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第42話 陽翔先輩、落ちる

夕方六時過ぎ。


蓮司の部屋には、焼きそばの香ばしい匂いが広がっていた。


もともと置いてある小さなテーブルだけでは五人分の料理が乗り切らず、蓮司が押し入れから引っ張り出してきた折り畳みテーブルまで横へ並べられている。


中央には、みおと結衣が作った大量の焼きそば。


簡単なサラダ。


野菜のスープ。


そして。


「少し卵が余ったので」


と、みおが追加で作っただし巻き卵まで並んでいた。


「いただきます!」


誰よりも早く陽翔が箸を伸ばした。


焼きそばを一口。


「……!」


目が見開かれる。


「うっま!!」


「声大きいです」


みおが笑う。


「いや、これマジでうまい! みおちゃん、焼きそばまでうまいの!?」


「焼きそばはそんなに難しくないですよ」


「でも俺が作るのと全然違う!」


真琴が淡々と尋ねた。


「天野の焼きそばってどんなの?」


「普通だよ!」


「具体的に」


「麺入れて、ソース入れて、焼く!」


「具は?」


「……」


陽翔が止まった。


真琴がじっと見る。


「天野」


「もやし!」


「だけ?」


「……たまにウインナー!」


結衣が困ったように笑う。


「それはそれで美味しそうですけど」


「結衣だけだ! 俺の味方!」


真琴が結衣を見る。


「結衣が優しいだけ」


「真琴ひどい!」


文句を言いながらも。


陽翔の箸はまったく止まらない。


「このスープもうま!」


「はいはい」


「サラダもうま!」


「野菜ですよ?」


「みおちゃんが作ると野菜もうまい!」


「何ですか、それ」


そして。


陽翔の視線が卵焼きへ移った。


「卵焼き!」


一切れ。


ぱくり。


「うっま!」


すぐに。


二切れ目へ箸を伸ばす。


その直前。


横から。


別の箸が飛んできた。


ひょい。


「あっ!」


陽翔が狙っていた卵焼きが、そのまま蓮司の皿へ移動する。


「蓮司!」


「食いすぎ」


「まだ卵焼き一個しか食ってない!」


「焼きそば三回おかわりしただろ」


「卵焼きは別腹!」


「知らねえよ!」


「蓮司のほうがいっぱい食ってる!」


「俺ん家だ」


陽翔が目を見開いた。


「家主特権!?」


みおが吹き出す。


「まだありますよ」


陽翔が勢いよく振り返った。


「本当!?」


「少しだけですけど」


「みおちゃん神!」


「大げさです」


そんなやり取りをしながら。


夕食は賑やかに続いていった。


◇ ◇ ◇


真琴と結衣は、隣同士に座っている。


結衣がサラダへ箸を伸ばし。


一つ。


トマトを取った。


そのまま。


ぽん。


真琴の皿へ置く。


「真琴先輩、野菜も食べてください」


「食べてる」


「トマト残してました」


「……見てた?」


「はい」


真琴はトマトを見る。


結衣を見る。


何も言わず。


ぱくり。


素直に食べた。


その様子を見ていた陽翔が、すぐに笑う。


「真琴、結衣の言うことなら何でも聞くよな」


「天野」


「何?」


「口開けて」


「え?」


真琴が。


サラダを箸でごっそり掴んだ。


「待って待って待って!」


「野菜好きなんでしょ?」


「限度がある!」


「遠慮しないで」


「して!」


部屋に笑い声が響いた。


◇ ◇ ◇


「……」


そんな中。


みおは。


少しだけ驚いていた。


蓮司が。


笑っている。


もちろん。


普段だって笑わないわけではない。


陽翔と真琴と一緒にいれば。


呆れたり。


怒ったり。


たまに笑ったりする。


でも今日は。


明らかに。


いつもより笑う回数が多かった。


陽翔が馬鹿なことを言えば。


「アホか」


と言いながら笑う。


真琴に突っ込まれれば。


「うるせえ」


と言い返しながら、どこか楽しそうだ。


結衣が笑えば。


それにつられたように口元を緩める。


そして今も。


自分の部屋に。


友達がいて。


みんなで料理を食べて。


くだらないことで騒いでいる。


その時間を。


蓮司自身が楽しんでいるように見えた。


「……」


