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WORLD ELEVEN ―ピッチに立てなかった俺は、画面の中で世界を獲る―  作者: スドタケ
第4章 サッカーe日本代表、世界大会編

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第23話 日本代表のユニフォーム

翌朝、教室に入る前から視線があった。


昨日の比ではなかった。


廊下で誰かが「来た」と言う。


その言葉が自分に向けられていると分かるまで、少しかかった。


悠は鞄の肩紐を握り直した。


いつもと同じ制服。


いつもと同じ靴。


寝癖も、たぶん少しある。


それなのに、クラスの空気だけが違う。


「風見、メンバー入りって本当?」


最初に声をかけてきたのは、隣の男子だった。


その後ろから、別のクラスメイトが顔を出す。


「日本代表ってこと?」


「サッカーe日本代表、ってやつだろ」


「でも代表じゃん」


「すげえ」


悠は席に着く前に囲まれた。


昨日までは候補だった。


今日は、メンバー入りした人間として見られている。


たった一日なのに、周りの目の置き方が変わっていた。


「サインくれよ」


誰かが言った。


昨日も聞いた冗談だ。


でも今日は、笑い方が少しだけ違う。


「サインなんてない」


「名前でいいから」


「やめろって」


「いや、優勝したら価値出るかも」


「まだ出てもいない」


「出るじゃん。世界大会」


その言葉が、机の上に置かれた。


世界大会。


自分の口から言ったわけではないのに、少し重かった。


悠は鞄を置く。


筆箱を出そうとして、間違えてコントローラーのケースに触れた。


黒いケース。


教科書よりも、今はそちらの方が自分らしいものに見える。


「見せて」


「だめ」


即答した。


自分でも少し強かった。


周りが一瞬だけ黙る。


悠はケースを机の下へ入れた。


「ごめん。これは」


言いかけて、言葉が止まる。


これは何だ。


仕事道具。


武器。


逃げ場所。


どれも違う気がした。


凛が教室に入ってきた。


人の輪を見て、少しだけ眉を上げる。


「朝から混んでる」


「白瀬、聞いた? 風見、代表だって」


「聞いた」


「反応薄くない?」


「昨日聞いたから」


「ずる」


何がずるいのか分からない。


凛は悠の机の横まで来て、いつもの調子で言った。


「風見くん、ホームルーム始まる」


「うん」


「あと、コントローラーは机の上に出さない方がいい」


「今しまった」


「見えてた」


「見ないで」


「見えた」


前と同じやり取りなのに、少しだけ助かった。


チャイムが鳴る。


人の輪が解ける。


誰かが「昼、話聞かせて」と言った。


悠は曖昧にうなずいた。


聞かせられる話など、まだ自分の中に揃っていなかった。


◇ ◇ ◇


放課後、代表チームの事前収録があった。


本番の世界大会ではなく、その前の紹介配信。


選手写真。


チームコメント。


ユニフォーム撮影。


悠は控室で、渡された代表ユニフォームを膝の上に置いていた。


青い布。


日本代表のロゴ。


背中には、KAZAMI。


名前が印字されている。


YU_KAZEではなかった。


配信の名前ではなく、本名の方だった。


風見。


KAZAMI。


画面の中で名乗っていた名前より、ずっと前から自分のものだったはずなのに、ユニフォームの背中に入ると知らない文字に見えた。


指先で袖をつまむ。


布は思ったより薄い。


画面で見るともっと硬そうに見えたのに、実際には軽く、少しだけひんやりしていた。


「着ないの?」


水谷が隣から言った。


「着ます」


「ずっと見てたから」


「なんか」


「変?」


「はい」


「分かる」


水谷はそう言って、自分のユニフォームの襟を直した。


慣れているようで、少しだけ手元がぎこちなかった。


奥では獅堂が、もうユニフォームを着て鏡の前に立っている。


「これ、赤の方が似合うんだけどな」


「代表ユニだぞ」


