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WORLD ELEVEN ―ピッチに立てなかった俺は、画面の中で世界を獲る―  作者: スドタケ
第3章 プロチーム練習生、代表選考編

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15/28

第15話 青い盾の向こう

日曜の昼、家のリビングには珍しくサッカーの中継がついていた。


日本代表のグループステージ二戦目。


キックオフは十三時。


ローテーブルには、父親が買ってきたコンビニの弁当と、開けたままの麦茶のペットボトルが置かれている。


悠はいつもの自分の部屋ではなく、リビングの端に座っていた。


スマホは膝の上。


凛との通話はつながっていない。


代わりに、短いメッセージだけが来ていた。


『今日は見るだけ。夜に引きずりすぎない』


悠はその文を見て、少しだけ眉を寄せた。


夜。


予選の最終戦がある。


勝てば、突破が決まる。


負ければ、他の結果待ちになる。


昨日のBLUE LYNXの正式連絡は、まだ画面の中に残っている。


ただし、それは予選終了後の話だ。


今の悠は、まだ何も掴んでいない。


テレビの中で、日本代表の選手たちがピッチに散っていく。


実況の声が少し高い。


スタジアムは明るく、芝は濃い緑で、観客席の色が揺れている。


父親が弁当のふたを開けながら言った。


「今日も夜、試合か」


悠は一瞬、返事が遅れた。


「うん」


「大会?」


「オンライン予選」


「公式のやつ?」


「まあ」


父親は「そうか」とだけ言った。


細かく聞いてこない。


それが少しありがたくて、少しだけ物足りなかった。


テレビでは、日本がボールを持っていた。


相手は前から来ない。


中央を締めて、サイドへ出させる。


悠は無意識に、右手の親指を動かした。


コントローラーは持っていない。


それでも、画面の中の選手の逃げ道を目で追ってしまう。


右。


戻す。


中央。


外。


もう一度中央。


相手が少し遅れる。


打てる。


でも、日本の選手は打たなかった。


一度戻した。


観客席から「ああ」と声が漏れる。


父親も小さく言った。


「今、打ってもよかったな」


悠はテレビを見たまま返す。


「たぶん、足出されてた」


「よく分かるな」


「……たぶん」


今のは、本当にそうだったのか。


自信はない。


でも、打てるように見えた場所に、相手の身体が集まりかけていた。


スマホが震える。


凛から。


『今の、戻したあとだったね』


悠はすぐに返す。


『見てた』


『夜もたぶん同じ。行けそうなところほど、一回止める』


『分かってる』


送信してから、少し間が空く。


『分かってる時が一番危ない』


悠は画面を伏せた。


余計なことを言う。


でも、たぶん正しい。


テレビの中では、試合がまた動いている。


結果がどうなるかは分からない。


ただ、今の悠が必要としているものは、そこに少しだけあった。


派手な突破ではない。


戻すこと。


止めること。


打てそうな場所で、すぐ打たないこと。


夜に使えるかどうかは、まだ分からない。



◇ ◇ ◇



夜。


悠はいつもより早く机に座った。


部屋には少しだけ昼の熱が残っている。


窓を開けると、外から湿った風が入った。


机の上には、水。


左側にメモ。


スマホには凛の短いメッセージ。


『行けそうな時ほど、一回戻す』


その下に、昼の代表戦を見ながら二人でやり取りした言葉が残っている。


打てそうに見えただけ。


相手は足を出す準備をしていた。


悠はメモの端を指で押さえた。


紙が少し曲がっている。


配信開始。


同時接続は、すぐに四千を超えた。


BLUE LYNXのコメントが来た翌日。


予選突破がかかった試合。


昨日の1対0の切り抜きも回っている。


人が増える理由は分かる。


分かるのに、数字が増えるたびに手のひらが湿った。


「こんばんは」


声は出た。


「予選、最終戦です。勝てば突破です」


コメント欄が流れる。


『来た』


『決めよう』


『勝てば突破』


『BLUE LYNX見てる?』


『ここ落としたらきつい』


『代表戦から来た』


代表戦から来た。


そのコメントを見て、悠は少しだけ呼吸を整えた。


昼のテレビ。


戻したボール。


外れたシュート。


でも、形は見えた。


