第49話 もう隠す気はない
それから数日。
一ノ瀬凌は、以前より明らかにみおへ近づくようになった。
強引にではない。
みおが本当に困るところまでは踏み込まない。
けれど。
以前のように、偶然を装うことはなくなった。
◇ ◇ ◇
月曜日。
昼休み。
一年B組。
「佐倉」
教室の入口から声がして、みおが顔を上げる。
「あ、一ノ瀬先輩」
凌だった。
最近では、凌が一年B組へ来ること自体はそれほど珍しくなくなっている。
とはいえ。
背の高い二年生の男子が一年生の教室へ来れば、やはり視線は集まる。
凌はそんな周囲を特に気にする様子もなく、みおを見る。
「今日、昼どうする?」
「今日は教室で食べます」
「じゃあ俺もここで食べていい?」
「一ノ瀬先輩が?」
「うん」
「二年生のお友達は?」
「今日はいい」
凌が、みおと一緒に昼を食べようとしていた女子たちを見る。
「邪魔?」
「全然!」
「どうぞ!」
「むしろ座ってください!」
「なんでみんなそんな歓迎するの!?」
みおが思わず突っ込む。
凌は少し笑うと、近くから空いている椅子を持ってきた。
そして。
迷うことなく。
みおの隣へ置く。
「……」
みおが見る。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「そこなんですね」
「空いてたから」
「向こうも空いてますよ」
凌はそちらを一度見る。
それから。
「佐倉の隣がよかった」
「……」
あまりにもさらっと言う。
一瞬。
周囲の空気まで止まった。
みおの頬がじわりと熱くなる。
「そういう言い方……」
「嫌?」
「……嫌じゃないですけど」
「じゃあ、ここ」
当然のように座る。
「またそれ……」
みおは困った顔をしながら。
結局。
追い払うことはしなかった。
◇ ◇ ◇
火曜日。
放課後。
みおが昇降口を出ると。
壁際に、凌が立っていた。
「……一ノ瀬先輩?」
「うん」
「何してるんですか?」
「待ってた」
「誰を?」
凌がみおを見る。
「佐倉」
「……」
みおの足が止まった。
「なんで?」
「一緒に帰ろうと思って」
「先輩、駅ですよね?」
「今日はこっちから帰る」
「絶対遠回りですよね」
「知ってる」
「……」
みおはじっと凌を見る。
最近。
本当に隠さなくなった。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「私と帰るために遠回りしてるの、もう隠さないんですね」
凌が少し笑う。
「バレてるのに隠す意味ある?」
「開き直った」
「嫌なら駅行くけど」
「……」
みおは少し考える。
別に。
嫌ではない。
それどころか。
待っていてくれたことを、少し嬉しいと思ってしまった。
「……嫌じゃないです」
「じゃあ帰ろう」
即決。
「早い」
「断られなかったから」
凌はそう言って歩き出す。
みおも、その隣へ並んだ。
◇ ◇ ◇
帰り道。
二人は小さなパン屋へ立ち寄った。
店内には焼きたてのパンの香りが広がっている。
凌が甘いパンの並んだ棚を見る。
みおが少し意外そうに言った。
「一ノ瀬先輩、甘いもの食べるんですね」
「普通に食べるよ」
「何となく、ブラックコーヒーだけで生きてそう」
「俺を何だと思ってるの」
「見た目のイメージです」
「ひどいな」
凌が笑う。
二人でショーケースの前まで来たところで。
凌の足が止まった。
小さな焼き菓子が並んでいる。
「佐倉、これ好きそう」
「え?」
「こういうの好きだろ」
みおはその焼き菓子を見る。
確かに。
好きだ。
「なんで分かるんです?」
「前に似たの見てたから」
「……覚えてたんですか?」
「うん」
凌は何でもないことのように答える。
そのまま。
焼き菓子を一つ買った。
店を出る。
そして。
「はい」
みおへ差し出した。
「え?」
「佐倉の」
「いやいや!」
みおが慌てる。
「先輩が食べたくて買ったんじゃないんですか?」
