第11話 見えても、届かない
予選一回戦の勝利は、翌朝になってもまだ画面の中に残っていた。
《YU_KAZE、公式予選初戦突破》
《黒須に認められた無名、初戦は地味に勝つ》
《二回目が本命じゃなくて三回目だった件》
勝った。
公式で勝った。
その文字を何度見ても、悠には少しだけ他人事みたいだった。
昨日の配信終了後、凛からは三通来ていた。
『勝ちは勝ち』
『でも前半の中央ロストは危なかった』
『あと、三回目が本命は言いすぎると狙われる』
最後の一文だけ、朝になってからもう一度読んだ。
言いすぎると狙われる。
それはそうだと思う。
昨日の配信で、コメント欄はもう「三回目が本命」と勝手に名前を付けていた。
名前が付くと、見られる。
見られると、対策される。
黒須戦のあとと同じだ。
違うのは、今度は公式予選の中でそれが起こることだった。
学校では、昨日より少しだけ声をかけられた。
「風見、勝ったな」
「見たぞ、最後のコーナー怖すぎ」
「てか、あれ本当にお前が操作してんの?」
冗談っぽい言い方だった。
でも最後の一つだけ、少し刺さった。
悠は鞄を机に置きながら答えた。
「してる」
「だよな。いや、別に疑ってるわけじゃないけど」
疑ってるわけじゃない。
そう言う人ほど、だいたい疑っている。
悠は何も返さなかった。
凛は朝の教室では話しかけてこなかった。
少し離れた席で、ノートを開いている。
一度だけ目が合った。
凛は、ペン先で机を軽く叩いた。
何か言いたいことがある合図みたいだった。
昼休み。
屋上前の踊り場に行くと、凛はもうノートを開いていた。
「今日の相手、見た?」
「まだ」
「見た方がいい」
「先に飯」
「食べながら」
「またそれか」
悠は弁当箱を開けた。
今日の卵焼きは少し焦げている。
箸でつまむと、端が崩れた。
凛はスマホの画面を見せる。
予選二戦目の相手。
アカウント名は短い英字だった。
配信者ではない。
ただ、公式戦の戦績はかなり高い。
昨日の相手より、明らかに上だった。
「この人、操作速い」
「黒須くらい?」
「黒須とは違う。黒須は試合を見て変える。この人は、操作で先に殴ってくる」
「嫌な言い方」
「嫌な相手だと思う」
凛は箸を持たずに、ノートの端に小さな図を描いた。
「守備はそこまで特殊じゃない。でも、奪った後が速い。あと、こっちが前を向いた瞬間に、身体を入れるのがうまい」
「身体を入れる?」
「ゲームの中で。たぶん、入力が速い」
「それ、一番苦手なやつだな」
「うん」
即答だった。
悠は卵焼きを口に入れた。
焦げたところだけ、少し苦い。
「少しは否定しろって言っただろ」
「苦手なのは苦手」
「……」
「でも、読めない相手じゃない」
凛はペン先で図の一部を丸く囲んだ。
「この人、奪った後の一手目はかなり速い。でも、二手目は少し決め打ちが多い」
「どこで分かる」
「試合ログ。奪った後、右に流す回数が多い」
「癖?」
「癖というより、得意な形」
悠は図を見る。
右へ流す。
縦へ行く。
切り返す。
シュート。
分かりやすい。
分かりやすいけど、止められるかどうかは別だった。
「見えても、押せなきゃ終わる」
悠が言うと、凛は少しだけ黙った。
「今日、そこが出ると思う」
「嫌な予告だな」
「でも、たぶん必要」
凛はそこで弁当箱を開けた。
今日はミニトマトが入っていなかった。
本当に抜いたらしい。
悠はそれを見て、少しだけ笑いそうになった。
凛は気づいていないふりをした。
◇ ◇ ◇
夜の配信は、昨日より少し早く準備した。
机の上には水。
左にメモ。
スマホには凛の分析が表示されている。
奪われた後、右。
二手目は決め打ち。
見えても押せない時がある。
最後の一行だけ、余計だった。
でも、消さなかった。
配信を始める。
同接はすぐに二千を超えた。
昨日の初戦突破で、人がさらに増えている。
『二戦目』
『今日の相手強いぞ』
『ここで負けたら一気にきついな』
『三回目が本命、対策されるか』
『勝てば本物』
勝てば本物。
負ければ何になるのか。
悠はそのコメントを見なかったことにした。
「予選二戦目です」