スタッフが言う。


「分かってます。青もいけます」


獅堂は軽く笑いながら、袖をまくろうとして止められていた。


KIRAは少し離れた場所にいる。


サブメンバー用のジャケットを着て、選手一覧の確認を手伝っていた。


悠と目が合う。


KIRAは短く親指を立てた。


そこには悔しさもあるのだろうと思う。


でも、その全部を言葉にはしなかった。


黒須は遅れて入ってきた。


ユニフォームを片手に持ち、スタッフに何か確認している。


着替える前でも、空気が少しだけ黒須の方へ寄る。


悠は思わず背筋を伸ばした。


黒須がこちらを見る。


「何」


「いえ」


「ユニフォームに負けてるぞ」


「……はい」


「返事はいい」


黒須はそう言って、隣のスペースへ行く。


悠はユニフォームを持ったまま、息を吐いた。


更衣室の鏡の前に立つ。


制服のシャツを脱ぎ、代表ユニフォームに袖を通す。


布が腕に触れる。


冷たい。


その冷たさだけが、やけに現実だった。


鏡の中には、知らない自分がいた。


顔は寝不足気味。


髪も少し跳ねている。


肩は少し上がっている。


でも、青いユニフォームを着ている。


背中を見るために、少し体をひねった。


KAZAMI。


文字があった。


逃げたいほどの違和感ではなかった。


ただ、まだ自分の背中に貼りついていない。


少し浮いている。


その浮いた文字に、これから自分が追いつかなければいけない気がした。


「似合ってるじゃん」


獅堂が横から言った。


「そうですか」


「敬語やめていいよ。同い年くらいでしょ」


「急には無理です」


「固いな、配信の人」


「その呼び方も、ちょっと」


「じゃあ風見」


あっさり変えた。


獅堂は鏡越しに笑う。


「世界で勝ったら、名前覚えるわ」


「今は?」


「半分覚えた」


「半分って何ですか」


「風見、までは」


「それ全部です」


獅堂は笑った。


悪い人間ではないのかもしれない。


でも、近いと少し疲れる。


撮影スペースに移ると、照明が強かった。


白い床。


青い背景。


代表ロゴ。


カメラのレンズ。


スタッフの合図。


「もう少し正面を」


「肩の力を抜いてください」


抜けない。


黒須は一枚で終わった。


水谷も自然に立っている。


獅堂は三パターンくらいポーズを変えて、スタッフに「普通で」と言われている。


悠だけ、どう立てばいいのか分からなかった。


最後にスタッフが少し困った顔をした時、黒須が後ろから言った。


「風見、試合中の顔しろ」


「試合中の顔?」


「負けてる時の」


「なんでですか」


「そっちの方がマシ」


ひどい。


そう思ったが、少しだけ肩の力が抜けた。


カメラのシャッター音。


一枚。


もう一枚。


スタッフがうなずく。


「はい、ありがとうございます」


終わった。


ただ写真を撮っただけなのに、試合の後みたいに疲れた。


◇ ◇ ◇


事前配信の収録前、選手たちは小さな待機室に集められた。


テーブルの上にペットボトルが並ぶ。


悠は一本取って、ふたを開けようとして少し滑った。


手汗。


ふたが空回りする。


隣から黒須が、何も言わずに別のボトルを渡してきた。


「ありがとうございます」


「それ、未開封じゃなくて開いてるやつ」


「え」


「冗談」


悠はボトルを見る。


開いていない。


黒須は少しだけ笑っている。


どこまで本気か分からない。


悠はふたを開けた。


今度は開いた。


水を飲む。


喉が少しだけ落ち着く。


黒須が言う。


「お前、明日からもっと見られるぞ」


「今でも見られてます」


「今のはまだ国内の暇人だ」


「言い方」


「世界大会は、負け方にも名前が付く」


悠はボトルを握る指に力が入った。


「脅してますか」


「慣らしてる」


「優しいですね」


「違う」


即答だった。


水谷が横で笑っている。


悠は少しだけ息を吐いた。


黒須が続ける。


「俺はお前を信用してるわけじゃない」


「はい」


「使えるなら使うだけだ」


