第45話 もっと笑っててください
それから十分ほど。
玄関の外から、二人分の足音が近づいてきた。
がちゃ。
「ただいま」
蓮司の声がして。
続いて。
「寒っ! 外めっちゃ寒い!」
大きなコンビニ袋を抱えた陽翔が入ってくる。
「お前がアイスまで買うからだろ」
「泊まり会にアイスは必要!」
「さっきケーキ食っただろ」
「それとこれは別!」
「お前の別腹、いくつあんだよ」
いつもの言い合いだった。
みおは思わず玄関を見る。
蓮司が戻ってきた。
ただ、それだけ。
いつもなら何とも思わないはずなのに。
今は。
さっきまでとは、ほんの少しだけ違って見えた。
――中学三年生のとき。
――交通事故で、ご両親を二人とも亡くした。
――それまでは今よりずっと荒れていた。
――でも、その出来事をきっかけに、自分がどれだけ周りに甘えていたのか気づいた。
そして祖父母に支えられ、中学を卒業し。
高校へ進むとき、自分で一人暮らしをすると決めた。
真琴から聞いた話が、まだ胸の奥に残っている。
「佐倉」
「……」
「佐倉?」
「え?」
気づけば、蓮司が目の前に立っていた。
「何ぼーっとしてんだ」
「……いえ」
「ほら」
ペットボトルのお茶を差し出される。
「お前の」
「あ……ありがとうございます」
受け取る。
蓮司は何も変わらない。
いつもの顔。
いつもの声。
そのまま真琴へ炭酸飲料を渡し、結衣へ緑茶を手渡す。
「ありがと」
「ありがとうございます」
陽翔はその横で、大量のお菓子や飲み物をテーブルへ並べ始めていた。
「そして俺のコーラ!」
「勝手にしろ」
「あと!」
陽翔が袋の奥から、もう一本取り出す。
妙にお洒落なパッケージのカフェラテだった。
真琴が見る。
「何それ」
「……」
陽翔が少し照れた。
「さきさん、こういうの好きかなと思って」
「……」
全員が止まった。
みおが真顔で言う。
「もう帰ったよ?」
「知ってる!」
「じゃあ誰が飲むんですか」
「俺!」
蓮司が吹き出した。
「結局、自分じゃねえか」
「次会うときの参考!」
真琴が呆れた顔をする。
「もう次に会う前提なんだ」
「だって、みおちゃん家でお泊まり会するんだろ!?」
「まだ日付も決まってません」
「いつでもいい!」
「ちょっと怖いですよ」
結衣がくすくす笑う。
「陽翔先輩、本当に分かりやすいですね」
「結衣ちゃんまで!」
また部屋に笑い声が広がった。
そして。
蓮司も笑っていた。
「……」
みおは、ついその顔を見る。
少しだけ。
胸が痛んだ。
でも。
さっきとは違う。
かわいそうだから。
ではない。
今日。
この人が楽しそうで。
よかった。
ただ。
それだけだった。
◇ ◇ ◇
「みおちゃん?」
結衣に呼ばれ、みおは我に返った。
「はい?」
「お茶、開けないんですか?」
「あ」
気づけば、ペットボトルを受け取ったまま握り締めている。
「開けます」
慌てて蓋を回した。
その横で。
真琴が、ちらりとみおを見る。
少し前までとは。
明らかに様子が違う。
当然だった。
ついさっき。
蓮司の過去を初めて知ったのだから。
けれど真琴は、何も言わなかった。
今はまだ。
みお自身が、自分の中で整理する時間なのだと思った。
◇ ◇ ◇
「次、何する?」
陽翔が聞く。
結衣が時計を見ると、もう十時近かった。
「もうこんな時間ですよ」
「まだ十時!」
「高校生のお泊まり会って、こんなもの?」
真琴が尋ねると。
陽翔は迷いなく胸を張った。
「ここからだろ!」
「近所迷惑だから騒ぐなよ」
蓮司が言う。
陽翔がすぐに反論した。
「蓮司が一番声でかいときあるけど」
「ねえよ」
「さっきめっちゃ笑ってたじゃん」
「笑うくらいいいだろ」
「じゃあ笑って!」
「何で命令されんだよ」
陽翔が突然、変な顔をした。
「ほら!」
「……」
蓮司が一秒。
二秒。
耐える。
「……アホか」
結局。
少し笑った。
「あ! 笑った!」
「うるせえ!」
それを見て。
みんなも笑う。
みおも。
自然に笑っていた。
そのまま、他愛のない話が続いた。
学校の教師。
テスト。
陽翔の成績。
