↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/59

第3話 その事実より、気になること

朝のホームルームが終わった三年A組。


担任が教室を出ていった途端、それまで抑えられていた話し声が一気に戻った。


椅子を引く音。教科書を閉じる音。次の授業の話や、昨日見た動画の話。


そんな雑多な会話に混じって、最近この学年でもよく耳にする名前があった。


「なあ、一年にめちゃくちゃかわいい転校生入ったらしいじゃん」


「佐倉さんでしょ?」


「昨日見た。普通にモデルみたいだった」


「一年B組だっけ?」


どうやら噂は、一年生の中だけでは収まっていないらしい。


二学期の途中に突然やってきた転校生。


しかも、かなりかわいい。


それだけでも、話題になる理由としては十分だった。


自分の席でその会話を聞いていた陽翔が、にやっと笑う。


「……だってよ、蓮司」


「何が」


蓮司は机に頬杖をついたまま、露骨に興味のなさそうな顔をしていた。


陽翔は前の席を勝手に反対向きにして座り、ぐっと身を乗り出す。


「一年の佐倉みおちゃん。三年でも噂になってるぞ」


「だから何だよ」


「かわいいって」


「知らねえよ」


すると、隣の机に腰を預けていた真琴が冷めた目を向けた。


「知らないわけないじゃん」


「あ?」


「今朝、一緒に登校してたくせに」


蓮司の眉がぴくりと動く。


陽翔も待ってましたとばかりに食いついた。


「そう! それ!」


「朝からうるせえな」


「いやいや、これは聞くだろ。なんで一緒だったの?」


「近所だった。それだけだ」


「偶然?」


「ああ」


「昨日の帰りに判明した?」


「……そうだよ」


陽翔は数秒、蓮司の顔をじっと見つめた。


そして。


「嘘くせえ」


「ぶっ飛ばすぞ」


「だってさあ」


陽翔は笑いながら人差し指を立てる。


「偶然、家が近所だった。これは分かる」


二本目。


「偶然、登校時間も一緒だった。まあ、これも分かる」


三本目。


「でも、あんなかわいい子がお前に自分から声かけるのは分からない」


「そこだけおかしいだろ!」


蓮司が思わず机を叩く。


近くの生徒が何事かと振り返った。


真琴は笑いを堪えることもなく頷く。


「いや、そこは天野に同意」


「何でだよ!」


「あんた、自分の顔を鏡で見たことある?」


「毎朝見てるわ!」


「じゃあ分かるでしょ」


「何が!」


陽翔が目つきを鋭くし、声まで低くして蓮司の真似をした。


「一年? 見ねえ顔だな」


「……殺す」


「ほら、それ!」


「お前の真似がムカつくんだよ!」


真琴が肩を揺らして笑う。


蓮司は完全に機嫌を悪くし、椅子へ深く座り直した。


「向こうから挨拶してきたんだよ」


「みおちゃんから?」


「ああ」


「へえー?」


陽翔の声が一段高くなる。


「しかも、もう名前で呼んでんじゃん」


「昨日名乗ってただろ!」


「俺なら脈あり判定するね」


「頭湧いてんのか」


「蓮司よりは恋愛経験あると思うけど?」


一瞬。


蓮司が黙った。


真琴も陽翔を見る。


陽翔は胸を張った。


「……たぶん」


「そこで自信なくすなよ」


真琴が呆れたように言う。


「うるさいな。じゃあ真琴はいいよなぁ」


「何が」


「彼女いるじゃん」


「いるけど」


間髪入れずに返ってきた。


陽翔が机へ突っ伏す。


「くっそー。羨ましい」


「知らないよ」


「俺も彼女ほしい!」


「作れば?」


「簡単に言うなよ!」


真琴は肩をすくめた。


「声かけて、断られて、また別の子に声かけてるじゃん。いつものことじゃん」


「俺だって傷つくんだからな?」


「初耳」


「ひどくない?」


「事実」


容赦がない。


陽翔はしばらく机へ突っ伏していたが、やがて何かを思いついたように勢いよく顔を上げた。


「……そうだ」


蓮司が嫌な予感を覚えて目を細める。


「何だよ」


陽翔の口元が、ゆっくり上がった。


「俺、みおちゃんにちょっとアタックしてみようかな」


蓮司の指が止まった。


「……は?」


真琴も少し意外そうに陽翔を見る。


「あれ?」


「何?」


「あんた、そういうところ気にしないんだ」


「そういうところ?」


真琴は一瞬だけ考えた。


そして、さっきまでより少し声を落とす。


「佐倉さんのこと」


「みおちゃんが何?」


「……知らないんだ」


「だから何を?」


陽翔だけではない。


蓮司も真琴を見ていた。


真琴は一度、周囲を確認した。


学校では、本人の事情を興味本位で詮索したり言いふらしたりすることは禁止されている。


だから、面白半分に話すようなことではない。


少し迷った末、真琴は二人だけに聞こえる声で言った。


「佐倉さん、トランスジェンダーだよ」


陽翔が目を瞬かせる。


蓮司も何も言わない。


「……トランスジェンダー?」


陽翔が聞き返した。


「うん」


真琴はなるべく簡潔に続ける。


「出生時には男の子として扱われてたけど、佐倉さん自身は女の子。今も女子生徒として学校に通ってる」


「…………え?」


陽翔の口から、ようやく声が漏れた。


蓮司も、明らかに驚いていた。


「マジで?」


「マジ」


「いや、だって……」


陽翔の頭に、今朝見たみおの姿が浮かぶ。


長い黒髪。


柔らかな声。