声は出た。
少しだけ喉が乾いている。
マッチング画面。
相手の名前が表示される。
コメント欄が動く。
『うわ、この相手か』
『操作強いやつ』
『無名くん苦手そう』
『読みでどうにかできるか』
試合開始。
相手のボール。
いきなり縦へ来た。
黒須のように、試合を見ながら入りを探る感じではない。
最初から、指の速さを押しつけてくる。
中央で受ける。
切り返す。
さらに切り返す。
悠は一歩遅れる。
「速い」
声が漏れる。
相手の選手がエリア前で前を向く。
悠はボランチを出す。
相手はその横を抜けた。
シュート。
キーパー正面。
助かった。
『速いな』
『今のよく正面だった』
『操作差出てる』
操作差。
昨日も見た言葉だ。
今日は、その言葉がやけにはっきり見える。
悠のボール。
左で回す。
相手は前から来る。
圧は黒須ほど整理されていない。
でも、速い。
一枚目を外しても、二枚目がすぐ来る。
悠は中央へ入れる。
外へ逃がす。
戻る途中を刺す。
昨日の形。
通った。
トップ下が前を向く。
相手のセンターバックが出る。
悠は右へ流そうとした。
その前に、相手の選手が身体を入れた。
「え」
見えていた。
右に出すつもりだった。
でも、出す前に寄られた。
相手のカウンター。
凛のメモ通り、右へ流す。
悠は分かっていた。
分かっていたのに、カーソルが遅れた。
右サイドの選手が走る。
切り返し。
シュート。
ゴール。
前半十一分。
0対1。
コメント欄が跳ねた。
『見えてたのに遅れた?』
『操作きついな』
『読みだけじゃ無理か』
『今の相手うまい』
悠はコントローラーを握り直した。
指が少し固い。
見えていた。
でも、足りなかった。
それだけだった。
キックオフ。
悠は無理に前へ行かなかった。
左。
戻す。
中央。
外。
もう一度中央。
相手は読んでいる。
昨日の試合を見ている。
中央に入れた瞬間、身体を寄せてくる。
悠はワンタッチで戻す。
相手の一枚目が食いつく。
右へ振る。
そこも速い。
でも、今度は取られない。
右サイドバックから縦。
相手が詰める。
戻す。
インサイドハーフ。
前へ。
フォワード。
背負う。
落とす。
トップ下。
打てる。
相手のセンターバックが出る。
悠は左へ流した。
左ウイング。
角度はある。
クロス。
低い。
フォワードが足を出す。
相手キーパーが弾く。
こぼれ球。
悠のボランチが詰める。
シュート。
バー。
跳ね返る。
相手がクリア。
『惜しい』
『今のは形あった』
『でも決まらない』
『追いつけそう』
追いつけそう。
悠もそう思った。
その少し後だった。
前半三十二分。
悠が中央で奪われた。
相手はまた右へ流す。
今度は、悠もカーソルを合わせていた。
右を切る。
相手は切り返す。
読んでいる。
悠はスライディングを選ばない。
一歩待つ。
相手はさらに内側へ入った。
二手目は決め打ち。
凛のメモ。
悠はボランチを戻す。
間に合う。
はずだった。
親指が滑った。
カーソルが一つ奥へ飛ぶ。
ボランチではなく、センターバックが動いた。
空いた場所へ、相手のパス。
シュート。
ゴール。
0対2。
悠は画面を見たまま、しばらく動けなかった。
読まれたんじゃない。
押し間違えた。
コメント欄の文字が流れる。
『あー』
『今の操作ミス?』
『見えてたっぽいのに』
『もったいない』
『上位はこういうの逃してくれない』
もったいない。
その言葉が、一番きつかった。
前半は0対2で終わった。
悠にもチャンスはあった。
でも決めきれない。
相手は、ミスを見逃さない。
それだけの差だった。
◇ ◇ ◇
後半、悠は一点を返した。
後半二十二分。
左で引きつけて、右へ振る。
相手が前に出た瞬間、中央へ戻す。
トップ下が一拍置く。
フォワードへ短く差す。
シュート。
ネット。
1対2。
コメント欄は少しだけ沸いた。
『返した』
『まだある』
『一点差』
でも、悠の手は熱くならなかった。
まだ負けている。
そして、相手は焦っていない。
黒須と違う。
派手な反応をしない。
淡々と、次の形へ入る。
後半三十六分。
