第23話 また、うちで夕飯食べませんか?
その日の夜。
みおは夕食の支度を終え、さきと向かい合って食卓についていた。
今日の献立は、鯖の味噌煮とほうれん草のおひたし。それに、豆腐とねぎの味噌汁。派手ではないけれど、炊きたてのご飯によく合う献立だ。
「いただきます」
「いただきまーす」
さきは鯖を一口食べると、すぐに頷いた。
「うん。今日もうまい」
「ほんと?」
「ご飯進む」
「よかった」
みおも箸を進める。
しばらくは、さきの大学の話や、みおの学校であった出来事を取り留めなく話していた。
そんな中、さきが何気ない口調で尋ねた。
「そういえば、黒瀬先輩。今日もお弁当?」
みおの箸が止まる。
「……なんで知ってるの」
「昨日、持ってくって言ってたじゃん」
「あ、そっか」
昨日の夜、余った甘酢炒めを弁当にすると話したのは自分だった。
さきは味噌汁を一口飲む。
「で、どうだった?」
「全部食べてくれたよ」
「へえ」
「しかもね」
「しかも?」
みおは少しだけ嬉しそうに笑った。
「甘酢炒め、また作ってって言われた」
「黒瀬先輩から?」
「うん」
「自分から?」
「うん」
さきが感心したように頷く。
「……進歩したねえ」
「料理の話だよ?」
「料理の話してるよ」
「その顔は絶対違う」
さきは何食わぬ顔で鯖をほぐした。
「じゃあ、また作ってあげるの?」
「そのうちね」
「楽しそう」
「料理するのは好きだから」
「黒瀬先輩に作るのが?」
「料理が!」
即答すると、さきが笑った。
みおは少し頬を膨らませる。
「もう。何でもそっちに持っていくのやめてよ」
「だって最近、みおのほうから黒瀬先輩の話すること多いし」
「そう?」
「そう」
まったく自覚がなかった。
さきは指を折るように続ける。
「朝、一緒に学校行って」
「うん」
「お弁当作って」
「今日は余ったから!」
「放課後、一緒に帰って」
「家が同じ方向だから!」
「うん。理由は全部知ってる」
「だったら言わないでよ!」
「でも全部並べると、結構一緒にいるよね」
「……」
言われてみれば、その通りだった。
朝、公園で会って、一緒に学校へ行く。
学校でも顔を合わせることが増えた。みんなで昼を食べることもあるし、放課後は帰る時間さえ合えば、当たり前のように同じ道を歩く。
転校してきたばかりの頃には、想像もしていなかった。
あの怖そうな三年生が。
今では、一日の中で一番よく顔を見る相手の一人になっている。
「……ほんとだ」
「今気づいた?」
「いちいち数えないもん」
「普通は数えないけどね」
さきは笑ってから、少しだけ声を柔らかくした。
「この前さ」
「何?」
「黒瀬先輩がうちでご飯食べた日」
「ああ……」
「私、あれ結構楽しかったんだよね」
みおが意外そうに顔を上げる。
「お姉ちゃんも?」
「うん。もっと怖い子かと思ってたけど、話してみたら思ったより普通だったし」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよ」
「黒瀬先輩が聞いたら絶対怒るよ」
「じゃあ内緒で」
さきは平然と続ける。
「ちゃんといい子だったしね」
「……でしょ?」
答えてから。
みおは少し止まった。
「……」
さきも止まる。
そして、ゆっくり笑った。
「何」
「いや。ずいぶん嬉しそうに『でしょ?』って言うなあと思って」
「別に嬉しそうじゃない!」
「はいはい」
「ほんとだから!」
言い返しながらも、みおは少しだけ口元を緩めていた。
蓮司を褒められると。
なぜか自分まで嬉しい。
それが何なのかは、まだよく分からないけれど。
さきはそんな妹をしばらく眺めてから、何気なく言った。
「また呼べば?」
「え?」
「黒瀬先輩」
「……また?」
「うん」
みおは箸を止めた。
頭の中に、以前の夕食が浮かぶ。
この食卓に蓮司が座って。
さきに食生活を突っ込まれて。
自分まで一緒になって注意して。
そのうち話が妙な方向へ行って、三人で笑っていた。
「……」
嫌ではない。
むしろ。
もう一度あんな時間があったら、少し楽しそうだと思った。
「呼びたい?」
さきが尋ねる。
「……まあ」
みおは少しだけ迷って。
「来るなら」
「素直じゃない」
「お姉ちゃんに言われたくない」
「私は素直だよ」
「嘘」
さきが笑う。
「じゃあさ、今度は私がリクエストしていい?」
「何?」
「ハンバーグ」
「黒瀬先輩関係ないじゃん!」
「私も食べたい」
「結局、自分じゃん!」
「でも黒瀬先輩も高校男子なら好きでしょ。たぶん」
「偏見じゃない?」
そう言いながら。
みおは少し想像してしまう。
自分の作ったハンバーグを一口食べて。
蓮司が、いつものぶっきらぼうな顔で。
――うまい。
と言うところを。
「……」
そこに卵焼きも添えたら。
――夕飯に卵焼きいるか?
