「陽の当たらない場所」2
吸血鬼は何世紀にもわたる進化の果てに、完全なる不老不死を実現した。
流血も、病気も、苦痛も、死もない、究極の生物。彼らを人々は憎み、恐れた。だが、その感情にほとんど意味はなかった。究極とは、対抗手段が介在しえない故に究極なのだ。それは絶望にも等しい。人間は彼らを迫害できなかった。彼らを怒らせることこそ、自らの破滅であるということを本能的に悟っていたからだ。
吸血鬼の個体数は少ない。増える必要がないからである。だからこそ、人間と彼らの間には完全に対等な不可侵条約が成立した。本来、実力的に下の立場にいる者とその対極に位置する者との間にそんなものが成立することはあり得ないのだが、個体数の少ない吸血鬼は、その居住区が小さくとも良かったのだ。そのうえ、彼らは隠者のような生活を好む。人間の利害と、吸血鬼の利害とは、奇妙な形で一致した。
「あなたは、究極である筈の吸血鬼一族の中に生まれた「歪み」──。不死の吸血鬼は、たとえ同族であろうと殺すことはできない。だからこそ、「死に向かっている吸血鬼」という、自らの存在をおびやかす矛盾存在が生まれても、対処ができなかった。
歴史が変わろうとしている。吸血鬼の死か、人間の死か。そのどちらかによって、ね。あなたはその切り札なの。……まあ、わざわざ声に出して確認しなくとも理解してると思うけど」
その長広舌に、ベゴニアは頷いた。
「おれの存在がより多くの者に知れれば、争奪戦が勃発するだろう。人間対吸血鬼の争奪戦──だがそれは、人間側の敗北が決定づけられたものだ。なにせ、吸血鬼は不死だからな」
「そこであなたを利用したいのよ。単刀直入に訊くけど、あなたは一体、何なの?」
その問いかけに、ベゴニアはしばし瞑目した。
そして息を吐き、言葉を吐く。
「それが、おれにも分からないんだ。一つ分かることは、これは病気でも魔術でもないということだけ。
恐らくこれは“呪い”のようなものなんじゃないか。おれはそんな風に思っている。吸血鬼と人間。その両陣営を超越した存在なのではないか、と」
「呪い、ね。随分オカルトチックだけど、そんなこと、私たちが信じられると思う?」
言いつつ、楓は横で解析をしているローブの研究者の方を向いた。彼は黙って首を横に振った。ベゴニアが嘘をついていない、ということを現す動作だ。
「嘘などはつかないよ。安心してくれ」
「そうはいかないのよ。他人を心底から信じられないタチでね」
「しかし、オカルトチックとはな。一般社会からすれば、魔術などというものは質の悪いオカルトにしか映らないだろうに」
「意外ね。情報は統制されてるんじゃなかったの?」
その問いかけに、ベゴニアは苦笑しつつ答えた。
「人間がいかに愚かしい存在か、ということは教わっていた」
「陰湿ね、吸血鬼ってのは」
「敵のことを悪く言うのは当然のことだろう?」
「敵……。敵か、私たちは」
「当たり前だろう?」
「いや、吸血鬼ってもっと超然として、私たちのことなんて眼中にない、って感じだと思ってたんだけど」
「脚色があるな。そんなものは幻想に過ぎないよ。彼らは嫉妬深い」
「同胞を悪く言うっていうのも彼らの教え?」
「いや、おれ自身の教えだ」
「自由意志があるのね、あんたには」
「他人の心を完全にコントロールすることができる種族など居ないだろう。人間はその最たる例じゃないのか」
「まあ、確かにね。それができれば、子どもに手を焼く親なんてどこにも居なくなるわ」
「……それは実体験か?」
「さあ、どうかしら。少なくともあの人たちは、手を焼いてるって認識はないと思うけど」
「……色々あるんだな、あんたにも」
「まあね」
そこで、しばしその場には沈黙が降りた。
「仄宮のこと、訊かないの?」
「言いたくないだろう? 訊かないさ」
「優しいのね。あなた、本当に吸血鬼?」
「これくらい誰にでも言える」
「それもそうか」
そう言って、楓は笑った。
こうして会話をしている間にも、解析は進んでいる。
