表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
WORLD ELEVEN ―ピッチに立てなかった俺は、画面の中で世界を獲る―  作者: スドタケ
第1章 無名配信者、世に現る編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/13

第3話 見る専の素人

放課後の教室は、まだ少し昨日の続きだった。


帰り支度をする音。


椅子を引く音。


スマホの画面を覗き込んで笑う声。


誰かが「黒須が見るらしいぞ」と言った。


その名前を聞いた瞬間、教室の空気が少し変わった。


「マジで?」


「今日の配信タイトル出てる」


「例の無名見るって」


「終わったな」


悠は教科書を鞄に入れる手を止めた。


黒須玲司。


WORLD ELEVENのプロゲーマー。


元Jユース出身。


ゲームでも強い。


現実のサッカー経験もある。


配信者としても有名で、言葉がきついことでも知られている。


悠でも知っていた。


知らない方が難しい。


凛が少し離れた席から、こちらを見た。


目が合う。


何か言いたそうだった。


でも、周りに人がいるせいか、凛は何も言わなかった。


悠は鞄を肩にかける。


なるべく普通に立ったつもりだった。


椅子の脚が、床で少し大きな音を立てた。


「風見」


隣の男子が笑いながら言う。


「もしお前だったら、今日でバレるな」


「何が」


「いや、だから例のやつ」


「俺じゃないって」


また言った。


昨日より少しだけ早く言えた。


でも、それが本当っぽく聞こえたかどうかは分からない。


男子は「はいはい」と軽く流した。


本気で疑っているのか、ただ面白がっているだけなのか。


その区別がつかない。


教室を出る時、凛が小さく声をかけてきた。


「見ない方がいいかも」


悠は足を止めた。


「何を」


「黒須の配信」


「見るって決めてない」


「今、見る顔してた」


「どんな顔だよ」


「自分で傷口を確認しに行く顔」


返せなかった。


凛は鞄の持ち手を握り直す。


「見ても、全部受け取らなくていいと思う」


「意味分かんない」


「たぶん、分かる時がある」


そう言って、凛は先に廊下を歩いていった。


悠はその背中を見送る。


言い返したかった。


見るなと言われても、どうせ見る。


知らないところで何を言われているのか分からない方が、余計に怖い。


そう言いたかった。


でも口にしなかった。


自分でも、情けない言い訳に聞こえたからだ。



◇ ◇ ◇



帰宅してから、悠は机の前に座った。


制服のまま。


鞄も床に置いたまま。


部屋の電気をつけ忘れていて、窓の外の夕日だけが薄く机を照らしている。


スマホには通知が溜まっていた。


昨日の切り抜きは、二十万再生を越えていた。


別の切り抜きも増えている。


《未経験戦術オタク、全国12位を読み切る》


《ゴースティング疑惑? 同接3人の無名が強すぎる件》


《操作は凡人、読みだけ異常》


好き勝手に名前が付けられている。


そのどれにも、自分の知らない自分がいる。


配信アプリを開く。


トップに、黒須玲司の配信が表示されていた。


タイトルは短い。


《例の無名を見る》


開始まで、あと三分。


視聴待機は、すでに六千人を越えていた。


悠は画面を閉じた。


一度、深く息を吐く。


それからまた開いた。


閉じても、始まるものは始まる。


だったら見た方がましだと思った。


そう思いたかった。


チャット欄は開始前から流れている。


『例のAI戦術くん?』


『黒須さんなら一発で見抜く』


『未経験者がサッカー語ってるのキツい』


『操作下手なのに勝ってるの謎』


『ゴースティングだったら燃える』


『公開処刑頼む』


悠は椅子の上で膝を抱えかけて、やめた。


そんな姿勢で見ると、本当に逃げているみたいだった。


机の上のコントローラーが目に入る。


昨日と同じ場所にある。


触らなかった。


配信が始まった。


画面に映った黒須玲司は、思っていたより若く見えた。


短く整えた髪。


黒いパーカー。


背後には、プロチームのロゴが入ったユニフォームが飾られている。