真琴と結衣が付き合い始めたころの話。
そして。
「俺だけ恋人いない!」
陽翔が盛大に嘆く。
数秒後。
「あ」
何かを思い出したように顔を上げた。
「いや、まだだ!」
みおが首を傾げる。
「何がまだなんですか」
「可能性!」
「お姉ちゃん、大学生ですよ?」
「年上ってだけだろ!」
「そういう問題じゃないです」
「俺、年上好きかもしれない!」
真琴が冷静に言う。
「今日決まったんでしょ、それ」
「運命は突然来るんだよ!」
蓮司も呆れた顔になる。
「お前、昨日まで『彼女ほしい』しか言ってなかっただろ」
「過去の俺とは違う!」
「数時間前だろ」
また。
笑いが起こる。
みおは。
本当に。
この時間が好きだと思った。
◇ ◇ ◇
十一時前。
少しずつ全員のテンションも落ち着いてきた。
陽翔と結衣は、買ってきたアイスを選んでいる。
「私、これにします」
結衣が一つ手に取る。
真琴がその隣から覗いた。
「それ美味しそう」
「真琴先輩も自分のありますよね?」
「結衣のも食べたい」
「じゃあ一口だけですよ」
「うん」
「……」
陽翔が羨ましそうに二人を見る。
「いいなあ」
真琴が振り向く。
「何が」
「カップル」
「さきさんに言えば?」
「まだ無理!」
蓮司が鼻で笑う。
「急に弱気だな」
「好きな人の前だと緊張するだろ!」
その言葉に。
蓮司の動きが、ほんのわずかに止まった。
真琴は。
当然。
見逃さない。
「そうだね」
意味ありげな声。
蓮司が睨む。
「何だよ」
「別に」
「お前、それ便利に使いすぎだろ」
みおは。
そのやり取りを聞きながら。
少しだけ蓮司を見る。
――好きな人の前だと緊張する。
自分も。
そうなのだろうか。
最近。
蓮司が近いと。
今までなら気にもならなかった距離に、妙に心臓が反応する。
でも。
それは。
凌といるときにも増えていた。
――俺のこと意識してる?
「……」
また。
凌の顔が浮かぶ。
みおは誤魔化すように、アイスを口へ運んだ。
冷たい。
なのに。
頬は少しだけ熱かった。
◇ ◇ ◇
「佐倉」
「はい?」
蓮司が。
こちらを見ていた。
「今日、お前ずっと変じゃね?」
「……え」
「さっきから俺の顔見てる」
「……!」
心臓が跳ねる。
真琴が一瞬だけみおへ視線を向けた。
みおは慌てて首を振る。
「見てません!」
「見てる」
「たまたまです」
「何回たまたまあるんだよ」
「……」
言えるはずがない。
――先輩のご両親が亡くなっていたことを知ったから。
――昔はもっと荒れていて、失ってから自分の生き方を考え始めたって聞いたから。
――祖父母に引き取られて、高校からここで一人暮らしを始めたって聞いたから。
そんなこと。
今。
ここで。
本人へ言うべきではない。
蓮司が眉を寄せた。
「何か言いてえなら言えよ」
「……」
みおは少し考える。
そして。
ふっと笑った。
「今日は」
「?」
「楽しそうですね」
蓮司が。
少し止まった。
「……またそれか」
夕食のときにも、同じことを言った。
「だって」
みおは笑う。
「いっぱい笑ってるから」
「悪いかよ」
「悪くないです」
すぐに答えた。
そして。
少しだけ。
声を柔らかくする。
「むしろ」
蓮司を見る。
「もっと笑っててください」
「……」
蓮司の表情が。
完全に止まった。
陽翔も。
真琴も。
結衣も。
ほんの少しだけ静かになる。
みお自身も。
言ってから。
急に恥ずかしくなった。
「……なんて」
誤魔化すように笑う。
けれど。
蓮司はしばらく。
何も言わなかった。
ただ。
みおを見る。
「……」
やがて。
少しだけ顔を逸らした。
「……意味分かんねえ」
ぶっきらぼうな声。
でも。
耳が赤い。
真琴がアイスを食べながら、小さく呟いた。
「分かりやす」
「何か言ったか、桐谷」
「何も」
「絶対言っただろ」
陽翔が笑い出す。
それをきっかけに。
一瞬だけ変わった空気が、またいつものものへ戻っていった。
みおも笑う。
今まで通り。
それでいい。
過去を知ったからといって。
何かを変える必要なんて。
ないのだから。
◇ ◇ ◇
夜十一時半。
結衣が時計を確認した。