なんて言うかもしれない。
でも。
きっと食べる。
しかも最後まで残して。
「……ふふ」
無意識に笑いが漏れた。
さきが見逃すはずがなかった。
「楽しみじゃん」
「……」
以前なら、すぐ否定していた。
けれど今日は。
少し迷ってから。
「……ちょっとだけ」
そう答えた。
さきの目が少し丸くなる。
けれど、今回は茶化さなかった。
「じゃあ誘えば?」
「……うん」
「明日?」
「たぶん朝会うから」
言ったところで、みおは少し不安になる。
「でも……」
「何?」
「この前も来てもらったし。また? って思われないかな」
「思われるかもね」
「えぇ……」
「でも、それで嫌なら断るでしょ」
「またそれ」
「大事だからね」
さきは箸を置き、みおを見る。
「みおが勝手に『迷惑かも』って決めなくていいの。誘うのはみお。来るかどうか決めるのは黒瀬先輩」
「……」
それは。
前にも言われたことだった。
相手の気持ちまで先回りして、自分で答えを決めない。
蓮司にも似たようなことを言われた気がする。
――嫌なら嫌って、俺が言う。
「……分かった」
みおは小さく頷いた。
すると、さきがすぐに明るい声へ戻る。
「何作る?」
「もう決めるの?」
「ハンバーグ」
「それはお姉ちゃんの希望でしょ」
「卵焼きも」
「また?」
「黒瀬先輩、喜ぶじゃん」
「まあ……」
気づけば。
みおの頭の中では、もう献立が組み上がり始めていた。
ハンバーグなら付け合わせは何にしよう。
ポテトサラダ。
温野菜。
スープもあったほうがいい。
卵焼きは――。
「……」
自分がすでに本気で考えていることに気づいて、少し恥ずかしくなる。
さきはそんな妹を見ながら、楽しそうに味噌汁を飲んでいた。
◇
翌朝。
水曜日。
いつもの公園前で、みおと蓮司は並んで学校へ向かっていた。
昨日よりは、ずいぶん普通に話せる。
とはいえ。
自分から言ってしまった言葉が消えるわけではない。
――ちょっとだけ、意識してます。
ふと思い出してしまい、みおは横目で蓮司を見る。
ちょうど。
蓮司もこちらを見た。
目が合った。
「……」
「……」
みおが先に前を向く。
すると。
「まだ意識してんの?」
「朝から聞かないでください!」
思わず声が大きくなった。
蓮司が少し笑う。
「聞いただけだろ」
「そういうのを聞くの禁止です!」
「昨日、自分で言ったじゃねえか」
「だから忘れてって言ったじゃないですか!」
「無理」
「先輩、そういうところ本当に意地悪です」
「今さらだろ」
否定する気すらないらしい。
「……もう」
みおは小さく息を吐いた。
けれど。
昨日みたいに逃げたいとは思わなかった。
恥ずかしい。
恥ずかしいけれど。
蓮司がそのことを知ったうえで、いつも通り隣を歩いてくれていることが、どこか嬉しかった。
そして。
昨夜決めたことを思い出す。
今だ。
「あの」
「あ?」
「今度の日曜日」
蓮司がこちらを見る。
「予定あります?」
「……特にねえけど」
「じゃあ」
昨日さきと話していたときは普通に言えると思っていたのに。
いざ本人を前にすると、妙に緊張した。
前に夕食へ誘ったときより、ずっと。
理由は分かっている。
あの頃は。
蓮司をこんなふうに意識していなかった。
みおは少しだけ視線を下げる。
「……また、うちで夕飯食べませんか?」
蓮司の歩幅が、ほんの少し遅くなった。
「また?」
その一言だけで、みおの心臓が跳ねる。
「嫌ならいいです!」
反射的に逃げ道を作ってしまった。
蓮司の眉が寄る。
「まだ嫌って言ってねえだろ」
「あ……」
昨日。
さきに言われたばかりだ。
来るかどうかを決めるのは、蓮司だと。
「……はい」
みおが少ししゅんとすると、蓮司は横目で見る。
「姉ちゃんもいる?」
「います」
「また俺、いじられんの?」
「たぶん」
「そこは否定しろよ」
みおが吹き出した。
「無理です。たぶん絶対いじります」
「最悪だな」
「でも」
みおは少し笑ったまま続ける。
「この前、お姉ちゃんも楽しかったって言ってましたよ」
「……そうなのか」
「はい」
蓮司が少しだけ黙る。
それから。
「俺のこと何て言ってた?」
「え?」