表情は眠そうなのに、目だけは冷めている。


「はい、どうも」


低めの声だった。


「今日はこれね。昨日からやたら送られてくるやつ」


黒須は軽く笑って、画面に例の切り抜きを出した。


悠の試合。


後半アディショナルタイム。


相手が右へ逃げる場面。


黒須の視聴者数は、すでに一万を越えていた。


「まず言っとくけど、俺、こういうのあんまり好きじゃないんだよね」


チャット欄が速くなる。


『出た』


『辛口タイム』


『好き』


『切ってくれ』


黒須は動画を再生する。


悠の選手が、右サイドの逃げ道を空ける。


相手がそこへ出す。


戻しを切る。


奪う。


黒須は一度動画を止めた。


「ここは悪くない」


悠の指が、机の端を押した。


褒められたわけではない。


それでも、一瞬だけ身体が固まった。


黒須は巻き戻し、もう一度再生する。


「相手が右に逃げる癖を見てる。で、ボランチへの戻しを消してる。これは分かる。ゲームとしてもサッカーとしても、まあ、ある」


チャット欄が少し揺れる。


『お?』


『認めた?』


『意外』


黒須はすぐに首を振った。


「でもさ」


次の動画へ進む。


悠が一度後ろへ戻し、相手を引き出す。


そこから逆サイドへ展開する場面。


「これ、相手が焦って前に出る前提で組んでるんだよね。つまり、相手の感情待ち」


黒須はマウスを動かしながら続けた。


「こういう読みは、ハマれば気持ちいい。でも上に行くと通じない。感情で動く相手ばっかりじゃないから」


悠は画面を見たまま、何もできなかった。


黒須の言っていることは、たぶん間違っていない。


あの一点は、相手が焦ることを前提にしていた。


追いつかれた相手が、いつもより一歩前へ来る。


そう読んだ。


読んだというより、そうなるように前から置いていた。


でも、それを言葉にできるほど整理していたわけではない。


黒須は、そこを簡単に切っていく。


「未経験の戦術オタクって言われてるけど、まあ分かるよ。こういうの、見る専が好きなやつ」


チャット欄が一気に跳ねた。


『見る専w』


『言った』


『火の玉ストレート』


『ゲームでサッカー分かった気になるやつ』


『いるいる』


黒須は笑っていなかった。


ただ普通の温度で言った。


それが余計に痛かった。


「見る専の素人が、ゲームでサッカー分かった気になるな、って話」


悠の手が止まった。


その言葉だけが、画面から外れて直接机の上に落ちてきたようだった。


見る専。


素人。


何度も聞いたことがある。


小学生の頃。


中学の体育。


サッカー部の練習を外から見ていた時。


「見てるだけなら分かるんだろ」


そう言われた声を、思い出したくないのに思い出す。


口の中が乾いた。


けれど、全部は違う。


声にはならなかった。


喉の奥で、言い返す前の言葉だけが引っかかった。


黒須は動画をさらに進める。


「操作は正直、普通。スキルムーブも少ないし、切り返しも遅い。守備の切り替えも甘いところがある」


普通。


それは本当だった。


でも、何も積んでいないわけじゃない。


配信で見た上位勢の入力を止めて、戻して、真似て、失敗して、また戻した。


派手な技は身につかなかった。


けれど、必要な場面で必要な一手を押すことだけは、少しずつ残った。


『じゃあなんで勝てた?』


『相手が弱かった?』


『12位だけどな』


黒須は少しだけ眉を寄せた。


「相手が弱いとは言わない。でも、これは相性もある。相手が配信映えする攻め方を選びすぎた。そこを突かれた」


その言い方は、悠を完全に否定しているようで、ほんの少しだけ違っていた。


けれど、チャット欄はそんな細かさを拾わない。


『やっぱ相手の自滅か』


『無名くん終了』


『黒須さんに見られたらバレるな』


『代行じゃなくても上じゃ通じないってことか』


悠は画面を閉じようとした。


指が動かない。


黒須が、最後の逆転ゴールの場面を出した。


左の大外に展開。


中央へ戻す。


おとりの動き。


ボランチの侵入。


シュート。


ゴール。


動画の中の歓声のような効果音が流れる。


黒須は黙っていた。


一秒。


二秒。


チャット欄だけが動く。


『ここは?』


『ここも見る専?』


