Ultima ratio - 10
「んっ……あれ? わたし……?」
ひどい倦怠感に襲われながら、舞花はゆっくりと目を開けた。
ぼんやりした頭で辺りを見渡す。最初は理解出来なかったが、急速に意識が覚醒していき――
「なに……これ……」
目の前に広がる光景に、舞花は我が目を疑った。
整然と並んでいた椅子は無惨に吹き飛びひしゃげ、天井から壁から蒼白く凍り付いている。
壁のあちこちに傷が走り、特にステージの壁面には巨大な爪痕が深々と穿たれている。
幸い倒れていた生徒に怪我はないようだが、むしろこの惨状で全員が無事ということが異常性を際立たせる。
「っ……!」
きゅっと震えだした肩を掻き抱く。同じように目覚めた生徒たちも、理解を越えた事態に恐怖し混乱している。
――ルォオオオオオオオオオン!
「なに……なんの声なの?」
突然響き渡る咆哮に、冥は首を巡らせる。
だが、それは不思議なことに驚きこそすれ不安を煽るようなことはなく、むしろ勇気を奮い起たせるような音色に聞こえ。
そして舞花はその声をどこかで、それもつい最近まで長い間聞いていたような気がした。
「おい……あれ! 見てみろよ!」
窓からグラウンドを眺めていた男子生徒が、慌てた様子で他の生徒たちを手招きする。
重い身体を引きずるように一人、また一人と手近な窓に集まっていく。
舞花もまた、その輪に加わって自分の目で外を確かめる。
「あれは……」
グラウンドに立つ巨大な黒い怪物と氷室の姿。
それと対峙する、ぐったりとした女子生徒を抱き抱えた男子生徒。その後ろには、一条の炎を体側に走らせた、白銀の毛並みを持つ巨大な狼。
「冥ちゃんに、北部くん……それに、ビトくんなの……?」
見知った顔ぶれに、舞花は今日何度目かわからない驚きに目を丸くした。
――ズザァアアアッ。
「む?」
突然、ぼろ布のように吹き飛ばされた姿から一転、空中で姿勢を整えて冥を抱き抱えたまま着地した有に、氷室は怪訝な顔をする。
「まだ動けたのですか。本当に、しぶといな君は」
「………」
氷室の言葉に有は無言。
「しかしもう終わりでしょう。あまり粘ると悪戯に苦しむだけです。苦しまないよう一思いに――」
「ビト」
まるで氷室などいないかのように、有は己の使い魔だけを見る。
「悪い。ちょっとキツいかもしれないけど、我慢してくれ」
そう言って、DSをかまえて。
「うぉおおおおおおおおおッ!」
「な、何を……!?」
有が吼えた、その瞬間。
DSから紅蓮の炎が吹き出し、白狼を包み込んだ。
「……何をするかと思えば、とうとう気が狂っちまったみてぇだな」
憐れみの視線を有に送る。
自らの氷の使い魔に炎をぶつけるなど、まともに考えて自殺行為でしかない。
しかし氷室は失念していた。有もその使い魔たちも、最初からまともではないということを。
――ルォオオオオオオオオオン!
