エピローグ
「ん……」
目を覚ますと、有は自分がベッドに寝かされていることに気付いた。
「……ここ、は」
天井から壁まで、清潔感のある白一色。右に視線を向けると窓の外には薄桃色に咲き誇る桜と、その向こうには青空が広がっている。
どうやらどこかの病室らしい。
意識を失う前のことを思い出す。強敵を倒し学校を救ったというのに達成感と呼べるものはなく、寂寥感が有を苛む。
感謝も別れの挨拶も出来ず、守れなかった少女の笑顔が浮かんでは消える。
たった一週間にすら満たない時間だったが、騒がしくも楽しい毎日だったと素直に思える。
だからこそ、もう少しこの生活を続けても良かった、もっと優しくしてやれば良かったという後悔ばかりが沸いてくる。
「有さん……ふみゅ」
しまいに幻聴まで聞こえてきた。
気分を変えようと上体を起こし――
「………………………」
目の前に有り得ないものが見えた。
「よーし、落ち着け俺。目が覚めてすぐあんなことなんか思い出したから幻覚まで見るんだ。クールになろう」
目を瞑って三回深呼吸。
そして、目を開く。
……………
…………………
………………………
何度見ても、有の足の上に寄りかかって寝息を立てる冥がいた。
「……ふむ」
ぷにぷに。
「んっ……」
むにー。
「にゅう……」
柔らかい頬っぺたをつついたりつねったりして、幻ではないことを確かめる。
途中から、その感触が気持ちよくなって意味もなく繰り返していると。
「むにゃ……あ、れ……?」
ゆっくりと冥が目を開いた。
慌てて有も手を引っ込める。
「お、おはよう冥。元気か?」
「有……さん……?」
若干上ずった声で挨拶する有を、数回瞬きしながら冥は見つめて――
「有さんっ!」
がばっと勢いよく有に抱き付いた。
「な、ちょ、冥!?」
「有さん! ……有さん有さん有さん……っ!」
有の名前を連呼する冥。最初は押し付けられる胸の感触にどぎまぎしていた有だが。
「め、冥……ぐるじ、っ……」
「え? ……あ。ゆ、有さん!?」
首を絞められ白目を剥く有の青い顔を見て、慌てて冥は有を解放した。
「し、死ぬかと思った……」
「ごめんなさい……」
息を整える有と、しゅんと小さくなって謝る冥。
「……でも、無事でよかった」
その頭を優しく撫でる。
「あの時、冥が死んだんじゃないかと思ったんだからな?」
「私も、実はそう思っていたんですけど……」
実際、あの時冥は人間なら致死量のダメージと出血でほとんど意識もなかった。
「ですけど、顕在化する力もなくなったせいか、完全に消滅する前に霊子化出来まして」
「あぁ……そういうことか」
DSは使い魔が実体化が困難なほど傷付くと、半強制的に霊子化して治癒のために使い魔を格納する機能が付いている。一瞬のうちに完全消滅でもしない限り、使い魔に死亡という概念はない。
そして、冥も一部のリミッターを外しているとはいえDSを介して契約した使い魔。その恩恵に預かれるのも納得だった。
よく考えればすぐに思い付くことに気付けなかった程度には、自分も切羽詰まっていたのだと有は心の中で言い訳する。
「でも、有さんだって丸二日も目を覚まさなくて、私だって心配だったんですからね?」
「え? 二日……?」
「今日、もう日曜日です」
「マジか……」
むしろあれだけ精神的な消耗をして、よく二日で回復したというか。
「私も昨日には一応それなりに回復しましたけど、有さんは眠ったままで……」
「……悪かったな、心配かけて」
「くす。お互いに謝ってばっかりですね、私たち」
「だな」
なんだかおかしくて、笑いが込み上げてくる。
「……それで有さん、今聞くのもなんですけど……」
「ん? どうした。言ってみな」
躊躇う冥を促して。
「えっと、有さん仰ったじゃないですか。とりあえず一週間のお試し契約だって」
「あー、そういえば言ったっけ」
あまりにもハードな一週間で、すっかり忘れていた。
「それで、今日でその一週間です。私は、有さんの使い魔に相応しくあれたでしょうか?」
居住まいを正して、冥は真っ直ぐに有を見つめる。その目は隠しているつもりだろうがほんの僅かに不安の色が滲んで。
「………」
最初は軽く返そうと思った有も、それを見てゆっくり言葉を選ぶ。
「……合格」
「ぁ……」
驚きと喜びに、冥の顔にぱっと朱が差す。
「むしろ、俺なんかでよければ好きなだけいてくれていい……いや違うな。いて欲しいんだ、冥に」
いつも全力な冥を見ていれば、またあの絶望に諦めてしまうこともないだろう。
だから、使い魔として支えて欲しいという想いを素直に伝える。
「……もう、有さんってば。前にもいいましたけど女の子を勘違いさせようとしてわざと言ってません?」
「本音だからな。言い繕うよりよっぽどマシだろ?」
「開き直らないでくださいー」
「はは」
愛情か、友情か。憧憬かもしれないし、その全部かもしれない。
けれど、一緒に歩みたいという想いは、間違いなくここにある。
「さて」
ひとしきり笑いあって、有はベッドを下りて忍び足で扉に近付く。
「……よっと」
「きゃっ!」
引き戸を引くと、バランスを崩した舞花がたたらを踏んで病室に入ってきた。
「やあ北部。元気そうで何より」
その後ろには何事もなかったかのように笑う翔、それに変わらず眠たげな表情の亜理葉と呆れ顔の白狼もいた。
「いつから聞いてた?」
「伏戸が北部の名前を連呼したあたりかな」
