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第44話 知らなかった時間

さきが帰ったあとも、お泊まり会の賑やかな空気はしばらく収まらなかった。


むしろ。


一人だけ、さっきまで以上に元気になった男がいる。


「俺」


陽翔が突然、妙に真剣な顔で口を開いた。


全員が見る。


「何」


真琴が聞くと、陽翔は拳を握った。


「さきさんと同じ大学行く!」


「……」


数秒。


誰も何も言わなかった。


最初に口を開いたのは真琴だった。


「あんたの成績じゃ無理じゃない?」


「勉強する!」


即答。


「今から?」


「今から!」


蓮司が吹き出した。


「目的が不純すぎんだろ」


「大学行く理由なんて人それぞれだろ!」


「開き直った」


結衣まで笑う。


けれど陽翔は本気らしい。


今度は勢いよく、みおへ身体を向けた。


「みおちゃん!」


「はい?」


「さきさん、彼氏いるの!?」


「え?」


あまりにも唐突だった。


みおは少し考える。


最近、さきからそういう話を聞いた記憶はない。


「……いないと思いますけど」


「マジ!?」


陽翔の顔が、ぱあっと明るくなった。


真琴が呆れた目を向ける。


「露骨」


「確認しただけ!」


「何を」


「重要事項!」


「……陽翔先輩」


みおが若干引き気味に名前を呼ぶと、陽翔はなぜか姿勢を正した。


「何?」


そして。


自信満々に言う。


「俺のこと、お兄ちゃんって呼んでいいよ」


「……」


みおが固まった。


最初に耐えられなくなったのは結衣だった。


「ふふっ……!」


真琴も口元を押さえる。


「気が早すぎ」


「何年先の話してんだよ!」


蓮司まで、声を上げて笑った。


「ははっ……お前、馬鹿だろ!」


「何でだよ!」


「まだ連絡先すら知らねえだろ」


「あっ」


陽翔が止まった。


また。


全員が笑う。


みおも思わず笑いながら、きっぱりと言った。


「お兄ちゃんは無理です」


「即答!?」


「せめて、お姉ちゃん本人と仲良くなってから言ってください」


「じゃあ仲良くなる!」


「その前向きさだけはすごい」


真琴が半分呆れ、半分感心したように言う。


隣で結衣も笑っていた。


「陽翔先輩、さきさんの前だと本当に分かりやすかったですね」


「そんなことない!」


「ずっと見てたぞ」


蓮司がさらりと言う。


「見てねえ!」


「玄関閉まったあとまで見てた」


「蓮司!」


また。


蓮司が笑った。


学校で時々見せる、鼻で笑うようなものとは違う。


声を出して。


肩の力を抜いて。


本当に楽しそうに。


「……」


みおは、その横顔を見つめた。


今日。


蓮司はよく笑う。


陽翔に呆れて。


真琴と言い合って。


結衣の話を聞いて。


さきにからかわれて。


そのたびに。


普段よりずっと、柔らかい顔をしていた。


そのことが。


なぜか。


みおには少し嬉しかった。


◇ ◇ ◇


夜九時過ぎ。


ゲームをして。


ケーキを食べて。


お菓子を開けて。


くだらない話で笑っているうちに、用意していた飲み物がほとんどなくなっていた。


冷蔵庫を開けた陽翔が、その中をしばらく覗き込む。


「蓮司」


「何」


「何もない」


「水あるだろ」


「泊まり会で水!?」


「死なねえよ」


真琴が空になったペットボトルを振る。


「炭酸くらい欲しい」


「私も、お茶が少し欲しいです」


結衣も続く。


みおも冷蔵庫を覗き込んだ。


「本当に何もないですね」


「一人暮らしなんてこんなもんだろ」


「黒瀬先輩の場合は極端です」


「うるせえ」


陽翔が勢いよく立ち上がった。


「じゃあコンビニ行こうぜ!」


蓮司が時計を見る。


「もう九時過ぎだぞ」


「近いだろ?」


「……まあな」


蓮司も立ち上がる。


「俺も行く」


「あ、じゃあ私も――」


みおも立とうとした。


けれど。


蓮司がすぐに止める。


「いい」


「でも」


「夜遅いし」


そして。


みお。


真琴。


結衣。