「俺はいらない」
「じゃあ何で買ったんですか」
「佐倉が好きそうだったから」
「……」
また。
さらっと言う。
みおは焼き菓子と凌を交互に見る。
「嫌?」
「その聞き方ずるいです」
「便利だから」
「自覚あるんだ……」
少し迷ったあと。
みおは受け取った。
「……ありがとうございます」
「うん」
「今度、何か返します」
「じゃあ弁当」
凌が笑った。
◇ ◇ ◇
水曜日。
昼休み。
屋上。
今日は風も弱く、二人はいつものベンチへ並んで座っていた。
みおは自分の弁当。
凌は購買で買ったパン。
「はい」
みおが小さな別容器を差し出す。
「何?」
「開けてください」
凌が蓋を開ける。
中には。
卵焼きが二切れ。
「次は三個」
凌は一つ摘まんで口へ運ぶ。
「美味しい」
「知ってます」
「自信出てきた?」
「毎回言われたら」
「じゃあ違うこと言う」
「違う感想?」
「うん」
凌が卵焼きを見て。
次にみおを見る。
「佐倉が作ったから好き」
「……」
みおの箸が止まる。
「それ、料理の感想じゃないです」
「そう?」
「そうです」
「じゃあ」
少し考える。
「佐倉の料理、もっと食べたい」
「……それなら感想です」
「今度、全部作って」
みおが目を瞬いた。
「全部?」
「弁当」
「本当に?」
「うん」
凌はごく普通の顔で言った。
「俺のために作ってほしい」
「……」
また。
そういう言い方をする。
みおは視線を逸らした。
「余裕ある日ですよ」
「いつ?」
「今決めるんですか?」
「決めたい」
「……金曜日なら」
凌はすぐに頷いた。
「じゃあ金曜」
「即決」
「楽しみだから」
「……」
胸の奥が。
少しくすぐったくなる。
自分が作る弁当を。
楽しみにしている。
そのことを。
こんなにはっきり言われると。
やっぱり。
嬉しい。
◇ ◇ ◇
木曜日。
休み時間。
みおが二年生の廊下を通ると、凌は友人たちと話していた。
邪魔をするつもりはなく。
そのまま通り過ぎようとした。
「佐倉」
けれど。
すぐに見つかった。
「こんにちは」
「どこ行く?」
「職員室です」
「俺も行く」
「用事あるんですか?」
「ない」
「ないの!?」
思わず声が大きくなる。
近くにいた凌の友人が、呆れたように笑った。
「一ノ瀬」
「何?」
「お前最近、佐倉さん見つけるとすぐ行くよな」
「……」
今度は。
みおが固まった。
けれど凌は。
否定すらしなかった。
「うん」
「認めるんだ」
「事実だし」
「……」
友人がみおを見る。
にやり。
「頑張って」
「何をですか!?」
みおの顔が一気に赤くなる。
凌は平然と。
「行こう」
と歩き出した。
「ちょっと待ってください!」
慌てて追いかける。
◇ ◇ ◇
二人で廊下を歩く。
「一ノ瀬先輩」
「うん」
「今の、否定しないんですね」
「何を?」
「私を見つけると、すぐ来るって」
「本当だから」
「……」
返しに困る。
「嫌?」
「……そればっかり」
凌が少し笑った。
「じゃあ別の聞き方にする」
「?」
「嬉しい?」
「……」
みおの足が。
ほんの少しだけ遅くなった。
それは。
今まで聞かれなかったことだった。
嫌なのか。
嫌ではないのか。
そう聞かれることはあった。
でも。
嬉しいか。
そう言われると。
答えは少し変わる。
「それは……」
「うん」
みおは前を向いたまま。
小さく答えた。
「……少し」
自分で口にしてから。
自分自身が一番驚いた。
凌も。
ほんの少し目を細める。
「そっか」
それ以上は追及しなかった。
ただ。
その横顔が。
明らかに嬉しそうだった。
◇ ◇ ◇
金曜日。
朝。
みおはキッチンに立っていた。
目の前には。
二つの弁当箱。
自分の分と。
今日、約束していた凌の分。
「……」
凌の弁当箱へ。
鶏の照り焼き。
卵焼き。
きんぴら。
ブロッコリー。
ポテトサラダ。
そしてご飯。
彩りを確認する。
「……こんな感じかな」
量も。
