものだった。太陽を克服してなお、彼らは肌を光の下に晒すことを嫌う──。

 そして最後の一つは、ベゴニアだった。彼は服こそ喀血で汚れているものの、その皮膚には全く傷がついていなかった。ただし、その腕は鎖で拘束されている。

 楓は悟った。揺籃(ようらん)の時は終わったのだ、と。吸血鬼の重い腰は上がり──人間から、選択の自由は失せた。

 彼らはベゴニアを回収するのだ。そして、永遠に彼を拘束し続けるのだろう。その身の呪いで、死に至るまで。

「……かえ……で」

 ふと、弱々しい声でベゴニアが楓を呼んだ。

「ベゴニア!」

 楓は咄嗟に呼び返し、吸血鬼たちの視線を自分の方へ集めると同時に、展開しておいた魔道書から魔術を発動する。

 瞬間、吸血鬼達の足下から、無数の槍が生えた。

「無駄なことを」

 吸血鬼の一人がぼそりと言う。

 槍には一応浄化魔術が付与されている。対吸血鬼用のものだ。だが、そんなものはちんけな子供だましにも劣る。

「狙いが違うのよ」

 言い、彼女は出資金額を宣言せずに、再び魔術を発動させた。

 今度のものは吸血鬼達の頭上に発生した。──ただ純粋な、光が。

 その照度は、およそ2万ルクス。これは晴天時の太陽光が生み出すものの、五分の一ほどの数値だ。太陽を克服した吸血鬼たちにダメージを与えるには、あまりにも弱い一撃だった。 だが、彼らにはそれで十分なのだ。吸血鬼たちは本能的に、太陽光を嫌っている。いくら肉体的耐性が完璧でも、その本能までは、どうしようもない。

 吸血鬼たちは一瞬、その光におののいて腕で身を守った。

 それが隙となった。楓はそれを突き、瞬間移動の魔術を連続発動させることで、ベゴニアを巻き込んで魔術僻地から脱出した。

 ベゴニアを縛り付けていた鎖は、高度な魔術で形成されていた。それは他の魔術の発動を阻害する効果を持つものだ。だから彼女は、一撃目でその鎖を断ち切ったのだ。鋼鉄を生成する魔術により、魔術ではない事物を射出することにより、鎖の制約から逃れた。

(小細工が通用する相手で助かったというところだけど──)

 彼女は、最初にベゴニアと出会った山奥まで移動していた。

 今彼女に打てる手は、二つ。吸血鬼達が追ってくるスピードを考えると、彼女が決断に使える時間は、僅か5分だ。

 一つ目は、このまま仄宮の本家まで逃げ帰り、保護を求めるという手。

 だが、これには重大な問題がある。──吸血鬼達に勝利してしまう、という問題だ。

 不可侵条約のこともあり、仄宮がバックにいれば、吸血鬼達は、ルールの上では彼女を追うことができなくなる。──そこが問題だった。

 吸血鬼達は今、人間に出し抜かれたことで憤慨しているだろう。その怒りは、恐らくルールをねじ曲げてしまうほど強いものだ。

 現在の吸血鬼達は、恐らく、仄宮と戦争になろうと、面子さえ保てれば一向に構わない、と思っている。

(そうなれば、仄宮は間違いなく失墜する──何もかもがお終いになってしまう。それだけは、避けなきゃあいけない)

 もう一つの、手は。

 ベゴニアを、吸血鬼達に差し出すという手。

 そうなれば、彼女の出世は厳しいものになるだろうが、相手は吸血鬼だ。それほど重大なミスにもならないだろう。

 迷うことはない。

 このまま、ベゴニアを差し出せば、全てが丸く収まる。

 ──大体が、過ぎた望みだったのだ。

 ──自分に吸血鬼の解析など、務まる筈がなかった。

 ──何もかもなかったことにできると言うなら、それでいいのではないか?

(……違う!)

 強く、彼女は否定する。

「……もう、いい……」

 だが、ベゴニアは違った。

「……え?」

「だから、もういいんだ、楓さん」

 それは突き放すような声色だった。

「な、何を言って──」

「おれを連中に差し出してくれ」

 その声は肉体的限界の所為で弱々しかったが、芯のあるものでもあった。

「そんなこと、出来るわけないでしょ」

「……なぜだ? あなたに、おれを庇う理由があるのか?」

「理由って……そんなもの……」

 そこで、彼女は言葉に詰まった。

 ベゴニアは、あくまでも吸血鬼殺しの秘術のための道具でしかない。金稼ぎの道具だ。金のみが支配する市場の原理に照らし合わせれば、ここでベゴニアを庇うのは損でしかない。

 ──にも関わらず、どうして。

「それは、その──」

「……ないんだろう?」

「あなたは実験体で──吸血鬼殺しの切り札で──希望で──それで」

「対話は無駄、じゃなかったのかな」

 その言葉で、楓は深く俯いた。そして、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「……ごめんなさい、ベゴニア」