みおは。


つい。


その横顔を見つめてしまう。


やがて。


蓮司が気づいた。


「何だよ」


「いえ」


みおは少しだけ笑う。


「楽しそうだなって」


「……俺が?」


「はい」


「別に」


いつもの言葉。


でも。


今日のみおには。


もう分かった。


「そうですか」


「何だよ、その顔」


「別に?」


蓮司の眉が動く。


「真似すんな」


「ふふっ」


みおが笑う。


蓮司も。


「……ったく」


そう言いながら。


ほんの少し。


笑った。


その顔を見て。


みおの胸の奥が。


じんわり温かくなった。


◇ ◇ ◇


そのとき。


テーブルの脇へ置いてあった、みおのスマートフォンが震えた。


ぶぶっ。


「ん?」


画面を見る。


さきからだった。


『みおー』


続けて。


『今日バイト先で余ったケーキいっぱいもらった』


その下には写真。


大きな箱の中に。


ショートケーキ。


チョコレートケーキ。


モンブラン。


チーズケーキ。


いろいろな種類が詰められている。


「……多っ」


思わず声が漏れた。


隣にいた結衣が少しだけ画面を見る。


「ケーキですか?」


「お姉ちゃんからです」


さらに。


メッセージが来た。


『消費期限今日なの』


『そっち持ってっていい?』


「……」


みおが止まる。


今日。


蓮司の家でお泊まり会。


そこへ。


さき。


「……」


嫌な予感がする。


ものすごく。


嫌な予感がする。


みおは返信した。


『みんなで食べるから大丈夫だよ』


すぐ。


既読。


そして。


『じゃあ今から持っていく』


「……」


みおの指が止まった。


『え、来るの?』


『だって私一人じゃ食べきれない』


『明日じゃダメ?』


『今日まで』


『何個あるの?』


少しして。


『8個』


「八個!?」


思わず声が出た。


陽翔が即座に反応する。


「何が八個!?」


「ケーキです」


「ケーキ!?」


真琴も結衣も反応した。


その間にも。


さきからメッセージ。


『全部私に食べろっていうの?』


続いて。


『妹よ』


さらに。


『姉を太らす気?』


みおの眉が寄る。


『知らないよ!』


即返信。


すると。


『薄情な妹』


『お姉ちゃんが持って帰ってきたんでしょ!』


『大学生女子に8個のケーキは過酷です』


『協力してください』


「……」


みおは深いため息をついた。


蓮司が聞く。


「何」


「……お姉ちゃんが」


「あの姉ちゃんか……」


蓮司の表情が。


わずかに引きつった。


これまで。


みおの家で二度夕食を食べた。


そのたびに。


さきから質問され。


からかわれ。


妙なところまで見透かされた。


別に。


嫌いではない。


むしろ。


自分を自然に家へ迎えてくれた人として。


ありがたいとすら思っている。


ただ。


少しだけ。


苦手だった。


「今日、バイト先で余ったケーキもらったみたいで」


「うん」


「今日中に食べないといけないらしくて」


「うん」


「八個」


陽翔が即座に手を上げる。


「食う!」


真琴も。


「私も一個なら」


結衣も嬉しそうに笑った。


「ケーキいいですね」


みおは家主を見る。


「持ってきてもいいですか?」


「別にいいけど」


蓮司は。


少しだけ嫌そうな顔で聞いた。


「……姉ちゃんも来んの?」


「持ってくるだけだと思います」


「……そう」


その横で。


陽翔が興味津々だった。


「みおちゃんのお姉ちゃん?」


「はい」


「どんな人!?」


陽翔がさらに身を乗り出す。


「似てる!?」


「どうだろう」


みおは少し考える。


「顔はちょっと似てるって言われますけど」


すると。


蓮司が何気なく言った。


「似てる」


みおが振り返る。


「そうですか?」


「ああ」


「へえー!」


陽翔の興味が。


ますます強くなる。


「どんな感じ!?」


蓮司が少し考えた。


「……佐倉を」


みおを見る。


「そのまま大人にして」


「はい」


「性格を三倍くらい面倒にした感じ」


「黒瀬先輩!」