前に凌が昼食を食べていた様子から考えれば、これくらいでちょうどよさそうだった。
そのとき。
背後から。
「誰の?」
「ひゃっ!」
振り返る。
さき。
「朝から驚きすぎ」
「急に覗かないでよ!」
さきは弁当を見る。
「一ノ瀬君?」
「……うん」
眉が上がった。
「ついにフル弁当」
「頼まれたの!」
「へえ」
「その顔やめて」
「どの顔?」
「楽しんでる顔」
「楽しんでるよ?」
「否定して!」
さきが笑う。
「でも、結構ちゃんと作ってるね」
「作るならちゃんと作るよ」
「喜びそう」
「……」
みおは弁当を見る。
「そうかな」
「そこは自信持てば?」
「料理のことじゃなくて」
「分かってる」
さきの即答。
みおが睨む。
「お姉ちゃん嫌い」
「はいはい」
さきは楽しそうにキッチンを出ていった。
みおは。
もう一度、完成した弁当を見る。
「……」
喜んでくれるかな。
そう考えた自分に。
少しだけ照れた。
◇ ◇ ◇
昼休み。
二年生の教室。
みおが入口へ姿を見せる。
以前ほど騒がれることはなくなった。
一ノ瀬凌と佐倉みおが仲がいいことは、二年生の間でもすでに知られている。
「あ、一ノ瀬――」
誰かが呼ぶより先に。
凌自身がみおを見つけた。
すぐに席を立つ。
「佐倉」
「約束」
みおが弁当袋を差し出す。
凌が。
ほんの少し目を見開いた。
「本当に全部」
「頼んだでしょ」
「嬉しい」
「……」
本当に。
この人は素直だ。
凌は大事そうに袋を受け取る。
「一緒に食べる?」
「屋上?」
「うん」
「行きます」
二人で教室を出る。
その背中を見ながら。
何人かの生徒が小声で話していた。
「一ノ瀬、分かりやすくなったよな」
「ね」
「佐倉さんも前より距離近くない?」
けれど。
その声が二人に届くことはなかった。
◇ ◇ ◇
屋上。
いつものベンチ。
凌が弁当箱を開ける。
「……」
数秒。
黙った。
みおが不安になる。
「何です?」
「ちゃんとしてる」
「失礼ですね」
「違う」
凌が少し笑う。
「思ってたより嬉しい」
「……」
胸が。
小さく跳ねた。
「早く食べてください」
「うん」
一口。
「美味しい」
「よかった」
二口。
三口。
みおが思っていた以上に。
よく食べる。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「結構食べますね」
「大きいから」
「なるほど」
「その納得の仕方何?」
「身長あるから、その分必要なのかなって」
「たぶん」
凌は笑いながら、次々と弁当を食べていく。
やがて。
ほとんどなくなった頃。
卵焼きだけが一切れ残っていた。
みおが気づく。
「卵焼き、最後なんですね」
「好きなの最後に食べる」
「へえ」
「覚えた?」
「覚えました」
「じゃあ次も最後まで残す」
「好きにしてください」
凌は最後の卵焼きを口へ運ぶ。
少しだけ。
満足そうな顔。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
「また作って」
「早いです」
「美味しかったから」
「毎日は無理ですよ」
「分かってる」
「ならいいです」
みおが自分の弁当を片付ける。
そのとき。
凌が言った。
「佐倉」
「はい?」
「最近さ」
「?」
「俺、結構分かりやすい?」
みおは少し考える。
「……何がですか?」
「佐倉に近づいてること」
「……」
みおの手が止まる。
「分かりやすいです」
「やっぱり?」
「教室来るし」
「うん」
「待ってるし」
「うん」
「わざわざ遠回りするし」
「うん」
「お菓子くれるし」
「うん」
全部。
認める。
「最近、結構押してきますよね」
凌は少し考えたあと。
「うん」
あっさり頷いた。
「認めるんだ」
「隠す必要ないから」
その声が。
少しだけ真面目になる。
「あのさ」
「はい」
「この前、保健室連れてってくれただろ」
「はい」
「あのとき」
