第46話 今日、来てくれてありがとな
午前零時を少し回った頃。
さすがにそろそろ寝ようということになり、先ほど決めた通り、奥の居室をみお、真琴、結衣の三人が使い、ダイニング側では蓮司と陽翔が寝ることになった。
居室の扉を閉めて着替えを済ませる。
みおはゆったりとしたパジャマ。結衣は淡い色の可愛らしいルームウェア。
そして真琴は。
黒いTシャツに、スウェット。
「真琴先輩」
結衣がじっと見る。
「何?」
「パジャマ持ってきたって言ってませんでした?」
「これがパジャマ」
「……」
結衣の表情が、少しだけ不満そうになる。
「もっと可愛いの見たかったです」
「……」
真琴が止まった。
ほんの二秒ほど。
「……次は持ってくる」
みおが吹き出した。
「結衣先輩、強い」
「何が?」
「真琴先輩を一瞬で動かすところ」
すると真琴が、今度はみおを見る。
「みお」
「はい?」
「黒瀬にも似たようなことしてるよ」
「え?」
「『野菜食べてください』」
少し声色を変える。
「『……はい』」
「そんな素直じゃないです!」
結衣が笑った。
「でも最近は食べますよね?」
「それは……」
みおは少し考える。
確かに。
以前よりは。
「……最近は」
真琴と結衣が顔を見合わせた。
「……」
「何ですか?」
「別に」
「真琴先輩までそれ使うようになった!」
三人の小さな笑い声が。
夜の部屋へ広がった。
◇ ◇ ◇
電気を消すと、部屋は一気に暗くなった。
カーテン越しに街灯の淡い光だけが差し込んでいる。
真ん中に結衣。
その両側に、真琴とみお。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
しん、と静かになる。
十秒。
二十秒。
「……」
誰も眠らない。
最初に声を出したのは結衣だった。
「……寝ました?」
「寝てない」
真琴が即答する。
「私もです」
みおも続いた。
結衣がくすくす笑う。
「やっぱり」
「こうなると思った」
「なんか、修学旅行みたいですね」
みおが言うと、真琴が暗闇の中から返した。
「みお、まだ一年生でしょ」
「中学校の修学旅行です」
「ああ」
そのとき。
隣のダイニングから声が聞こえてきた。
「蓮司ー」
陽翔。
「うるせえ」
蓮司。
「寝た?」
「今喋ってんだろ」
「あ、確かに!」
女子三人の部屋に。
しばし沈黙。
真琴が小声で言った。
「馬鹿」
結衣が笑いを堪え。
みおも布団の中で肩を揺らした。
◇ ◇ ◇
少しして。
結衣がぽつりと言った。
「今日、本当に楽しかったですね」
「うん」
みおも素直に頷く。
「まあね」
真琴も同意した。
「さきさんも面白かったです」
「お姉ちゃん、どこでも馴染むから」
「天野が完全に落ちたし」
真琴の一言に、みおは少し考え込んだ。
「……あれ、本気なんですかね」
「本気じゃない?」
「今日会ったばっかりですよ?」
結衣が柔らかく笑う。
「一目惚れって、本当にあるみたいですから」
「お姉ちゃん、どう思うかな……」
みおが天井を見る。
真琴はすぐに答えた。
「今のところ、面白い後輩くらいじゃない?」
「ですよね」
「でも天野、明日から勉強するらしいよ」
「大学のために?」
「さきさんのために」
「……」
三人で。
また静かに笑った。
陽翔には悪いが。
さきのために本当に成績が上がるなら。
それはそれで悪いことではないのかもしれない。
◇ ◇ ◇
笑いが落ち着き。
少しだけ間が空いた。
やがて。
「みお」
真琴の声がした。
さっきまでより。
少しだけ真面目な声。
「はい?」
「今日、黒瀬のこと聞いてびっくりしたでしょ」
「……」
みおは暗い天井を見つめた。
「はい」
結衣も。
何も言わず静かになる。
「全然知りませんでした」
「うん」
「でも……」
みおは少しだけ言葉を探した。
「知ってよかったと思います」
真琴が尋ねる。
「なんで?」
「黒瀬先輩が、どうして高校から一人で暮らしてるのか」
「……」
「ご両親が亡くなったあと、おじいさんとおばあさんに支えてもらってたこととか」
「うん」
「それまでかなり荒れてたけど、ご両親を失ってから、自分が周りに甘えてたって気づいたこととか」
言葉にしながら。
みお自身。
今日聞いた話を、もう一度整理していた。
「黒瀬先輩がどうして今みたいになったのか……全部じゃないですけど」
少しだけ。
以前より知ることができた。
でも。
それだけで。
蓮司のことを全部理解したような気にはなりたくなかった。
「ただ」