悠は同点のチャンスを作った。
右サイド。
中央。
もう一度右。
相手のサイドバックが遅れる。
低いクロス。
フォワードが入る。
合わせれば一点。
悠はシュートボタンを押した。
少しだけ早かった。
選手の足が合わない。
ボールはゴール前を通り過ぎる。
誰も触れない。
『今のは……』
『押すの早い』
『合わせたかったな』
悠は唇を噛んだ。
見えた。
でも、今度は早すぎた。
遅れないようにしたら、早かった。
そんな雑な失敗が、いちばん嫌だった。
後半アディショナルタイム。
最後の攻撃。
悠は前線を増やした。
中央へ入れる。
戻す。
外へ逃がす。
相手が戻る途中。
もう一度中央。
通る。
トップ下が前を向く。
相手のセンターバックが出る。
悠は右へずらす。
シュートコースが空く。
ここ。
押した。
相手の足が先だった。
ブロック。
ボールは高く跳ねる。
そのまま、笛。
試合終了。
1対2。
予選二戦目、敗北。
悠は、コントローラーから指を離した。
指の跡が、グリップに残っている気がした。
コメント欄は荒れてはいない。
でも、優しくもなかった。
『惜しかった』
『操作差だな』
『読みは通じてる』
『でも勝たないと意味ない』
『公式は甘くない』
勝たないと意味ない。
それは、その通りだった。
配信画面に戻る。
何か言わないといけない。
「負けました」
声は出た。
それだけで、少しだけ喉が痛かった。
「見えてたところもありました。でも、操作が遅れました」
言ってから、自分で嫌になった。
言い訳みたいだった。
でも、他に言い方がなかった。
スマホが震える。
凛からだった。
『終わったら通話』
悠はその文を見た。
終わったら。
今すぐではない。
配信中に助けない。
凛の線引きが、少しだけありがたかった。
「今日はここで終わります」
配信終了ボタンにカーソルを合わせる。
昨日は、この勝利を少し残したかった。
今日は、早く消したかった。
でも、消したところで負けは消えない。
押す。
部屋が戻る。
パソコンのファン。
外の車。
自分の手の音。
悠はしばらくスマホを見たまま、通話を押せなかった。
三分くらい経ってから、凛の方から着信が来た。
「出るの遅い」
「ごめん」
「負けたね」
「うん」
「操作、遅れたね」
「分かってる」
少し強く返してしまった。
凛は黙った。
悠は目を閉じる。
「ごめん」
「うん」
「言われたくなかった」
「でも、見ないと次も同じになる」
「分かってるって」
また強くなった。
自分でも止められなかった。
凛は、今度はすぐに返さなかった。
通話の向こうで、ペンを置く音がした。
「じゃあ、今日は一個だけ」
「何」
「風見くんは、見えてなかったんじゃない。見えたあとに、押す形が決まってなかった」
悠は返事をしなかった。
「見えてから考えてる。相手が速いと、その時間がない」
「……」
「派手な技を増やすんじゃなくて、決まった形を一個だけ作った方がいい」
「一個?」
「見えた時に、迷わず押せるやつ」
悠はコントローラーを見る。
ボタンの間に、少しだけ汗が残っている。
「そんなので勝てるのか」
「分からない」
「そこは分かるって言えよ」
「分からない。でも、今のままだと間に合わない」
それは、正しかった。
正しすぎて、少し腹が立った。
悠は言い返そうとして、やめた。
何を言っても、負けたあとでは弱く聞こえる。
「明日、昼」
凛が言った。
「またノート?」
「今度は動画も見る」
「飯食う時間ある?」
「ある。たぶん」
「たぶんかよ」
「ミニトマトは入れない」
「そこはもういい」
少しだけ空気が緩んだ。
でも、負けは部屋の中に残ったままだった。
通話を切ったあと、悠はアーカイブを開いた。
前半三十二分。
カーソルが飛んだ場面。
見たくない。
でも、再生した。
相手が右へ流す。
切り返す。
悠のカーソルが、一つ奥へ飛ぶ。
空く。
失点。
悠は再生バーを戻した。
もう一度。
もう一度。
読まれたんじゃない。
押し間違えた。
同じミスが、何度も画面の中で起こる。
そのたびに、指が少しだけ熱くなった。