凌は、まっすぐみおを見た。
「やっぱり俺、佐倉のこと好きになってきてるなって思った」
「……」
みおの動きが。
完全に止まった。
風の音だけが聞こえる。
「……え」
ようやく。
それだけ声が出た。
凌は慌てることなく続ける。
「でも」
「……」
「今、付き合ってほしいって言ってるわけじゃない」
みおが凌を見る。
「返事も、今はいらない」
「……」
「困らせたいわけじゃないから」
少し間。
そして。
「ただ」
凌は静かに笑った。
「もう隠す気は、あんまりない」
「……」
みおの頬が。
ゆっくり熱くなる。
「だから……最近」
「うん」
「毎日来るのも?」
「会いたいから」
「……待ってるのも?」
「一緒に帰りたいから」
「お菓子も?」
「喜ぶかなと思ったから」
「……」
全部。
思っていた以上に。
はっきりしていた。
みおは。
顔を隠したくなる。
「……一ノ瀬先輩、ずるいです」
「何が?」
「そんな普通の顔で言うから」
「緊張はしてるよ」
「嘘」
「本当」
「全然見えません」
「見せてないから」
「……それもずるい」
凌が少し笑った。
そして。
「でも」
もう一度。
みおを見る。
「俺、佐倉といるの好きだよ」
「……」
告白して。
答えを求める。
そんな言葉ではない。
でも。
今までより。
ずっと近い。
「話すのも」
「……」
「一緒に帰るのも」
「……」
「こうやって飯食うのも」
少し笑って。
「全部」
みおは。
しばらく何も言えなかった。
目の前にいる凌は。
急かしてこない。
ただ。
自分の気持ちだけを。
まっすぐ言っている。
それが。
ものすごく。
胸に残る。
「佐倉」
「……はい」
「困った?」
みおは少し考えた。
本当に。
考えた。
そして。
ゆっくり首を横へ振る。
「困っては……ないです」
凌の目が少し柔らかくなる。
「ただ」
「うん」
みおは胸元へ手を置いた。
さっきから。
ずっと心臓が速い。
「ちょっと……」
言うのが恥ずかしい。
でも。
嘘はつきたくなかった。
「意識しちゃいます」
口にした瞬間。
さらに顔が熱くなった。
凌を。
以前より。
明らかに。
恋愛の相手として意識している。
それを。
初めて自分の口で認めた。
凌は。
勝ち誇ったり。
さらに距離を詰めたりしなかった。
ただ。
少しだけ嬉しそうに笑った。
「それで十分」
「……」
「今はね」
みおが睨む。
「最後の一言いらないです」
「本音」
「もう……」
凌が笑う。
みおも。
困りながら。
少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
その日の放課後。
一年棟の廊下を歩きながら。
みおは昼休みの言葉を何度も思い出していた。
――俺、佐倉のこと好きになってきてるなって思った。
「……」
思い出すだけで。
また胸が鳴る。
――俺、佐倉といるの好きだよ。
「……もう」
一人で小さく呟く。
そして。
校門の近くまで来ると。
見慣れた姿があった。
「遅え」
「あ」
蓮司だった。
いつもの場所。
いつもの声。
「何してた」
「ちょっと……」
みおは蓮司を見る。
数時間前。
凌の前で。
自分は認めた。
一ノ瀬凌を。
意識していると。
でも。
今。
蓮司の顔を見た瞬間にも。
胸の奥に。
違う温かさが生まれる。
「……何でもないです」
「何だよそれ」
蓮司が歩き出す。
「帰るぞ」
「はい」
みおは。
その隣へ並んだ。
いつもの距離。
いつもの帰り道。
それなのに。
自分の心だけは。
以前と同じではなかった。
凌への気持ちは。
もう。
ただ「話しやすい先輩」という言葉では誤魔化せない。
だからといって。
蓮司への気持ちがなくなったわけでもない。
「……」
みおは。
前を向いたまま歩く。
まだ。
答えは分からない。
でも。
自分の中で。
何かが確かに変わり始めている。
そのことだけは。
もう。
見ないふりができなくなっていた。