みおが続ける。
「かわいそうって思うのは、違う気がして」
真琴の口元が。
暗闇の中で、少しだけ緩む。
「うん」
「ご両親が亡くなったことは、もちろんつらかったと思います」
「……」
「でも、それだけで黒瀬先輩を見るようになったら」
少し考えて。
「たぶん先輩、すごく嫌がるから」
結衣が静かに頷く。
「そうですね」
「だから」
みおは少しだけ笑った。
「今まで通りにします」
「それでいいと思う」
「はい」
本当に。
それでいいと思った。
昔のことを知ったからといって。
明日の朝から突然。
蓮司へ特別な顔を向ける必要なんてない。
いつものように会って。
いつものように言い合って。
ちゃんと飯を食べろと怒る。
それでいい。
◇ ◇ ◇
やがて。
今度こそ部屋が静かになった。
結衣の寝息が聞こえ始め。
少しして、真琴も眠ったらしい。
けれど。
みおだけは、なかなか眠れなかった。
「……」
今日見た。
蓮司の笑顔。
真琴から聞いた両親のこと。
祖父母のこと。
高校へ進むと同時に。
自分で一人暮らしを始めたこと。
そして。
高校へ入ってから。
毎日帰ってきている、この部屋。
今まで知らなかった。
蓮司の時間。
いろいろなことを知った。
それでも。
一番強く頭に残っているのは。
今日。
みんなに囲まれて。
楽しそうに笑っていた蓮司だった。
「……」
喉が渇いた。
みおはそっと身体を起こす。
隣を見る。
結衣は静かに眠っている。
その向こうでは。
真琴が結衣のほうを向いて眠っていた。
なるべく音を立てないように。
みおは部屋を出た。
◇ ◇ ◇
ダイニングは暗かった。
陽翔は寝袋に入ったまま、すでに完全に眠っている。
ただし。
「……どうしたらこうなるんだろ」
片足だけ。
寝袋の外へ飛び出していた。
みおは笑いを堪えながら、キッチンへ向かう。
冷蔵庫を開けようとした。
そのとき。
「何してんだ」
「ひゃっ!」
小さく飛び上がる。
慌てて振り返ると。
壁際の布団の上。
蓮司が起きていた。
「先輩……!」
「声出すな。天野起きる」
「黒瀬先輩が急に声かけるからでしょ」
みおも小声で抗議する。
蓮司は学校で見る制服姿ではなく、ラフなTシャツ。
髪もいつも以上に乱れていた。
完全に。
家での姿。
「水?」
「お茶です」
「そこ」
「分かってます」
みおは冷蔵庫からペットボトルを取り出し、コップへ注いだ。
一口飲む。
「寝れねえの?」
「ちょっとだけ」
「枕合わなかった?」
「違います」
みおは蓮司を見る。
「先輩は?」
「俺?」
「寝ないんですか?」
「……」
蓮司が少し考える。
そして。
ぽつり。
「久しぶりだから」
「何がですか?」
「家に人いるの」
「……」
みおの手が。
ほんの少しだけ止まりそうになった。
今日。
真琴から聞いたことが頭をよぎる。
でも。
顔には出さない。
ここで急に。
かわいそう。
寂しかったですよね。
そんなことを言うつもりはなかった。
だから。
いつもの調子で笑った。
「うるさくて寝られない?」
「まあ」
蓮司も少し笑う。
「特に天野」
「確かに」
二人で寝袋を見る。
陽翔は。
何も知らず熟睡している。
少しだけ。
沈黙。
「でも」
蓮司が言った。
「?」
「嫌じゃねえ」
みおは。
静かに蓮司を見る。
「……よかった」
「何が」
「今日のお泊まり会」
みおは少し笑う。
「楽しかったですか?」
「……」
蓮司は。
すぐには答えなかった。
いつものように。
『別に』
そう言うのかと思った。
でも。
今日は違った。
「……楽しかった」
みおの目が。
少し大きくなる。
「……」
蓮司が眉を寄せる。
「何だよ」
「いえ」
みおの口元が緩んだ。
「素直だなって」
「たまにはいいだろ」
「はい」
小さな声で答える。
その言葉が。
なぜだか。
すごく嬉しかった。
◇ ◇ ◇
夜中。
みんなが眠っている。
静かな部屋。
そこにいるのは。
自分と蓮司だけ。
「……」
その状況を。
急に意識してしまった。
すると。
頭の中に。
あのBL漫画が蘇る。
夜。
同じ家。
二人きり。
そして――。
「……っ」
みおの視線が泳いだ。
蓮司がすぐに気づく。
「何」
「何でもないです!」
「またそれかよ」
「本当に何でもないです!」
「顔赤いぞ」
「眠いからです!」
「眠いと赤くなんの?」
「なります!」
「……」
蓮司が。
じっと見る。
「お前最近、それ多くね?」
「気のせいです!」
みおは誤魔化すように、お茶を一気に飲んだ。