「そろそろ、寝る場所決めません?」
その一言で。
全員が一瞬静かになった。
蓮司の部屋は一DK。
泊まるのは。
蓮司。
陽翔。
真琴。
結衣。
みお。
五人。
陽翔が真っ先に手を挙げた。
「雑魚寝!」
真琴が即座に却下する。
「男女一緒はさすがにどうなの」
「でも部屋ここしかねえぞ」
蓮司が部屋を見回した。
「ダイニングにも寝られる」
結衣が考える。
「じゃあ、女子三人が奥のお部屋で、男子二人がダイニングとか?」
「それが無難ですね」
みおも頷く。
陽翔だけが不満そうだった。
「えー!」
真琴が見る。
「何」
「修学旅行みたいに、みんなで寝る直前まで話そうぜ!」
「話すのはいいでしょ。寝るときだけ分かれれば」
「なるほど!」
納得が早い。
蓮司が押し入れを開けた。
「布団、二組しかねえぞ」
「足りないじゃないですか」
みおも中を覗こうとする。
「寝袋一個ある」
「俺、寝袋!」
陽翔が即座に名乗り出た。
蓮司が呆れる。
「なんで嬉しそうなんだよ」
「キャンプ感!」
「お前、本当に何でも楽しむな」
結衣が笑う。
「いいことですよ」
「七瀬だけだよ、俺を分かってくれるの!」
「結衣を巻き込まないで」
真琴が即座に返す。
「真琴厳しい!」
また笑いながら。
寝具を出し始める。
みおも蓮司の隣へ行った。
「手伝います」
「いい」
「またそれ」
「客なんだから座ってろ」
「でも」
「いいっつってんだろ」
蓮司が押し入れの中から布団を持ち上げる。
そのとき。
奥にあったものが。
ほんの少しだけ。
みおの目に入った。
「……」
古そうな紙箱。
その上。
写真立てらしきものの角が。
わずかに覗いている。
みおの視線が止まった。
今日。
聞いた話。
両親。
祖父母。
中学時代。
この部屋で始めた一人暮らし。
もしかしたら。
あの箱の中にも。
自分が知らない蓮司の時間が。
あるのかもしれない。
「何」
蓮司が気づいた。
「……いえ」
みおはすぐに視線を逸らした。
聞かない。
勝手に見ない。
まだ。
蓮司自身が話していないことだから。
真琴の言葉を思い出す。
――無理に聞かなきゃいい。
そして。
――今まで通りでいい。
だから。
みおは別のことを尋ねた。
「先輩」
「何」
「明日の朝ご飯」
「は?」
「何かあります?」
「……ない」
「やっぱり」
「何だよ」
みおが笑う。
「じゃあ、私が作ります」
「……」
蓮司がこちらを見る。
「泊まりに来てまで作んの?」
「嫌ですか?」
「……」
少しだけ。
間。
「嫌じゃねえ」
みおの口元が上がる。
「じゃあ決まり」
「勝手に決めんな」
「嫌じゃないんでしょ?」
「……」
蓮司が黙った。
みおは少し悪戯っぽく笑う。
「一ノ瀬先輩みたいなこと言ってみました」
「……」
その瞬間。
蓮司の顔が。
目に見えて変わった。
「何でそこであいつ出てくんだよ」
「え?」
「……別に」
みおが笑う。
「急に機嫌悪くなった」
「なってねえ!」
「なってます」
「なってねえ!」
いつもの。
蓮司だった。
みおは。
なぜかそれが。
今日は妙に嬉しかった。
◇ ◇ ◇
少し離れたところでは。
真琴と結衣が、そんな二人を見ていた。
結衣が小声で呼ぶ。
「真琴先輩」
「何?」
「あの……みおちゃん」
「うん」
「さっきより、普通に戻りましたね」
真琴も。
小さく頷いた。
「うん」
今日。
みおは蓮司の過去を一つ知った。
いや。
一つというには。
かなり大きなことを知った。
両親を失ったこと。
祖父母に支えられてきたこと。
昔は今より荒れていたこと。
それでも。
知ったからといって。
急に腫れ物へ触るようには接していない。
食生活を心配して。
朝ご飯を作ろうとして。
一ノ瀬の名前を出して。
蓮司を不機嫌にさせて。
最後には。
いつものように笑っている。
「……」
真琴は少しだけ安心した。
「それでいいんだよ」
「え?」
結衣が隣を見る。
「何か言いました?」
「ううん」
真琴は首を横へ振る。
そして。
隣にいる結衣へ。
ほんの少しだけ肩を寄せた。
夜は。
まだ。
終わらなかった。