悠は、その言葉を受けて、少しだけ黙った。


普通なら、落ち込むところかもしれない。


でも、黒須の声に余計な飾りがない分、受け取りやすかった。


「それでいいです」


黒須がこちらを見る。


悠はボトルをテーブルに置いた。


「俺も、黒須さんを使います」


言った。


言ってしまった。


水谷が「お」と小さく声を出す。


獅堂が少し離れた場所から振り向く。


黒須は数秒、何も言わなかった。


その数秒で、悠の顔が熱くなる。


「すみません」


「なんで謝る」


「言い方が」


「いや」


黒須はペットボトルを持ち上げた。


「今のは覚えとく」


その言い方が怖い。


でも、嫌ではなかった。


スマホが震えた。


凛からだった。


『ユニフォーム着た?』


悠は返信する。


『着た』


すぐに返事。


『写真』


『無理』


『あとで公式に出る?』


『たぶん』


少し間があく。


『黒須、じゃなくて、黒須さんに会ったんだよね』


悠は、待機室の向こうでスタッフと話す黒須を見る。


画面の中では何度も見た。


切り抜きで何度も聞いた。


でも、目の前にいると、呼び方が変わる。


『本人の前で呼び捨ては無理だった』


送信。


凛から、すぐ返事が来る。


『分かる』


『白瀬もたぶん無理』


『たぶんじゃなくて無理』


悠は小さく笑いそうになって、咳払いでごまかした。


黒須がちらりと見る。


「何」


「何でもないです」


「嘘下手だな」


悠はスマホを伏せた。


◇ ◇ ◇


夜、家に帰ると、母親がリビングで待っていた。


テレビでは、代表チームの紹介番組が流れている。


画面の端に、自分の写真が一瞬出た。


悠は玄関で止まった。


「出てたわよ」


母親が言った。


「見たの?」


「たまたま」


たぶん、たまたまではない。


父親もソファに座っていた。


新聞を読んでいるふりをして、テレビを見ている。


悠は鞄を下ろす。


中に入れたユニフォームの予備が、少し重く感じた。


「明日からなのか」


父親が聞いた。


「うん。世界大会の本戦」


「学校は?」


「先生には連絡済み。配信時間は夜が多いし、昼は普通に行く」


「そうか」


それだけだった。


母親は少しだけ言いにくそうな顔をした。


「体は大丈夫なの」


「大丈夫」


「寝てる?」


「……まあ」


「まあ、じゃないでしょ」


いつもの言い方だった。


代表でも、世界大会でも、母親の言葉はあまり変わらない。


少しだけ安心して、少しだけ面倒だった。


部屋に戻る。


ユニフォームを袋から出し、椅子の背にかけた。


青い布が、部屋の中で浮いている。


机の上には、いつものコントローラー。


凛のノート写真。


自分のメモ。


同接三人の頃から使っていたマイク。


全部が同じ机に置かれている。


スマホが震える。


凛から、ノートの写真が送られてきた。


ページの真ん中に、短く書かれている。


一人で背負わない。


悠はその文字を見た。


背負っているつもりはなかった。


ただ、画面に映る自分の名前が、日に日に重くなっているだけだ。


返信欄を開く。


『了解』


打って、消す。


『無理かも』


打って、また消す。


少し考えて、短く返した。


『なるべく』


既読がつく。


『たぶん禁止』


悠は少し笑った。


『なるべくは禁止じゃない』


『ずるい』


会話はそこで止まった。


世界大会の組み合わせが発表される。


グループステージ初戦。


南米代表。


画面に対戦表が表示される。


スタジオの照明が落ちる演出。


配信ページの待機画面が、世界大会仕様に変わっていく。


悠は椅子に座った。


青いユニフォームが、視界の端で揺れている。


風もないのに、そう見えた。


明日。


代表として、世界大会に出る。


何度考えても、まだ自分の話に聞こえなかった。


それでも、椅子の背にかけたKAZAMIの文字だけは、部屋の明かりの下で消えなかった。

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