「な、に――?」
炎に包まれたはずの白狼が吼え猛る。
それを合図に紅蓮の炎球に蒼白の吹雪が交じり、潰しあうことなく調和して渦巻く。
紅蒼の竜巻は天へと伸び上がり、そして有の後ろへ勢いよく落下して弾けた。
その中から、逞しい四肢で大地を踏み締める雄大な白狼が姿を現した。
雪原を思わせる毛並みはそのままに、鬣から左右の体側に沿って一条の炎が吹き上がっている。
「安直だけど、【叡焔賜りし雪那の騎狼】ってところか……大丈夫か、ビト」
『………』
「……ビト?」
反応のない白狼に、まさかあの魔神が言っていた変質の影響かという想像が浮かび――
『……我が主。冥嬢に無茶をするなと言っておいて、貴方自身無茶が過ぎます』
じろりと半眼で睨まれた。
「へ……?」
『まったく、どうにも我が主はその信念からか一度こうだと決めると見境が無さ過ぎるのです。はっきり言えば馬鹿です』
「な――おま、言うにこと欠いて馬鹿って……」
『ですが』
呆れたような半眼が、半月のように笑った。
『小生もそんな馬鹿の同類ゆえ、我が主のその想いを好ましく感じます。今までも、これからも』
「あ――ビト、もしかしてお前……」
『すべて、あの炎狼の侯爵閣下から伺いました。この炎も好きなだけ使えと』
今までは吹雪を吐いていた口吻が、紅い炎を吹き出す。
「――なら馬鹿ついでに頼み事があるんだけど、聞いてくれるか?」
にやりと、有は口角を上げた。
『断ったところでやらせるのでしょうに……』
諦観したように炎混じりの溜め息。しかし断られなかったことに有はほっとする。
「冥……少しだけ待っててくれな」
気を失っている冥の身体を優しく横たえる。目を閉じたその顔は眠ったように穏やかだ。
けれど血の気の引いたその肌に熱はなく、おそらくはもう――
「ちょっとあいつらぶっ飛ばしてくるから」
「ぶっ飛ばす、ですか」
今まで沈黙して様子を見ていた氷室が、有の言葉を繰り返した。
「君たちには本当に驚かされてばかりです。その諦めの悪さ――っとにイライラすンだよォッ!」
「……そうだろうな。俺とお前じゃ性質が真逆過ぎる。俺だってお前の在り方もやり口も、理解出来ないししようとも思わない」
常に自分からぶつかっていく有と、隠れていることに安らぎを感じる氷室。
まるで対極に位置するからこそ。
「お前は俺自身で倒す。倒さないといけないんだ!」
白狼の顎を軽く撫でる。するとその巨体が輝き、みるみる小さくなっていく。
輝きが収まった時、有の右手には一振りの剣が握られていた。
氷のような蒼銀の刀身に、煌々とした赤の焔が絡み付いている。
その柄には、翼の生えた狼の意匠が施されていた。
「そんなナマクラ持ったところで何が出来るってんだ、よッ!」
二本の触手が振り下ろされる。自分を狙って放たれたそれを。
「はっ!」
僅かに左へ動いてかわし、すれ違いざまに一本を斬り伏せた。
「は――?」
『な――』
流れるような動きに、氷室も怪物も今起きたことが理解出来ず目を見開く。
「……なるほど、こりゃいいや」
一方で、有は今の自分の動きを振り返り、魔神の加護を理解した。
「まぐれ……そうだ、まぐれに決まっている!」
触手を再構築させ、さらなる速さに雷炎を纏わせたうえで再び殴りかからせる。
しかし、そのすべてを有は見切り、毛一本ほどにかすることもなく、今度は二本とも斬り捨てた。
今まで剣など握ったことのない有。しかし有の脳裏には最適な力の配分が、最良の身のこなしが、最善の回避手段が、次から次に浮かんできて、まるで昔から知っていたかのようにその指示を身体が実行していた。
けれどそれだけでは足りない。ただ借り受けた力で捩じ伏せるのではなく、自分の信念を以て勝たなければ意味がない。
だから、有は猛る自分の想いを言葉にする。
――いざ謳え。数多の物語を言祝ぐために。
イメージの骨子を選ぶ。自然と浮かんできたのは、彼女が読んだと言っていた物語。
――その男、希望の信奉者なり。善なれども悪を知らず、優なれども智を知らず。
激しくなる攻撃を避けながら、願いを積み上げた詩を謳う。
――やがて星は墜とされた。恐れと妬みと保身とが、男を奈落へ投げ入れた。
巌窟の王と呼ばれた男に、自身の姿が重なる。
何も知らなかったがゆえの傲慢は、その輝きを怨む悪意を知らないうちに生み出してしまった。
――光を失い死想の果てに、けれど希望を見出だして、男は獄を這い出でる。
「この、クソッタレがぁあああああああああ!」
炎と雷と風が殺意を伴って有に迫る。
――さぁ燃え盛れ我が獣。氷のごときこの身の内で、その熱こそが生の証。
それらすべてを、有は無心に剣で弾いていく。最小限の動きで最大限の効果を発揮するその剣技は、もはや戦闘ではなく剣舞の様相を示していた。
――天も照覧この刻に、今ぞ誓おう我が恩讐。
巌窟の王は自らを貶めた者たちを破滅に追いやった。
けれど有が願うのは、自ら牢獄に引きこもることを選んだ自分自身への反逆。
もしあの時、悪意に絶望しなければ。その後悔をここで断ち斬り、心のままに生きることを宣言する。
そのことを思い出させてくれた少女に報いるために。
――我が赴くは星の群れ。
ついに怪物の正面へとたどり着く。
そして、結びの詞を言い放った。
――Ultima ratio.