真琴が吹き出した。


「分かりやすい」


「分からないですよ!」


結衣も笑う。


「会ってみたいです」


「私も」


真琴も頷く。


陽翔は。


「俺も!」


誰より元気よく答えた。


みおは。


小さくため息をつく。


「……絶対、変なこと言うからなぁ」


◇ ◇ ◇


それから三十分ほどして。


ぴんぽーん。


インターホンが鳴った。


「あ、来た」


みおが立ち上がる。


蓮司も。


少しだけ嫌そうに玄関を見る。


「マジで来た」


「ケーキ持ってきてくれたんですよ」


「分かってる」


みおは玄関へ向かい。


扉を開けた。


「こんばんはー」


そこには。


さきが立っていた。


午後から入っていたバイトの帰りらしく、ベージュ系のロングコートに、シンプルなニット。少し大人っぽいメイクをしている。


片手には。


大きなケーキの箱。


もう片方にはバッグ。


「はい」


みおへ箱を差し出す。


「本当に八個あるの?」


「ある」


「もらいすぎでしょ」


「店長が『若いから食べられるでしょ』って」


「雑」


「ひどいよね」


さきは靴を脱がず。


箱だけ渡す。


「じゃ、私はこれで」


その声が。


リビングまで届いた。


すぐに。


「えー!」


陽翔。


続いて。


結衣も顔を出す。


「帰るんですか?」


真琴までやってくる。


「せっかくだし、少し入ったらどうですか?」


さきが少し驚く。


「え、いいの?」


そして。


玄関の奥。


家主を見る。


蓮司。


「……」


全員の視線が集まる。


蓮司が嫌そうな顔をした。


「俺ん家なんだけど」


真琴が平然と返す。


「だから聞いてる」


結衣も。


「少しだけなら」


そして。


陽翔。


「入りましょう!」


蓮司が即座に睨んだ。


「お前が決めんな」


さきが笑う。


「黒瀬くん、邪魔なら帰るよ?」


「……別に」


「じゃあ、お邪魔します」


「決断早えな」


さきはすぐに靴を脱いだ。


「お邪魔しまーす」


「……」


蓮司は。


やっぱり少し苦手そうな顔をしていた。


◇ ◇ ◇


リビングへ入った瞬間。


結衣が。


「あ……」


と、小さな声を漏らした。


さきが見る。


「?」


「すみません」


結衣は。


みお。


さき。


二人を交互に見る。


「似てますね」


さきの顔が少し明るくなった。


「本当?」


「はい」


結衣は素直に頷く。


「みおちゃんに似てるんですけど……」


少し言葉を選んで。


「もっと大人っぽくて、すごく美人です」


「……!」


さきの顔が。


一気に明るくなった。


「結衣ちゃんだっけ?」


「はい」


「いい子!」


みおが呆れる。


「単純」


「だって美人って言われた」


真琴も。


さきを見て頷いた。


「確かに」


「真琴ちゃんも?」


「みおを、そのまま大人っぽくした感じ」


さきがすぐにみおを見る。


「ほら!」


「何」


「聞いた?」


「聞いた」


「美人だって」


「よかったね」


「反応薄い!」


真琴が少し笑う。


「でも、雰囲気は結構違いますね」


結衣も頷いた。


「みおちゃんは可愛い感じで、お姉さんは綺麗って感じです」


「……結衣ちゃん」


さきが胸へ手を当てた。


「今日から妹にならない?」


真琴が即答した。


「ダメです」


「早っ」


結衣がくすくす笑う。


「真琴先輩」


「結衣は私の――」


そこで。


真琴が止まった。


全員が見る。


「……」


真琴は少しだけ顔を逸らした。


「別に」


さきの口元が。


にやりと上がる。


「なるほど」


真琴がすぐに見る。


「何ですか」


「いやぁ?」


みおは。


思わず額へ手を当てた。


「もう馴染んでる……」


来て。


まだ数分。


それなのに。


さきは。


完全にいつものさきだった。


◇ ◇ ◇


ただ。


一人だけ。


さっきから。


ほとんど喋っていない人物がいた。


天野陽翔。


「……」


ずっと。


さきを見ている。


「……」


さきがケーキ箱をテーブルへ置く。


陽翔の目が追う。


さきがコートを脱ぐ。