三人を順番に見た。


「お前らは残ってろ」


陽翔が自分を指差す。


「俺は?」


「お前は荷物持ち」


「俺も守られる側じゃない!?」


「うるせえ、行くぞ」


「はいはい」


蓮司は財布と上着を持つ。


玄関へ向かいながら振り返った。


「何欲しい?」


「緑茶お願いします」


結衣。


「炭酸」


真琴。


「私もお茶で」


みお。


そして陽翔が勢いよく言う。


「俺コーラ!」


蓮司が睨む。


「お前は現地で選べ」


「俺だけ扱い違くない!?」


また笑いが起きた。


「行ってくる」


「いってらっしゃい」


玄関の扉が閉まった。


◇ ◇ ◇


「……」


急に。


部屋が静かになった。


少し前まで、陽翔と蓮司の声が絶えず響いていたせいだろう。


二人いなくなっただけで、同じ部屋とは思えないほど静かに感じる。


結衣が小さく笑った。


「静かになりましたね」


「天野がいないだけで半分くらい静か」


真琴が言う。


みおも笑った。


「黒瀬先輩も結構騒いでましたよ」


「……そうだね」


真琴の返事が、少しだけ意外そうだった。


「?」


みおが見る。


真琴は、ついさっきまで蓮司が座っていた場所へ視線を向けた。


「私」


少し考えてから、柔らかい声で言う。


「あんなに笑う黒瀬、初めて見たかも」


「そうなんですか?」


みおの目が少し大きくなる。


「学校でも笑うことありますよね?」


「あるよ。でも今日みたいなのとはちょっと違う」


「……」


真琴は、上手い言葉を探すように少し黙った。


「なんていうか」


そして。


小さく笑う。


「普通の高校生みたいだった」


結衣も頷いた。


「すごく楽しそうでした」


「……」


みおは今日の蓮司を思い返す。


陽翔を馬鹿にして。


真琴に言い返して。


結衣の話を聞いて。


さきに振り回されて。


自分と同じテーブルで夕食を食べて。


何度も笑っていた。


「……家に人が集まるの」


みおはゆっくり言った。


「楽しかったんでしょうね」


「……」


真琴の視線が、ほんの少しだけ変わった。


「たぶんね」


「?」


その言い方が引っかかった。


みおが首を傾げると。


真琴は少し迷うように目を伏せた。


「みお」


「はい」


「黒瀬の家族のことって」


そこで一度。


言葉を切る。


「聞いたことある?」


「……家族?」


みおは少し考えてから、首を横へ振った。


「詳しくはないです」


蓮司が一人で暮らしていることは知っている。


でも。


どうして高校生の蓮司が一人暮らしをしているのか。


両親はどこにいるのか。


それを。


みおは聞いたことがなかった。


「前に気になったことはあるんですけど」


みおは続ける。


「聞いていいことなのか分からなくて」


「……そっか」


真琴はしばらく黙った。


自分から話していいことなのか。


少し迷っているように見える。


結衣も何も言わず、真琴を見ていた。


やがて。


真琴が静かに口を開く。


「黒瀬の両親」


「……はい」


「亡くなってるんだ」


「……」


みおの表情が止まった。


「……え?」


思ったより。


小さな声しか出なかった。


「いつ……ですか?」


「中学三年のとき」


「……」


「交通事故で」


みおの手が。


膝の上で止まる。


「二人とも……?」


「うん」


「……」


初めて聞いた。


しばらく。


何も言えなかった。


やがて、みおが小さく尋ねる。


「それで……黒瀬先輩、一人暮らしなんですか?」


真琴は首を横へ振った。


「すぐじゃないよ」


「え?」


「両親が亡くなったあとは、おじいさんとおばあさんの家に引き取られてる」


「……そうなんですね」


「中学を卒業するまでは、そこで暮らしてた」


みおの表情が少しだけ和らぐ。


完全に。


たった一人になったわけではなかった。


それだけで、ほんの少し安心した。


「祖父母とは……仲いいんですか?」


「いいみたいだよ」


「じゃあ」


みおはもう一度、部屋を見回す。


「どうして高校から一人暮らしを?」


