第43話 次は、佐倉家で
さきは。
「少しだけ」と言って入ってきたはずだった。
けれど、ケーキの箱が開き、全員に皿が配られ、気づけばコーヒーまで淹れ始めている。
完全に。
その場の一員になっていた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ私はモンブラン」
さきがケーキの箱を覗き込む。
「あ、俺チョコで!」
陽翔が即座に手を挙げた。
真琴は迷うことなく、
「チーズケーキ」
結衣は箱の中を見比べてから。
「私はショートケーキにします」
最後に、みおが蓮司を見る。
「黒瀬先輩は?」
「何でもいい」
「一番困るやつです」
「じゃあ残ったので」
「はいはい」
結局。
蓮司にはチョコレートケーキ。
みおはショートケーキ。
夕食を食べ終えたばかりだというのに、今度はケーキを囲んで二度目の食事会のような時間が始まった。
「美味しい!」
結衣が嬉しそうに笑う。
さきもモンブランを一口食べながら頷いた。
「今日かなり余ったらしくてさ。捨てるくらいなら持って帰ってって言われたの」
真琴が尋ねる。
「どこでバイトしてるんですか?」
「駅前のカフェ」
「へえ」
「今度来てよ。私がいる日に」
「はい!」
誰よりも早く。
陽翔が答えた。
「……」
全員の視線が、一斉に陽翔へ集まる。
陽翔も。
数秒遅れて気づいた。
「……何?」
真琴が淡々と言う。
「早い」
「ケーキ好きだから!」
蓮司が横からぼそっと口を挟む。
「さっきまでポテチ食ってただろ」
「甘いものは別腹!」
「何でも別腹じゃねえか」
「うるさい!」
さきが楽しそうに笑った。
「じゃあ今度来てね、陽翔くん」
「……はい!」
また。
ものすごくいい返事だった。
みおは隣から陽翔をじっと見る。
「……」
「何、みおちゃん」
「別に」
「蓮司みたいなこと言うなよ!」
「俺関係ねえだろ」
すぐさま蓮司が返し。
また笑いが起きた。
◇ ◇ ◇
しばらくすると。
さきの興味は、当然のようにみおの学校生活へ向かった。
「で」
フォークを置く。
みおには。
その時点でもう嫌な予感がした。
「何?」
「せっかくだから聞いとこうかな」
さきは真琴を見る。
「真琴ちゃん」
「はい」
「みお、学校でちゃんとやれてる?」
「お姉ちゃん!」
みおがすぐに止めに入る。
真琴は少しだけ考えて。
「かなり」
「ほんと?」
「転校してきたばかりの頃より、全然馴染んでます」
「へえ」
「友達もいるし」
「うんうん」
「料理で餌付けもしてる」
「してない!」
すぐに陽翔が手を挙げた。
「されてます!」
「陽翔先輩!」
「俺もう完全に、みおちゃんの卵焼きに支配されてる!」
蓮司が呆れたように言う。
「お前は何でも食うだろ」
「蓮司もだろ!」
「俺は……」
一瞬。
蓮司の言葉が止まる。
みおが見ると。
すっと顔を逸らした。
「……普通に食ってるだけだ」
さきの口元が上がる。
「卵焼き好きなんだよね?」
「……」
蓮司が嫌そうな顔でさきを見る。
そして。
みおを見る。
「佐倉」
「私、今言ってないよ!」
「前に自分で言ってたじゃん」
「そうだっけ?」
「言った」
さきが笑う。
「黒瀬くん、相変わらず素直じゃないねえ」
「うるせえ」
「でも、うちで二回も夕飯食べてるもんね」
「お姉ちゃん!」
今度は。
真琴と結衣が同時に反応した。
「二回?」
結衣が目を丸くする。
「あ」
みおも遅れて気づいた。
そういえば。
結衣には、そのあたりを詳しく話していなかった。
真琴はというと。
「へえ」
それだけ。
たった二文字なのに。
妙に含みがある。
蓮司も察したらしい。
「桐谷」
「何?」
「その顔やめろ」
「何もしてないけど」
「してる」
さきがさらに楽しそうに続ける。
「最初は私が誘ってね」
「お姉ちゃん、説明しなくていいから!」
「二回目は黒瀬くんのほうから、『また行ってもいいか』って」
「そこまで言わなくていい!」
陽翔が勢いよく蓮司を見る。
「お前そんなこと言ったの!?」
「……飯がうまかったからだよ!」
みおの頬が。
少しだけ赤くなる。
さきは気づいた。
もちろん。
気づいた。
けれど今日は、そこを深追いしなかった。
◇ ◇ ◇
今度は。
さきの視線が結衣へ向く。
「結衣ちゃんは二年生なんだっけ?」
「はい」
「で、真琴ちゃんの彼女?」
「……はい」
結衣が少し照れながら頷いた。
さきの顔が、一気に明るくなる。
「いいねえ!」
真琴が眉を寄せた。
「何がですか」
「高校生カップルって眩しいじゃん」
「雑ですね」