この会話は、実際、ほとんど意味のないものでしかなかった。楓の気まぐれの道楽に過ぎない。
だが彼女は、ベゴニアとの会話を楽しんでいた。
「吸血鬼の集落って、どんなとこなの?」
「基本的には人間たちの街と変わらない。天を衝く摩天楼を、魔術僻地内に延々と構築して、その中で生活をしている……らしい」
「……らしい?」
「おれがそれをこの目で見たのはたった二度だ」
「……じゃあ、あなたはどこに住んでいたの?」
「図書館のような施設に、軟禁のような形で閉じ込められていた。窓のない建物だった。そこでおれは、ひたすらに本を読むことだけをしていた」
「……図書館、ね」
「そこに魔術の本はなかった。あったのは魔界の書物だけ……いや、それは嘘かな。少しは人間の本もあったよ」
「へえ……どんなの?」
「残酷郷小説とかだ」
「……なんとも趣味の悪いことで」
「違いない」
しばしその場には沈黙が降りた。その間にも、ドーム内にはキーボードを叩く音が響いている。
「ねえ、そう言えば、私魔界のことってほとんど知らないんだけど」
「ああ、人間にはあまりなじみのない世界だったかな。イギリス本土にあるいくつかの魔術結社は、魔界との繋がりが深いと聞いたことがあるが……」
「どんなとこなの? 本の知識でいいから、教えてよ」
「先ず、空が白いらしい」
「……曇り空ってこと?」
「そうでもない。どうも、それは何も描かれていないキャンバスに近いものらしいんだ。その下で、魔族たちは生活している」
「えと……魔族って……」
「ああ、これもなじみのない単語か。まあ、人間の文脈で言うところのモンスターだ。ドラゴンとか、ゴブリンとか、オークとか」
「意外とオーソドックスな“異世界”ね」
「そうでもないさ。君たちの想像しているものとは大分形状が違う。そこにいる本家吸血鬼も、人間たちの美的センスから言えば大分グロテスクな見た目をしているしな」
「へえ……みじんも行きたいって気持ちにならないわね」
「でもあなたは、そこから魔術を買ってるんだろう?」
「まあね」
久宝魔術は、魔界と金銭によって魔術の取引をする魔術だ。他人の研鑽や発明を、市場の原理に当てはめて使役する、身も蓋もない、資本主義的な魔術──。
「……ん? ということは、あなたたち吸血鬼は、その魔界からやって来たってこと?」
「正確には亡命だな。魔界でイニシアティブをとれないことに腹を立てた種族が、数千年前にこの世界へやって来た──らしい。人間的な造形も、その時に身につけたという」
「なるほどね……しかしそうして考えると、よく生き残れたわね、吸血鬼って」
「──え?」
「だって最初は、まだ不老不死じゃなかったわけでしょ。食事もしなきゃいけなかっただろうし、他の生物との折り合いもつけなきゃいけなかった。そんな状況に耐えかねて絶滅した生物って、この世界じゃ珍しくもないんだけど……魔界は違うのかしら」
「どうだろうな。そもそも魔界では、他の種族に対しては関わらないことが基本だという。そんな中では、絶滅した種族のことなど気にかける者はいないだろう」
「……なんか、寂しいのね」
「そうだな。そう考えると、人間はまだ他人に寄り添ってる方だと言えるな」
「……皮肉、って言うのかしら、こういうの」
「どうかな。……で話を戻すと……原初の吸血鬼たちは、どうも人間に協力していたようだ。いくつかの文明には魔術を提供していたようだし、それに対して人間は見返りも与えていたという」
「隠者じゃないの、彼らは?」
「本質的にはそうだっただろう。だが、それだけでは生きていけないと、かつての彼らは知っていたんだ。だが今は、もう違う」
「ふうん……」
「あなたは、どうなんだ? 今、こうしておれのことを解析して、他の人間達に先んじようとしているわけだが、他人と協力しなければいけない、みたいな思いはあるのかな」
「さあ、どうでしょうね……」
そこで、彼女は時計を見た。
「定時になった。それじゃ、私は帰るわ。また明日ね、ベゴニア」
「ああ、また明日」