女子制服。


笑った顔。


どう思い返しても、陽翔にとっては普通にかわいい女の子だった。


「全然分かんなかった」


「外見で分かるものでもないでしょ」


「まあ……そうだけど」


真琴は二人を見る。


「あと、本人に興味本位であれこれ聞かないでよ。そういうの、この学校でも駄目だから」


「聞かねえよ」


蓮司がすぐに答えた。


陽翔も頷く。


「俺もさすがにそこまではしないって」


「ならいい」


真琴はそれ以上詳しく話さなかった。


陽翔はまだ少し驚いたまま、腕を組む。


「トランスジェンダーかぁ……」


数秒。


考える。


そして。


「……でも」


真琴が見る。


陽翔は真顔だった。


「俺、普通にかわいいと思ったんだよな」


「うん」


「じゃあ……別に、それはそれじゃない?」


真琴が少しだけ目を丸くした。


「さっき女子が恋愛対象って言ってなかった?」


「言った」


「佐倉さんのこと知って、気持ち変わった?」


「いや」


陽翔は首を傾げる。


自分でも、うまく説明できていないらしい。


「だって、みおちゃんはみおちゃんだろ?」


「……」


「俺がかわいいって思ったのは変わんないし」


もう一度考える。


「だったら、いける気がする」


真琴が半眼になる。


「言い方が軽い」


「なんで!?」


「せっかくちょっといいこと言ったのに、最後で全部軽くなった」


「俺なりに真剣に考えたんだけど!」


「三十秒で?」


「人間、時間じゃないだろ!」


「あと『いける』って本人には言わないほうがいいよ」


「なんで?」


「雑だから」


「難しいな恋愛!」


「そこ以前の話なんだけど」


そんな二人のやり取りを横で聞きながら。


蓮司だけは、ずっと黙っていた。


「……」


昨日、廊下で初めて会ったみお。


帰り道で笑っていたみお。


今朝、自転車を避けさせたとき、自分の胸元を掴んで真っ赤になっていたみお。


そして。


――出生時には男の子として扱われていた。


真琴から聞いた事実。


正直に言えば、驚いた。


まったく想像していなかった。


けれど。


不思議なことに。


頭の中に浮かんでいるみおの姿は、何一つ変わらなかった。


昨日まで見ていた顔が別人になるわけでもない。


声が違って聞こえるわけでもない。


笑った顔も。


むっとした顔も。


今朝、腕の中で真っ赤になっていた顔も。


全部。


佐倉みおだ。


それだけだった。


「蓮司?」


陽翔に呼ばれて、蓮司はようやく顔を上げた。


「……何だよ」


「お前も知らなかったんだろ?」


「知らねえよ」


「びっくりした?」


「……まあ」


「だよなあ。俺も普通に女の子だと思ってたし」


蓮司は少しだけ眉を寄せた。


「今も女だろ」


「え?」


陽翔が目を瞬かせる。


蓮司自身も、自分が口にした言葉に一瞬だけ止まった。


難しいことを考えたわけではない。


真琴が言っていた。


みお自身は女の子で、学校でも女子生徒として生活している。


だったら。


「……本人がそうなんだろ」


ぶっきらぼうに付け加える。


「それでいいんじゃねえの」


真琴が蓮司を見る。


ほんの少しだけ意外そうな顔をしたあと。


「まあね」


それだけ答えた。


陽翔も「なるほど」と頷く。


「じゃあ、やっぱ問題なし」


「何がだよ」


「決めた」


嫌な予感。


再び。


陽翔が笑った。


「俺、みおちゃんにちょっとアタックしてみる」


蓮司の眉が動く。


「……やめとけ」


「なんで?」


「一年だぞ」


「二歳差じゃん」


「転校したばっかだろ」


「だから学校案内とかして距離縮めれば――」


「やめとけっつってんだろ」


今度は少し低い声になった。


陽翔が止まる。


真琴も蓮司を見る。


「……」


「……」


数秒。


陽翔の口元が、ゆっくり上がった。


「何だよ」


「別に?」


「言え」


「いやぁ?」


「ぶっ飛ばすぞ」


真琴が呆れたように息を吐く。


「黒瀬」


「あ?」


「顔」


「何だよ」


「めちゃくちゃ嫌そう」


「こいつが転校したばっかの一年に手ぇ出そうとしてんのが気に入らねえだけだ」


陽翔がますます楽しそうになる。


「へえー?」


「その顔やめろ!」


ちょうどそのとき、一時間目の開始を知らせる予鈴が鳴った。


「ほら、席戻れ」


蓮司が陽翔を追い払うように手を振る。


「はいはい」


陽翔は立ち上がったものの、最後までにやにやしたままだった。


真琴も自分の席へ戻ろうとして。


ふと、蓮司を見る。


「まあ、いいんじゃない?」


「あ?」


「別に」


「お前までその言い方すんな」


真琴は小さく笑い、自分の席へ戻っていった。


ほどなくして教師が教室へ入ってくる。


蓮司も教科書を開いた。


けれど。


授業が始まってからも、頭の片隅にはさっき聞いた話が残っていた。


佐倉みおは、トランスジェンダー。


自分が知らなかったこと。


確かに驚いた。


けれど。


それよりも。


どうしても気になることが、一つだけあった。


――俺、みおちゃんにちょっとアタックしてみる。


「……」


陽翔のその一言だけが。


なぜなのか。


妙に、胸の奥へ引っかかったままだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。