「黒瀬が決めたんだって」


「自分で?」


「うん」


真琴が頷く。


「高校に上がるタイミングで、そろそろ自分のことは自分でやりたいって」


「……」


「祖父母は心配したみたいだけど」


真琴は部屋の天井をちらりと見る。


「ここのアパート、祖父母の知り合いが管理してるんだって」


「そうなんですね」


「だから完全に知らないところで一人暮らしさせるよりは、って」


「……」


みおは。


また部屋を見る。


初めて来たとき。


ただの古めの小さなアパートだと思った。


でも。


ここにも。


蓮司を心配した人たちの気持ちがある。


そのことを知るだけで。


少し見え方が変わった。


「黒瀬先輩……」


みおがぽつりと呟く。


「昔から、一人で何でもやろうとする人だったんですか?」


「いや」


真琴の答えは早かった。


そして。


少しだけ苦笑する。


「むしろ逆」


「逆?」


「中学の頃の黒瀬」


一度、言葉を選ぶ。


「今よりずっと荒れてたらしいよ」


みおが目を瞬いた。


「……事故のあとですか?」


「ううん」


真琴は首を横へ振った。


「事故より前」


「……」


そこは。


みおが想像していたのとは違った。


真琴は続ける。


「喧嘩したり、周りとぶつかったり。かなり好き勝手やってたみたい」


「……」


「でも」


少しだけ声が落ち着く。


「両親が亡くなってから、逆に少しずつ変わったって」


「……変わった?」


「本人が前にちょっとだけ言ってた」


真琴は思い出すように言う。


「自分がどれだけ甘えてたか、後になって分かったって」


「……」


みおは静かに聞いていた。


「好き勝手やってても」


真琴は続ける。


「家に帰れば飯があって」


「……」


「寝る場所があって」


「……」


「学校にも行けて」


「……」


「何かあれば親がいた」


みおの指先が。


膝の上でわずかに動いた。


「それが当たり前じゃなかったって」


「……」


「なくなってから気づいたんだって」


みおは何も言えなかった。


中学三年生。


まだ。


親に甘えていても。


何一つおかしくない年齢。


それなのに。


ある日突然。


その当たり前が全部なくなった。


「もちろん」


真琴が続ける。


「事故があったから急に別人になったわけじゃないよ」


「……はい」


「高校入ってからも口悪いし」


「はい」


「喧嘩っ早いところも残ってたし」


少し笑う。


「今だって不器用だし」


「……それは、はい」


みおも思わず頷いた。


真琴が笑った。


「でも、中学の頃よりはかなり落ち着いた」


「……」


「自分がやったことは、自分で何とかしようとするようになったし」


「……はい」


「高校から一人暮らし始めたのも」


真琴は蓮司の部屋を見回す。


「そういうのがあるんじゃないかな」


「……自分でやりたい」


「たぶんね」


その言葉に。


みおは。


妙に納得した。


◇ ◇ ◇


そういう人なのだ。


蓮司は。


誰かに何かをしてもらうことを。


必要以上に申し訳なく思う。


弁当を作れば。


最初は何度も断ろうとした。


みおの家で夕食を食べたあとも。


必ず片付けを手伝おうとする。


何かしてもらったら。


別の形で返そうとする。


「……」


今までは。


ただ。


不器用で律儀な人なのだと思っていた。


もちろん。


それも間違いではない。


でも。


その根っこに。


――人に甘えすぎたくない。


そんな気持ちがあるのかもしれない。


「……だから」


みおが小さく言う。


「私がご飯作ると、最初すごく遠慮してたのかな」


真琴が見る。


「あるかもね」


「お弁当も」


「うん」


「何回も『毎日じゃなくていい』って言われました」


「黒瀬らしい」


「……」


でも。


今は。


卵焼きを食べて。


うまいと言う。


みおの家へ来て。


夕食を食べる。


今日だって。


みおが夕飯の材料を持ってきたとき。


表面上はいつも通りだった。


でも。


陽翔に。


――喜んだ!