「じゃあ寝ます!」
逃げるように部屋へ戻ろうとする。
「待て」
「……え?」
足が止まった。
振り返る。
蓮司は。
少しだけ言いにくそうな顔をしていた。
「今日」
「はい」
「来てくれて」
一度。
視線を逸らす。
そして。
「……ありがとな」
「……」
みおの心臓が。
どくん。
強く跳ねた。
思わず。
蓮司を見つめてしまう。
「……何だよ」
今度は蓮司まで気まずそうになる。
みおは、少し遅れて笑った。
「先輩」
「何」
「今日、やっぱり変です」
「は?」
「素直すぎます」
「礼言っただけだろ!」
「今日二回目ですよ」
「数えてんのかよ!」
みおがくすっと笑う。
それから。
「私も」
「?」
「誘ってくれて、ありがとうございました」
蓮司が。
少し黙った。
みおは。
今度は誤魔化さずに笑った。
「すごく楽しいです」
「……」
蓮司は数秒。
みおの顔を見る。
そして。
ふっと顔を逸らした。
「……ならいい」
「はい」
その返事だけで。
また胸が温かくなった。
◇ ◇ ◇
みおは奥の部屋へ戻ろうとする。
けれど。
数歩進んだところで。
足を止めた。
振り返る。
「黒瀬先輩」
「何」
「またやりましょうね」
「……」
「お泊まり会」
蓮司の口元が。
少しだけ緩んだ。
「次は佐倉ん家だろ」
「陽翔先輩が一番楽しみにしてますね」
「姉ちゃん目当てだけどな」
「ふふっ」
二人とも。
声を抑えて笑った。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おう」
みおは。
静かに居室へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
扉が閉まる。
蓮司は。
しばらくそこを見ていた。
「……」
――すごく楽しいです。
ただ。
そう言われただけ。
なのに。
胸の奥が。
妙に温かい。
一ノ瀬凌。
あいつのほうが。
みおには合っているのかもしれない。
自分より。
みおを理解できることもあるのかもしれない。
少し前まで。
そんな理由を並べて。
自分から引くべきなのかと考えていた。
でも。
今日。
自分の家で。
みおが笑った。
料理を作って。
ゲームをして。
くだらないことで言い合って。
そして。
――またやりましょうね。
そう言った。
「……」
蓮司は小さく息を吐く。
想像する。
いつか。
その場所が。
自分ではなく。
一ノ瀬の隣になることを。
「……やっぱ無理だわ」
小さく呟いた。
みおが誰を選ぶかは。
みお自身が決める。
それは分かっている。
だからこそ。
最初から自分で諦めて。
勝手に一ノ瀬へ譲るような真似は。
もう。
できそうになかった。
◇ ◇ ◇
一方。
布団へ戻ったみおは。
静かに横になった。
結衣と真琴は。
もう眠っている。
目を閉じる。
すると。
すぐに。
蓮司の声が蘇った。
――今日、来てくれてありがとな。
「……」
心臓が。
また少し速くなる。
嬉しかった。
ものすごく。
嬉しかった。
黒瀬蓮司。
今日。
今まで知らなかったことまで知った。
それでも。
かわいそうだから気になるのではない。
昔を知ったから。
急に大切になったのでもない。
ずっと前から。
朝、一緒に歩いて。
弁当を作って。
一緒に帰って。
くだらないことで言い合って。
少しずつ。
この人が自分の中で大きくなっていた。
「……」
そう考えた瞬間。
もう一つの顔が。
浮かんだ。
一ノ瀬凌。
屋上。
落ち着いた声。
さらりと。
自分を意識させるようなことを言う。
――佐倉ならいいよ。
「……もう」
みおは布団を鼻まで引き上げた。
蓮司を思えば。
凌が浮かぶ。
凌を思えば。
蓮司が浮かぶ。
少し前までは。
こんなこと。
なかったのに。
さきに言われた言葉を思い出す。
――ちゃんと悩めばいい。
「……悩むの、難しいよ」
誰にも聞こえない声で。
小さく呟いた。
それでも。
今日だけは。
答えを出さなくてもいいと思った。
黒瀬蓮司の家で。
みんなで笑って。
料理を食べて。
夜中に二人で少しだけ話した。
この一日が。
とても楽しかった。
その気持ちまで。
凌への気持ちと比べて。
疑う必要はない。
今日は。
今日の嬉しさを。
そのまま大切にしておけばいい。
「……」
やがて。
みおの瞼がゆっくりと重くなる。
隣から聞こえる。
小さな寝息。
その向こう。
扉一枚隔てた場所には。
蓮司がいる。
それを少しだけ意識しながら。
みおは。
静かに眠りへ落ちていった。