『ぬぅ――!』
「これで――」
影の怪物の腹目掛けて。
「――終わりだぁあああああああ!」
有は全力の一刀を振り抜いた。
『――――――ん?』
間違いなく斬り裂かれた【名を秘すべき虚影の獣】は、それがほとんど切先が浅く薙いだ程度であることに気付いた。
そして有は、片膝を突いて剣を支えに息を荒げるほどに疲弊している。
「は……はは、ははははは! 驚かせやがって。そら、やっちまえ!」
『………』
しかし、氷室の命令に怪物は何の反応も示さなかった。
「おい! なにやってる! 聞こえないのか――」
――ピシリ。
怪物に穿たれた傷痕を、蒼氷が覆った。
『あ、ああ……』
氷が広がるたび、全身を小刻みに震わせ呻き声をあげる【名を秘すべき虚影の獣】。その頭が赤熱し、煙を吹き始める。
「な、何が起こっている……?」
狼狽する氷室。
「――【悲嘆よ、煉獄にて昇華せよ】」
最後の力で立ち上がり、有は相対する主従に剣を向けた。
「地獄の底で凍り付くか、熱に焼かれて昇天するか。まぁ好きな方選べよな」
『あああああああああ――』
全身を覆う凍てつきと、頭部を蝕む灼熱。相反するふたつの苦痛に怪物は発狂したような咆哮をあげる。
僅かに残った理性で熱と冷気を起こすものの、因果を改変したそばから熱は頭に冷気は身体に吸い込まれていった。
――マクスウェルの魔物。
外部からは何の熱量変化ももたらさず、ただ内部の熱を分別することで温度差を作り出す、熱力学第二法則の矛盾を突くとされた概念。
有の斬撃は怪物に対し、それと同じ現象を引き起こすための呼び水。僅かでも掠ればあとは勝手にその身体は絶対零度の悲嘆に沈み、【扇動者】が寄生する頭部だけを全身から集めた熱が焼き焦がし浄化する。
『―――――――!』
もはや声にならない絶叫。限界まで開かれ飛び出しそうな単眼から、ぼとりと黒い涙が落ちた。
『キィイイイイイイイイイ』
涙に見えたそれが甲高い悲鳴をあげる。それは質量の大半を目玉が占有した、黒いアメーバ状の生物だった。
「こいつが本体か……こんな奴に……っ」
煙をあげて悶える不細工なアメーバを剣先で突く。
『ギヂュ』
水袋が弾けるような音を立てて、【扇動者】は破裂して消えた。
ほとんど同時、炎をあげる氷像になった【名を秘すべき虚影の獣】の身体も、熱量差から首に走った罅を中心に、砕け散って跡形もなく消滅した。
「あとは……」
「ひっ!」
使い魔が倒され放心状態だった氷室は、有に睨まれて後ずさった。
「ま、待ってくれ! 悪かった! 謝るから! だから……だから、なぁ! 助けて――!」
腰を抜かし、それでも必死に有から距離を取ろうとして、しかし氷室はあっさりに追い付かれた。
「『隠れたい』と願ってるくせに表に出てきた。それがお前の敗因――だっ!」
「ひぃいいいいいいい!」
情けない声をあげて頭を庇う氷室。
その手に握られたDSiを、有は正確に貫いた。
「あ――あぁ――」
それが限界だったのか、氷室は白目を剥いて卒倒した。
剣を振り、穴が空いて完膚なきまでに使い物にならなくなったDSiを放り捨てて。
「……終わったぞ、冥」
振り返る。しかしグラウンドのどこにも、冥の姿はなく。
「………」
寂しげに微笑んで、有もその場に倒れて意識を失った。