マッチング画面。


相手の名前が表示される。


コメント欄が反応する。


『守備うまいやつ』


『対策型』


『半歩見られてるぞ』


『たぶん配信見てる』


相手はすでに悠を知っている。


半歩も、戻す形も、三回目が本命という切り抜きも、たぶん全部見ている。


だったら、同じことをそのままやっても通らない。


試合開始。


相手ボール。


相手は丁寧だった。


無理に前へ来ない。


パスを回しながら、悠の寄せ方を見ている。


悠は追いすぎない。


中央を消す。


外へ出させる。


戻す場所を待つ。


相手は、戻さない。


横へ横へと逃がしてくる。


前半七分。


相手が右サイドで仕掛ける。


半歩。


悠が使ってきた動きに似ていた。


見せて、止めて、逆へ出す。


クロス。


中央。


ヘディング。


外れる。


『相手も半歩使ってきた』


『見られてるな』


『逆にやられるの怖い』


悠は唇を湿らせた。


見られている。


真似されている。


でも、同じではない。


相手の半歩は、抜くための半歩だ。


止めるためじゃない。


そこだけは違う。


悠のボール。


左へ出す。


戻す。


右へ振る。


中央。


相手は寄せてこない。


待っている。


トップ下が前を向ける。


打てる。


コメント欄にも流れる。


『打て』


『そこ』


悠の指がシュートへ行きかけた。


止めた。


戻す。


センターバックまで下げる。


コメント欄が荒れる。


『戻すのかよ』


『今の打てたろ』


『消極的すぎ』


悠も、そう思った。


でも、相手のボランチが一歩だけ前へ出ていた。


打てば、足が出た。


戻したことで、その足が空を切った。


もう一度中央。


今度は一列後ろ。


ボランチが受ける。


相手の中盤が戻る途中。


そこへ右へ出す。


右サイドハーフ。


相手のサイドバックが下がる。


半歩を見せる。


相手は足を出さない。


止まる。


悠も止まる。


戻す。


中央。


トップ下。


相手のセンターバックが迷う。


打つか。


出るか。


その迷いが、ほんの少しだけ見えた。


悠は打たない。


左へ流す。


左ウイング。


低いクロス。


フォワードが滑り込む。


相手キーパーが先に触る。


こぼれ球。


クリア。


『惜しい』


『戻したの効いてた?』


『打たなかったから空いたな』


まだ入らない。


でも、少しだけ相手が動いた。


前半はそのまま進んだ。


相手も強い。


悠の動きを見てから潰してくる。


半歩には足を出さない。


中央には誘う。


戻せば前へ出る。


一つずつ、悠の逃げ道を減らしてくる。


前半三十八分。


相手のカウンター。


悠が右で詰まったところを奪われた。


左へ流される。


クロス。


ニア。


相手フォワード。


シュート。


キーパーが弾く。


こぼれ球。


相手の足。


悠のセンターバック。


どちらも届く。


悠はクリアを押す。


早い。


でも、今度は空振りしなかった。


ボールがサイドへ逃げる。


『危な』


『今ので失点してたら終わってた』


『公式戦、怖すぎ』


悠は水を飲みたいのを我慢した。


まだプレーが切れていない。


前半終了。


0対0。


配信画面に戻った瞬間、スマホが震えた。


凛からだった。


『半歩を見た選手、その場に残ってる』


それだけだった。


悠は画面を見た。


相手は足を出さない。


だから抜けない。


でも、半歩を見た選手は、その場所から動けなくなる。


なら、抜くためじゃなく、止めるために使う。


昨日と同じ。


でも、相手の質が違う。


後半。


相手はさらに慎重になった。


勝つより、負けないことを先に置いている。


0対0なら、向こうにも可能性が残る。


悠は焦った。


勝たなければいけないのは自分だ。


突破圏内。


BLUE LYNX。


視聴者。


凛。


父親に聞かれた「公式のやつ?」という言葉。


全部が指の先に乗ってくる。


後半十六分。


中央が空いた。


本当に空いたように見えた。


悠は入れかける。


止める。


戻す。


一回戻す。


相手のボランチが、前へ出た。


やっぱり。


そこは空いていたんじゃない。


空けられていた。


悠はすぐ右へ出す。


右サイド。


半歩。


相手は動かない。


なら、戻す。


インサイドハーフ。