『正直このゴールは好き』


『相手のキーパー動いてたよな』


黒須は、動画を巻き戻した。


もう一度、同じ場面を流す。


また戻す。


左の大外にボールが渡る直前で止める。


「……ここ、なんで空いてる?」


小さな声だった。


いつもの配信用の声より少し低い。


悠は息を止めた。


黒須は画面にカーソルを置く。


「この左サイド、前半からほとんど使ってない。相手は捨ててる。いや、捨てさせられてるのか」


チャット欄の速度が、少しだけ落ちた。


黒須は前半の映像まで戻った。


切り抜きではなく、アーカイブから拾っているらしい。


前半十八分。


右攻め。


前半三十一分。


また右。


後半六十八分。


右サイドから内側。


七十四分。


もう一度右。


八十一分。


右へ寄せて失敗。


黒須は、黙って見ていた。


その沈黙が長かった。


悠の心臓が、嫌な音を立てる。


黒須はやがて、椅子の背にもたれた。


「……偶然にしては、ちょっと多いな」


そこまで見たなら、最後まで見ろよ。


悠は思った。


自分でも驚くくらい、はっきりと。


チャット欄がざわつく。


『え』


『流れ変わった?』


『黒須さん?』


『認めるの?』


黒須はすぐに表情を戻した。


「いや、でもだから何って話。仕込みはある。読みもある。そこは認める。だけど、操作が追いついてない。


対策されたら終わり。強い相手は、そんなに同じ逃げ道を見せない」


少し早口だった。


自分の中で引っかかったものを、言葉で押し戻しているようにも見えた。


「あと、リアル経験ないなら、サッカーを語るなとは言わない。ただ、語るなら勝ち続けろ。


見てるだけのやつが一試合勝ったくらいで、本物みたいな顔するのは違う」


悠は何も言っていない。


自分でサッカーを語ったわけでもない。


本物みたいな顔もしていない。


でも、画面の中ではもうそういうことになっている。


知らないところで言葉が足され、知らない顔をした自分が作られていく。


黒須は動画を閉じた。


「結論。面白いけど、上では通じない」


チャット欄がまた勢いを取り戻す。


『無名くん終了』


『黒須さんに潰してほしい』


『公開対戦しよう』


『逃げたら黒』


『YU_KAZE見てるー?』


悠は画面を見ていた。


見ている。


ここにいる。


でも言えない。


言ったら、今より大きな場所へ引きずり出される。


黒須はチャットを読みながら、少しだけ笑った。


「対戦? まあ、来るならやるよ」


手元の端末を操作する。


「アカウント名、YU_KAZEだっけ」


悠の配信者名が、黒須の画面に打ち込まれる。


検索結果が出る。


チャンネル。


昨日のアーカイブ。


プロフィール欄。


そこにあるものが、一万人以上の前で見られている。


悠は椅子から立ち上がりかけて、また座った。


何をしても意味がない。


黒須が申請ボタンにカーソルを合わせる。


「公開でやろう。逃げてもいいけど、それならそれで分かりやすい」


送信。


通知音が鳴った。


同時に、悠のスマホも震えた。


画面には、短い表示が出ていた。


《REIJI_KUROSU から対戦招待が届きました》


部屋の中が、急に狭くなる。


配信画面では、チャット欄が騒いでいた。


『来たあああ』


『逃げるなよ』


『受けたら面白い』


『今どんな顔してるんだろ』


『未経験くん、出番です』


悠はスマホを手に取った。


対戦招待の下に、もう一つ通知が来ている。


凛からだった。


『見てる?』


少し間を置いて、もう一通。


『今は押さなくていい』


悠は返信欄を開いた。


何を書けばいいか分からない。


怖い。


無理。


見てる。


助けて。


どれも違う。


黒須の配信では、まだ自分の名前が流れている。


机の上のコントローラーは、さっきから同じ場所にある。


悠はそれを見た。


触れば、昨日の感触が戻る気がした。


でも今は、手を伸ばせなかった。


スマホの画面だけが明るい。


《承諾》


《拒否》


二つのボタンが並んでいる。


どちらも押せないまま、通知の振動だけが指に残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