「姉ちゃん」
「気になるんですか?」
「別に」
「またそれ」
「いいから」
みおは昨夜の会話を思い出す。
「『思ったより普通の子だった』って」
「褒めてねえだろ、それ」
「褒めてますよ!」
「どこがだよ」
「あと」
みおは笑う。
「ちゃんといい人だったって」
「……」
蓮司が黙った。
「先輩?」
「……ふーん」
前を向いたままの横顔。
けれど。
ほんの少しだけ。
嬉しそうにも見える。
みおはそれを見て、また少し嬉しくなった。
「で」
「あ?」
「どうします?」
「何が」
「日曜日です!」
「ああ」
蓮司は少し考える。
ほんの数秒。
けれど。
みおには、その数秒が妙に長く感じられた。
無意識に返事を待っている自分にも気づく。
やがて。
「行く」
みおの表情がぱっと明るくなった。
「本当ですか?」
「ああ」
「じゃあ、六時くらいで」
「また即決だな」
「夕飯なので」
「何作んの」
「秘密です」
「なんで」
「来てからのお楽しみです」
蓮司が少し笑った。
「じゃあ期待しとく」
「……」
その一言で。
今度は、みおが黙った。
期待している。
自分の作る料理を。
それだけのことなのに。
胸の奥が、くすぐったい。
「何だよ」
「いえ」
「また何でもない?」
「今回は違います」
みおは前を向いた。
嬉しい顔をそのまま見られるのが、少し恥ずかしかった。
「……頑張ろうかなって思っただけです」
「何を」
「料理」
「いつも頑張ってんだろ」
「今回は、もうちょっと」
「なんで」
「……」
みおの言葉が止まる。
――先輩が来るから。
そう言えばいいだけなのに。
昨日なら言えたかもしれない。
今は。
少しだけ違う意味に聞こえてしまいそうで、言えなかった。
そんなみおを、蓮司が横から見る。
けれど。
追及はしなかった。
ただ少しだけ笑って。
「まあ、楽しみにしてる」
「……はい」
みおも小さく笑った。
こうして。
二度目の、佐倉家での夕食が決まった。
今度の日曜日。
午後六時。
一度目より。
みおはずっと楽しみで。
そして。
一度目より。
ずっと緊張していた。
【桐谷真琴と七瀬結衣】
真琴と結衣が知り合ったのは、結衣が高校2年生になった春頃。
最初のきっかけは、校内で困っていた結衣に真琴が声をかけたことだった。
真琴としては特別なつもりはなく、困っている後輩を少し手助けしただけだったが、結衣はクールで少し近寄りがたそうに見えた真琴が、思っていた以上に優しかったことが印象に残った。
その後、校内で顔を合わせるたびに結衣のほうから挨拶するようになり、少しずつ会話する機会が増えていく。
真琴は最初、明るく人懐っこい後輩という程度に思っていたが、結衣は真琴の素っ気ない態度にもまったく怯まず、自然に話しかけ続けた。
さらに、二人とも漫画やBL作品が好きだと分かったことで一気に距離が縮まる。
おすすめの作品を貸し借りしたり、放課後に一緒に本屋へ寄ったり、結衣の好きなカフェへ行ったりするようになり、いつの間にか二人で過ごすことが増えていった。
恋愛感情を先に自覚したのは結衣。
結衣は比較的早い段階から真琴への好意を自覚しており、隠すこともあまり得意ではなかった。
一方の真琴は、自分が結衣を特別扱いしていることになかなか気づかなかった。
結衣から連絡が来ればすぐ返す。
好みそうなものを見つければ覚えておく。
結衣が他の誰かと親しそうにしていると、なんとなく気になる。
それでも本人はしばらく「仲のいい後輩だから」と思っていた。
最終的には結衣のほうから真琴へ気持ちを伝えた。
真琴は驚いたものの、そこで初めて自分も結衣を特別に思っていたことを認め、二人は付き合うことになった。
付き合い始めてからも基本的な関係性はあまり変わらない。
明るく素直で、好きという気持ちをそのまま表現する結衣。
普段はクールで素っ気ないが、結衣にはかなり甘い真琴。
周囲から見ると真琴が結衣を引っ張っているように見えることもあるが、実際には結衣の一言で真琴が動かされることも多い。
性格は対照的だが、一緒にいる時には互いに無理をしなくていい。
そんな自然な居心地の良さから始まった二人の関係。