中央。


トップ下。


相手のセンターバックが出る。


今度は、打てる。


悠は打たない。


一度、フォワードへ預ける。


背負う。


落とす。


トップ下へ戻る。


相手のボランチが遅れて戻ってくる。


足が出る。


ここで早く動けば、昨日までと同じだ。


遅れれば潰される。


悠は、一拍だけ待った。


部屋の音が薄くなる。


パソコンのファンも、コメント欄の流れも、画面の端へずれる。


トップ下の足元。


相手の伸びた足。


キーパーの重心。


そこだけが残った。


悠はボールを左へ置く。


足が通り過ぎる。


シュート。


低い球。


強くない。


でも、相手の足と足の間を抜けた。


キーパーが沈む。


手が伸びる。


届く。


そう見えた。


届かなかった。


ボールは手の下をすり抜け、ゴールの内側へ転がる。


一拍遅れて、ネットが揺れた。


後半十八分。


1対0。


悠は声を出せなかった。


親指だけが、コントローラーに食い込んでいる。


入った。


今のは、入れた。


打てる場所で打たず、戻して、止めて、もう一度置いた。


昼に見た代表戦の戻し方と、昨日覚えた半歩と、凛のメモが、今の低い一球に全部つながった。


コメント欄が遅れて弾ける。


『きたあああ』


『今のは熱い』


『打てるところで打たなかったのか』


『戻してから刺した』


『突破見えた』


突破。


その文字で、悠の喉が急に乾いた。


まだ早い。


まだ二十七分以上ある。


相手のキックオフ。


ここからが一番怖い。


後半二十五分。


相手が前線を増やす。


後半三十一分。


ミドル。


キーパー正面。


後半三十七分。


右サイドを崩される。


クロス。


ヘディング。


バー。


跳ね返る。


悠のボランチが拾う。


前へ出せる。


でも、出さない。


戻す。


コメント欄が騒ぐ。


『今の前行けただろ』


『いや戻した』


『勝つ試合』


勝つ試合。


勝つために、戻す。


勝つために、派手さを捨てる。


後半アディショナルタイム。


表示は三分。


相手の最後の攻撃。


ロングボール。


競る。


落ちる。


相手が拾う。


中央へ入る。


シュート体勢。


悠はボランチを戻す。


コースを消す。


相手は打たない。


右へ流す。


右の選手がフリー。


まずい。


悠はサイドバックへカーソルを合わせる。


一歩遅い。


クロス。


低い。


ニア。


相手フォワードが入る。


悠のセンターバックも入る。


足が重なる。


ボールが跳ねる。


ゴール前。


誰も触れていない。


悠はクリアを押す。


当たらない。


もう一度。


今度は当たった。


ボールが高く上がる。


ペナルティエリアの外へ落ちる。


笛。


試合終了。


1対0。


予選突破。


悠はしばらく画面を見たまま動かなかった。


コメント欄が流れている。


読めないくらい速い。


『突破!!!』


『無名配信者、公式予選抜けた』


『BLUE LYNX見てるか』


『勝つ試合できてる』


『代表戦から来たけど普通に熱い』


悠はコントローラーを膝に置いた。


手が震えている。


勝った。


今度は、勝っただけじゃない。


抜けた。


そこまで考えたところで、スマホが震えた。


凛から。


『おめでとう』


すぐに、もう一通。


『今は喜んでいい』


悠は返信欄を開いた。


何を書けばいいか分からない。


ありがとう。


怖い。


まだ次がある。


全部違う気がした。


結局、短く打った。


『勝った』


送信。


既読。


『見てた』


配信画面の端に、青い盾のアイコンが現れる。


《BLUE LYNX scouting》


『予選突破、おめでとうございます。先ほど正式連絡をお送りしました』


メール通知。


件名。


《BLUE LYNX 練習参加のご相談》


悠は、その文字を見た。


画面の中の青い盾。


スマホの中の正式連絡。


コメント欄の歓声。


どれも同じ部屋の中にあるのに、距離が違って見えた。


「勝ちました」


ようやく言えた。


声は少し掠れていた。


「予選、突破しました」


コメント欄がまた弾ける。


悠は水を飲んだ。


ぬるい。


でも、今日はその温度まで、やけにはっきり分かった。

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