「……ふむ?」

「私は、あなたにかける言葉を見つけられない。何一つ、ピンとくる言葉がない。こんな……こんな時だって言うのに……!」

「……そこだな、問題は」

「ええ……私は問題だらけで、役立たずで……」

「ああ、それは違う。おれが言ってるのは、そういうことじゃない」

 ふと、その言葉に彼女は顔を上げた。潤む目で、しっかりとベゴニアを見据える。

「対吸血鬼とか、ビジネスとか、そういうことにあなたは囚われているが──あなたの優しさと、そういう冷酷な言葉が、いまいちかみ合わないんだ」

 楓は黙っている。

「この前は言葉が足りなかったな。そのことについては反省している。──だが、考えは変わらない。あなたは、自分では気付いていないかもしれないが、これまでずっと、自分よりも遙かに強力な怪物である筈のおれのことを、名前で呼んでいた。そこに恐れはなかった。合理性のない優しさが、そこにはあった」

 楓は黙っている。

「本当は、分かっているんだ。その出世欲が、借り物だということを。我々は皆、人間も吸血鬼もなく、その相対的な気持ちから自由になることはできないのかもしれない。だがそれでも、その思いが自分自身を傷つけるというなら、そんなものは捨て去るべきだ。──おれは、そう思う」

 楓は黙っている。

 声を出すことは、できなかった。

 後から後から、熱いものが溢れてきて、それを止めることができなかったのだ。

 ふと、ベゴニアが長く咳き込んだ。喀血だ。その血は地面へと溢れるが、構わずベゴニアは咳をし続けた。いや、し続けなければならなかった。その肉体に刻まれた、呪いにも似た「なにか」に、それを強制されていた。

「もう……永くない、かな……」

 空を仰ぎ、ベゴニアはそう呟いた。

 ──それと前後するようにして、事態は起こる。

 空中から、コウモリのような翼を持った人影が高速で降りてきたのだ。すかさずベゴニアは楓を抱えて跳びすさる。その一瞬後に、地面にクレーターが出来た。

 ──一撃を受けていれば、死んでいた。

「観念しろ、化け物」

 人影は──吸血鬼だった。フードをとることのないまま、高慢そのもののような声で言葉を発する。

 吸血鬼は次から次へと降って来、最終的に7体にまで増えてしまった。

 万事休す。楓の脳裏に、そんな言葉が浮かぶ。

「大丈夫だ。あなたは死なせない」

「クハハハ。実に感動的な台詞じゃないか。だが無駄だ。そんなものは所詮、何の意味も持たん屑に過ぎない」

「そいつはどうかな」

 ベゴニアが言った瞬間。

 ふと、吸血鬼の一人が咳き込んだ。それを皮切りにし、他の個体も咳き込み始める──その掌には、べっとりと赤黒い血がついていた。

「な……!」

「考えていたことがある──この“呪い”は、本当に自分だけに付与されたものなのか、と。これは言わば、世界の法則のようなものなのではないか。死のない種族に、死を思い出させるための──」

「わッ、わからんことを抜かすなッ! ええいッ! くそ……ッ!」

 吸血鬼達は狼狽えている。勿論、喀血がその無敵の肉体を即無効化するわけではない。あくまでも楓たちは劣勢だ。

 だが、吸血鬼達が隙を見せたというのもまた、事実なのだ。

 瞬間、ベゴニアは指を突き出し、魔術を行使した。

 それにより、吸血鬼達の周辺に、光の粒が集まっていく。

「瞬間移動の魔術だ──魔界へ帰れ」

 吸血鬼達は、ベゴニアに何かを言い返そうとした。

 だが、それは叶わなかった。その声さえも、魔界へと転送されてしまったからである。

「ど、どうやって……?」

「一度食らっただろう、この魔術は。その時に脳内で解析を済ませたんだ。魔界の座標情報は本で読んでいたし──」

 言葉は、最後まで続かない。喀血だ。

 血をひととおり吐き終わった時、ベゴニアの体には、ひび割れが刻まれていた。

 肉体の限界なのだ。吸血鬼に失血死はない。だが、その肉体を維持するうえでの限界はあるということだろう。

 ベゴニアは背後にある大木に体をあずけ、ずるずると地面にへたり込んだ。そこに彼女は数歩近付く。

「……お別れみたいだな」

「……ええ」

 山道からは外れた、ちょうど木のないその空間で、ベゴニアは息を引き取ろうとしている。 その場所からは川のせせらぎも、鳥の声も、葉擦れの音も聞こえる。だが、それでは足りない。──そう、楓は思った。この男を送り出すには、この光景では足りない。

 楓は魔道書を開く。最後の魔術だ。自分から、ベゴニアへの。

「……花、か」

 彼女が生成したのは、花畑だった。ピンク色をした、和菓子のような形の花たち。

「……妙な花だな……」

「秋海棠(しゅうかいどう)。日陰でもしっかり育つらしいわよ、これ」

「……なるほど」

 結局、それが最後の言葉になった。

 ベゴニアの肉体は崩壊した。赤色の灰になり、地面へと崩れる。

「…………」

 彼女は、しばしそうして、灰のこびりついた大木を眺めていたが、やがてその場を去った。花畑は、まだ残り続けている。

 これからどうするのか。

 どこへ向かうべきなのか。

 彼女には、まだ分からなかった。

 陽の光は、鬱蒼と茂った木々に阻まれ、僅かに降り注ぐ程度だった。陽の届かない場所を、彼女は歩いて行くのだった。


“The story of twilight”closed

圧倒的型月感に自分でも震えています。

あと上遠野作品の影響が強すぎる……。

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