「ほとんど最初からじゃねえか」
「ご、ごめんね北部くん。ただ、その……」
申し訳なさそうな舞花を庇うように。
「まぁそういうな。昨日からずっと心配して付きっきりだった使い魔が、主人に甘える時間を邪魔するほど俺たちも野暮じゃないってだけだ」
「っ――衛本、今なんて」
「……安心して」
冥を指して使い魔と読んだことに驚く有へ、亜理葉が優しく微笑みかける。
「……伏戸さんの正体について、あの場で気付いたのは私たちだけだから」
「むしろ、お前の正体の方が話題になってるな」
「そうそう。はい、これ見て」
舞花が手渡したDSを見る。画面に表示されていたのはどこかのまとめサイトで、記事のタイトルを読み上げる。
「……『【名無しの氷狼使い】の再来! 学校を救った英雄の素顔とは!』……なんじゃこりゃ」
「事件のあと、あちこちのSNSで事件の話が拡散してな。情報の出所はお前と氷室教諭のバトルを見た生徒たちだ」
「個人情報もへったくれもないな……うわ、動画まであるのかよ」
記事には事件の概要に、九頭竜坂高校の生徒からと称する証言が並んでいたが、事実もあれば尾鰭が付きまくったものまで様々だ。
「警察にも口止めはされていたんだが、口に戸は立てれぬというか……まぁ、ご愁傷さまだ」
『それから、我が主』
申し訳なさそうに、ビトは有を見上げた。
『変質の影響でしょうか。小生、以前のように擬態することが出来なくなってしまいました』
確かに今のビトは大型犬程度のサイズだが、見た目は【叡焔賜りし雪那の騎狼】のままだ。
「あぁ、うん。それはもういいや」
こうも拡散されては隠しようもないし、それにもう隠すつもりもない。有は白狼の顎を撫でた。
「それと、ことの顛末だ。言うまでもなく氷室教諭は逮捕された。ただ共犯と思わしき男子生徒の方は昏睡状態で入院。回復するかはわからんそうだ」
「そう、か」
氷室にも遠阪にも同情する気はないが、あまり後味のいいものではなかった。
「犯行に使われたDSiは回収されて解析に回された。そっちはお前の母親の方が詳しいだろう」
「……それから、入学式も延期。というより少なくとも一週間は学校も閉鎖かな。修繕とかいろいろあるし」
「そうですか……なぁ冥」
「はい?」
「冥の権能で出来ないか? 校舎の修繕」
丸二日経過したというのが不安ではあるが、時間を巻き戻すことで直せないものだろうか。
「そうですね、たぶん大丈夫です。いえ、有さんに手伝ってもらえるなら、なんだってお応えしちゃいます!」
両手で握り拳を作って気合いを入れる冥。
「愛されてるねぇ」
「やかましい」
「……北部くん、担任として不純異性交友は見逃せないよ?」
「先生も乗らなくていいですから」
「わたしは、二人お似合いだと思うけどなぁ」
「米倉! その話はもう蒸し返すな!」
ぎゃあぎゃあと病室であることを忘れて騒ぐ有たちを見て、冥はくすりと笑う。
昨日のうちに、冥はビトに助けてもらいながら、三人に事情をすべて話した。
それでも三人ともこうして変わらず接してくれている。そのことが嬉しいし、この三人と知り合えたことを誇らしく思う。
「有さん」
「ん?」
話題が変質したビトのことに移ったところで、冥は念話ではなく、有にだけ聞こえる小さな声で。
「楽しいですね、すごく」
「……そうだな」
悪魔も人間も関係ない、有も願っていた光景。
「変わってなかったのは、俺だったのかもな」
「え?」
「なんでもない」
自嘲して、窓の外に目をやる。
爽やかな春の青空に、ひらりと二枚の桜がじゃれあうように舞った。
【了】
他人と真っ直ぐ向き合いたいと願う少年と、いつでも真っ直ぐな少女の物語。
私にとっても初めてのオリジナル長編『メフィストフェレス☆イグザミネーション』、読者の皆様は楽しんでいただけたでしょうか。
もし、少しでも面白かったと思っていただけたなら、作者としてこれほど嬉しいこともありません。
さて、この物語の原型を思い付いたのは、今からおよそ四年ほど前になります。
同時大学生だった自分の頭の中に、講義中「メフィストフェレスから伏戸冥って名前のヒロインとかよくね?」というアイディアが降りてきたのがすべての始まりです。
それからは主要なキャラクターはわりあい早く決まったにも関わらず、世界観の構築で二転三転する羽目になりました。
最初は某ダ・カ◯ポと某タ◯タマを組み合わせたような世界観で、未熟な悪魔っ娘と偶然主人に選ばれた少年の話で、悪魔は一般に知られていない存在という設定でした。
願いが因果を改変するという概念や、悪魔の誕生過程にその影響が見られますね。
しかしどこで何を間違えたのか、某怒りの日成分が混入し、派手な場をする上で悪魔の存在は公然としている方がいいとなり、某Z◯Xで無理矢理型に嵌めて現在の形に押し込むことが出来ました。
そんな紆余曲折の果てに書き上げた今作。自分にとって初の一〇万字越えの長編作品で、拙い部分も多々あることでしょう。
読者の方々におかれましては、良かったところも悪かったところも、是非感想なりでお聞かせください。有や冥たちキャラクターもきっと喜ぶことでしょう。
彼らの物語は一度区切りが付きましたが、続く構想も用意してあります。いつかまた、語ることが出来るように自分も精進していく所存です。
ではまた、次の作品でお会い出来ると信じて。
―― 二〇一六年四月一三日 土砂降りの雨降る夕刻に