そう言われて。


必死に否定していた。


「……」


みおは。


少し笑った。


知れば知るほど。


今まで見ていた蓮司の行動が。


少しずつ。


別の意味を持って見えてくる。


◇ ◇ ◇


そして。


もう一つ。


気づく。


今日。


この部屋には。


ずっと人がいた。


陽翔が騒いで。


真琴が突っ込んで。


結衣が笑って。


さきまで押しかけてきて。


みおが料理を作って。


五人。


六人。


ずっと。


誰かの声がしていた。


でも。


普段。


蓮司がこの扉を開けたとき。


部屋にいるのは。


自分だけだ。


「……」


みおは無意識に。


玄関へ視線を向けた。


真琴が気づく。


「みお」


「はい?」


「一つだけ」


「?」


「黒瀬のこと」


真琴は少しだけ真面目な顔になった。


「かわいそうって見ないであげて」


「……」


みおは。


一瞬だけ驚いた。


でも。


すぐに首を横へ振った。


「見ません」


迷いはなかった。


真琴の眉が少し動く。


みおは続ける。


「もちろん……」


少しだけ言葉を探す。


「ご両親のことを聞いて、何とも思わないわけじゃないです」


「うん」


「すごくつらかったと思うし」


「……」


「想像したら……苦しいです」


それは本当だった。


でも。


「だからって」


みおは静かに言う。


「明日から黒瀬先輩を別の人みたいに見るのは、違うと思うから」


真琴が。


ほんの少し笑った。


「うん」


「カップ麺だけ食べてたら怒ります」


結衣が小さく笑う。


「はい」


「野菜食べなかったら怒ります」


「うん」


「お弁当作ったのに『普通』って言ったら怒ります」


真琴が笑った。


「それでいいと思う」


「……はい」


みおも。


少しだけ笑った。


◇ ◇ ◇


両親を亡くしたこと。


祖父母に引き取られていたこと。


高校進学を機に。


自分で一人暮らしを始めたこと。


そして。


両親を亡くす前。


今よりずっと荒れていたこと。


失ってから初めて。


自分がどれだけ周りに支えられていたのか気づいたこと。


みおは。


今日。


初めて知った。


それでも。


蓮司を見る目を。


変えようとは思わなかった。


ただ。


もっと。


知りたいと思った。


黒瀬蓮司という人を。


怖そうで。


口が悪くて。


不器用で。


強引なところもあって。


そのくせ。


誰かに何かをしてもらうと。


思っている以上に律儀で。


自分でできることは。


できるだけ自分でやろうとする。


友達に囲まれれば。


今日みたいに。


声を出して笑う。


「……」


みおは。


また玄関を見た。


まだ。


蓮司と陽翔は帰ってこない。


ほんの少し前まで。


二人がいなくなって静かだと思っただけだった。


今は。


早く帰ってこないかな。


そう思う。


黒瀬蓮司が。


この部屋の扉を開けて。


いつもの顔で。


「何してんだ」


そう言って入ってくるのを。


なぜか。


今すぐ見たかった。


この胸の奥にあるものが。


恋なのか。


心配なのか。


それとも。


知らなかった蓮司の一面を知ったことで。


ただ感情が揺れているだけなのか。


まだ。


みおには分からない。


ただ。


黒瀬蓮司という人が。


自分の中で。


簡単には放っておけないほど。


大切な人になっている。


そのことだけは。


もう。


否定できなかった。


【黒瀬蓮司の両親】


蓮司は中学3年生の時、両親を交通事故で亡くしている。


それまでの蓮司はかなり荒れており、周囲と衝突することも多かった。


しかし、両親を突然失ったことをきっかけに、それまで自分が両親や周囲の人間に甘えていたことを強く自覚するようになる。


自分が好き勝手に振る舞っていても、帰る家があり、生活できていたのは当たり前のことではなかった。


そのことに気づいたことで、蓮司は少しずつ以前のような荒れ方をしなくなっていった。


両親が亡くなったあとは祖父母に引き取られ、中学校を卒業するまで祖父母の家で暮らしている。


祖父母との関係は良好。


蓮司自身も祖父母には感謝しているが、高校進学を機に自立することを決める。


そして高校入学と同時に祖父母の家を出て、現在のアパートで一人暮らしを始めた。


現在住んでいるアパートは、祖父母の知り合いが管理している物件。


祖父母としても、完全に知らない場所で一人暮らしをさせるより安心できるということで、そこで暮らすことになった。


高校の進学費用や現在の生活費には、両親が遺した保険金を使っている。


蓮司が祖父母の家を出る際、祖父母からそのお金を蓮司へ渡され、以降は自分で生活を管理している。


無駄遣いをしなければ、高校卒業後に大学へ進学した場合も、大学進学分までは何とか賄える程度の金額が残されている。


ただし、蓮司自身も保険金だけに頼り続けるつもりはない。


夏休みや冬休みなど、まとまった休みがある時にはアルバイトをしている。


そこで稼いだお金は、日々の生活費の足しにしたり、服や遊びなどの交際費に使ったりしている。


普段の食生活が簡単なものに偏りがちなのも、一人暮らしという生活環境の影響が大きい。


料理がまったくできないわけではないが、自分一人のために手間をかけることが少なく、簡単に済ませてしまうことが多い。


高校へ進学してからは祖父母と離れて暮らしているものの、関係が疎遠になったわけではない。


蓮司は週に一度、必ず祖父母へ電話をしている。


内容は特別なものではなく、


「ちゃんと飯食ってるのか」

「学校はどうだ」

「困ったことはないか」


といった普通のやり取りが中心。


蓮司も普段は素っ気なく答えることが多いが、電話そのものを欠かすことはほとんどない。


両親を失ったことで急に大人になれたわけではなく、高校へ進学したあとも蓮司には荒っぽさや不器用さが残っている。


それでも中学時代と比べればかなり落ち着いており、自分の行動や生活に対して少しずつ責任を持つようになっている。


両親を失った経験は、蓮司にとって非常に大きな出来事。


同時に、自分が周囲に支えられて生きていたことを初めて強く意識し、自分自身の生き方を考え始めるきっかけにもなっている。

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