追う。


結衣と話す。


追う。


笑う。


追う。


「……」


真琴が。


気づいた。


「天野」


「……」


反応がない。


「天野」


「……」


真琴の眉が上がる。


「陽翔」


「えっ!?」


ようやく。


陽翔が飛び上がるように反応した。


「何!?」


真琴は。


陽翔の顔を見る。


そして。


さき。


もう一度。


陽翔。


「……」


数秒。


理解した。


「何だよ」


陽翔が警戒する。


真琴は声を落とした。


「どうしたの」


「何が」


「顔」


「普通だけど」


「耳赤いけど」


「暑い!」


真琴が部屋を見る。


「さっきまで普通だったよ」


「ケーキ見たから!」


「ケーキで耳赤くなる?」


「なる!」


「ならないでしょ」


そのやり取りで。


蓮司までようやく気づいた。


「天野」


「何だよ!」


「お前」


少し間を置いて。


「さっきから姉ちゃん見すぎ」


「……っ!」


陽翔が。


固まった。


みおが。


ゆっくり陽翔を見る。


「……え?」


さきも。


自分を指差した。


「私?」


陽翔の顔が。


見る見る赤くなっていく。


「ち、違っ!」


全員が見る。


「違うっていうか!」


真琴が淡々と呟いた。


「分かりやす」


結衣は口元へ手を当てる。


「陽翔先輩……」


「何!?」


陽翔が結衣を見る。


けれど。


すぐに。


また。


さきをちらり。


目が合った。


「?」


さきが。


何の悪気もなく笑う。


「……っ」


陽翔は。


ものすごい勢いで目を逸らした。


蓮司。


真琴。


結衣。


三人が。


ほぼ同時に察した。


みおだけ。


数秒遅れる。


陽翔を見る。


さきを見る。


もう一度。


陽翔。


「……まさか」


「違う違う違う!」


陽翔が慌てて両手を振る。


みおが目を丸くする。


「まだ何も言ってません!」


「……」


陽翔の動きが。


止まった。


完全な。


墓穴だった。


「……ぷっ」


真琴が最初に吹き出す。


続いて。


蓮司まで笑う。


「お前、マジかよ」


「だから違うって!」


結衣も。


必死に笑いを堪えている。


みおは。


ようやく全部を理解し始めた。


天野陽翔。


明るくて。


いつも騒がしくて。


少し前には。


彼女が欲しいと散々言っていた先輩。


その人が。


自分の姉を見て。


明らかに。


いつもと違う。


「……陽翔先輩」


「何!?」


「お姉ちゃんのこと――」


「違う!」


みおの眉が上がる。


「まだ最後まで聞いてません!」


「……」


また。


墓穴。


今度こそ。


全員が笑った。


「陽翔先輩、分かりやすすぎます!」


「うるさい!」


「私、何も言ってませんよ!」


「言おうとしただろ!」


「何をですか?」


「それは……!」


言えない。


そして。


さきも。


ようやく。


この状況の意味が分かってきたらしい。


「あー」


小さく声を漏らした。


陽翔を見る。


「もしかして」


「……」


陽翔が。


完全に固まった。


顔は真っ赤。


耳まで赤い。


目を合わせられない。


さきは。


そんな陽翔を数秒眺めたあと。


少し面白そうに。


そして。


柔らかく笑った。


「かわいいね」


「……!」


陽翔の顔が。


さらに赤くなった。


「うわっ!」


真琴がとうとう吹き出す。


蓮司も笑う。


結衣も。


そして。


みおまで。


「陽翔先輩、顔!」


「うるさい!!」


部屋の中に。


また。


大きな笑い声が響いた。


さきは。


まだ。


陽翔が自分をどう思ったのか。


すべて理解したわけではない。


ただ。


一つだけは。


誰が見ても。


どうしようもないほど。


明らかだった。


天野陽翔。


彼女が欲しいと。


あれだけ騒いでいた男は。


佐倉さきを見た瞬間。


どうやら。


かなり。


分かりやすく。


落ちたらしかった。


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