「大学生から見ると、もうそれだけで青春って感じする」
結衣がくすくす笑う。
「でも」
少し二人を見比べてから言った。
「さきさんと真琴先輩って、ちょっと似てますね」
真琴が即座に答える。
「やめて」
「なんでですか?」
さきが笑った。
真琴も平然としている。
「みおから聞いてました」
「何を?」
「お姉さん、面白いって」
「そんな言い方してない!」
みおが慌てて割り込む。
「じゃあ何て?」
「……ちょっと強いって」
「悪化してる!」
また。
部屋中に笑い声が広がった。
◇ ◇ ◇
そして当然。
陽翔も逃げられない。
「陽翔くんは?」
「はい!」
今日何度目か分からない。
やたら元気な返事。
「部活とかやってるの?」
「サッカーです!」
「へえ、運動部なんだ」
「はい!」
「じゃあ勉強は?」
「……」
急に。
声が小さくなった。
「まあ……」
真琴が横から補足する。
「弱い」
「真琴!」
「テスト前になると、黒瀬と二人で死んでます」
「なんで俺まで巻き込むんだよ!」
今度は蓮司が抗議する。
さきは声を上げて笑った。
「でも、元気でいいね」
「……!」
陽翔の背筋が。
ぴん、と伸びた。
「ありがとうございます!」
蓮司が冷たい目を向ける。
「お前、今日ずっと声でけえぞ」
「普通だ!」
真琴も続く。
「普段より三割増し」
結衣が小声で。
「五割くらい……」
「結衣ちゃんまで!?」
陽翔の必死な反論に。
また笑いが起きる。
さきは。
陽翔の好意にまったく気づいていないわけではなさそうだった。
ただ今のところは。
元気で分かりやすい高校生だな。
そのくらいの感覚らしい。
それが陽翔にとっては。
むしろ助かっていた。
まともに意識されたら。
たぶん今以上に喋れなくなる。
◇ ◇ ◇
話題がひと通り全員へ回ったところで。
さきが急に。
「あ、そうだ」
みおが即座に警戒した。
「何」
「この子ね」
嫌な予感しかしない。
「小さい頃――」
「待って!」
みおが立ち上がった。
さきが笑う。
「まだ何も言ってないけど」
「子供の頃の話は禁止!」
「なんで?」
「恥ずかしいから!」
「聞きたい!」
陽翔。
「聞きたい」
真琴。
「私もちょっと……」
結衣まで。
そして蓮司は。
「……」
何も言わない。
けれど。
明らかに聞く姿勢になっている。
みおがすぐに気づいた。
「黒瀬先輩まで!」
「何も言ってねえだろ」
「顔が聞きたいって言ってます!」
「顔は関係ねえ」
さきが満足そうに笑う。
「じゃあ多数決ね」
「やらない!」
しかし。
もう遅かった。
「みおが小学校低学年くらいの頃」
「お姉ちゃん!」
「めちゃくちゃ人見知りでさ」
結衣が驚いた。
「そうだったんですか?」
「うん。今より全然」
「……今も最初はちょっと緊張しますけど」
みおは小さくなる。
さきは構わず続けた。
「親戚の集まりとか行くと、ずーっと私の後ろに隠れてた」
「可愛い」
結衣が即答する。
みおの顔が赤くなった。
「言わなくていい!」
「あとね」
「まだあるの!?」
「知らない大人に声かけられると」
さきが少し幼い声を作る。
「『お姉ちゃん、代わりに喋って』って」
「可愛い!」
今度は陽翔。
「陽翔先輩!」
「ごめん!」
その横で。
蓮司の口元が。
ほんの少し上がった。
「黒瀬先輩」
「何」
「今笑いましたね」
「笑ってねえ」
「絶対笑った!」
「気のせい」
さきがさらに追い打ちをかける。
「黒瀬くん、今度写真見せてあげようか?」
「お姉ちゃん!!」
蓮司が。
一瞬だけ迷った。
「……別に」
みおが目を見開く。
「見たいんですね!?」
「言ってねえ!」
真琴が横からぼそっと。
「見たい顔」
「桐谷!」
完全に。
味方がいなかった。
◇ ◇ ◇
さきの暴露は。
それだけでは終わらない。
「あと、みおって昔から料理好きだったんだよ」
みおが少しだけ安心する。
それなら。
まだ大丈夫。
「最初はお菓子だったよね」
「うん」
「私にクッキー作ってくれて」
結衣が柔らかく笑う。
「素敵ですね」
さきも頷く。
「めちゃくちゃ硬かったけど」
「……」
みおの表情が止まった。
「お姉ちゃん」
「歯、折れるかと思った」
「それ初めて作ったとき!」
陽翔が笑う。
「みおちゃんにも失敗作あったんだ!」
「ありますよ!」
そして。
何かを思いついた顔。
「じゃあ、真琴の黒い卵焼きもいつか――」
「天野」
真琴の声が。
低くなった。
「ごめんなさい!」
即座に謝った。
さきは笑いながら。
少し懐かしそうにみおを見る。
「でも、何回も作ってさ」
「……」
「そのうち私より上手になって」
「……うん」
「今じゃ完全に、私が食べさせてもらってる」
みおも少し照れくさそうに笑った。
「お姉ちゃん料理しないから」
「できないとは言ってない」
「黒瀬先輩と同じこと言ってる」
「俺を巻き込むな」
すぐに飛んでくる蓮司の反論。
また。
笑い声が重なった。
◇ ◇ ◇
気づけば。
さきが来てから一時間近く経っていた。
「……あ」
時計を見て。
さきがようやく気づく。
「やば」
「何?」
「私、少しだけのつもりだった」
真琴が淡々と言う。
「完全に参加してましたね」
「楽しくて」
結衣も笑った。
「私も楽しかったです」
「ほんと?」
ほんの一時間ほど。
それだけなのに。
さきはもう全員と自然に話していた。
真琴とは。
互いに遠慮なく突っ込める。
結衣とは。
普通に女子トークが続く。
蓮司とは以前から面識がある分、遠慮がない。
そして。
陽翔は。
さきが話すたびに、ずっと機嫌がいい。
「じゃあ」
さきが立ち上がった。
「そろそろ帰ろうかな」
「……」
陽翔の表情が。
本当に分かりやすく落ちた。
真琴が横目で見る。
けれど。
何も言わない。
まだ。
「みんな」
コートを着ながら、さきが笑う。
「今日はありがとう」
みおが呆れたように返す。
「お姉ちゃんが押しかけたんでしょ」
「ケーキ持ってきたじゃん」
「それはありがとう」
「素直」
そして。
ふと思いついたように。
さきが全員を見る。
「今度さ」
「?」
「うちでもお泊まり会しなよ」
「え?」
みおが振り返った。
「うちで?」
「いいじゃん。今日みたいに、みんなで来て」
「でも、お姉ちゃんいるでしょ」
「私は邪魔しないし」
「絶対する」
「しないって」
その瞬間。
「はい!」
ものすごく元気な声が響いた。
全員が。
見る。
陽翔。
しかも。
右手までしっかり挙がっていた。
「行きます!」
「……」
部屋が。
一瞬静かになった。
陽翔も。
数秒遅れて気づく。
「あ」
真琴が口元を押さえる。
結衣も笑いを堪えている。
蓮司は完全に呆れた顔。
そして。
みおは半目だった。
「陽翔先輩」
「何?」
「私たちの家ですよ?」
「知ってる!」
「返事早すぎない?」
「お泊まり会好きだから!」
「今日が初めてでしょ!」
「楽しいから!」
さきはそんな陽翔を見て。
楽しそうに笑った。
「じゃあ決まりね」
「はい!」
蓮司がため息交じりに言う。
「天野」
「何だよ」
「お前ほんと分かりやすいな」
「何が!?」
「何でもねえ」
みおも。
もう何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
玄関。
「じゃあ、みお」
「うん」
「明日帰ってきたら連絡して」
「分かった」
「薬も忘れないでね」
「大丈夫」
さきは頷くと。
今度は蓮司を見る。
「黒瀬くん」
「何」
「みお、よろしくね」
「……俺に言うなよ」
「家主でしょ」
「みんないるだろ」
「じゃあ」
さきが全員を見る。
「みんな、よろしく」
結衣が笑顔で頷く。
「はい」
真琴も。
「分かりました」
そして。
「任せてください!」
やっぱり。
陽翔が一番大きな声だった。
さきが笑う。
「陽翔くんもありがと」
「はい!」
みおは。
黙って陽翔を見る。
これは。
かなり重症かもしれない。
「じゃあ、お邪魔しました」
さきが手を振る。
「またね」
「おやすみなさい」
「気をつけて」
玄関の扉が。
静かに閉じた。
◇ ◇ ◇
「……」
数秒。
部屋が静かになる。
蓮司が。
小さく息を吐いた。
「……相変わらずだな、あの姉ちゃん」
みおが振り返る。
「何がですか」
「馴染むの早すぎ」
真琴も頷く。
「確かに」
結衣は楽しそうに笑った。
「でも、楽しいお姉さんですね」
「でしょ?」
みおが少し嬉しそうに答える。
蓮司も。
「まあな」
とだけ言った。
そして。
陽翔。
「……」
まだ。
閉まった玄関の扉を見ていた。
真琴が気づく。
「天野」
「何?」
「もう帰ったよ」
「分かってるよ!」
「追いかけなくていいの?」
「何で!?」
蓮司が笑う。
結衣も笑う。
全員が。
完全に確信した。
蓮司がとうとう笑いながら言う。
「天野」
「何だよ!」
「お前、もう隠す気ねえだろ」
「違うって!!」
さきが帰ったあとも。
蓮司の部屋の賑やかさは。
少しも減らなかった。
むしろ。
天野陽翔の分かりやすすぎる恋が一つ増えたぶん。
さっきより。
ほんの少しだけ。
騒がしくなった気さえした。




