第百二十六話 感謝
――いつからだろう。
人生という物語から目的がなくなったのは。
メルセデスは自らの前世だった誰かの過去を思い出しながら、考えていた。
前世だった誰かは、最初から空っぽな人間だったわけではなかった。
それなりに楽しむ心を持っていて、それなりによく笑ってよく怒る、どこにでもいるただの子供だった。
中学生の時には友人に誘われてテニスを始め、最初は興味のなかったそれに気付けば夢中になっているくらいには、どこにでもいて色々なものを楽しめる子供だったのだ。
熱中して集中して、毎日練習して……そして全国大会に出て、決勝戦でその友人とぶつかり、勝利した。
友人は全国大会で優勝したいという夢をよく聞かせてくれたが、加減はしなかった。それは失礼に当たると思ったからだ。
自分が勝利してもきっと祝福してくれるだろうと思っていたし、悔しがりながらも認めてくれるだろうと思っていた。
だが友人はその日を境にテニスをやめ、そして友人は友人ではなくなった。ただの会話を交わさない知り合いとなり、中学を卒業した後の事はよく分からない。
人は現実を知り、才能を知り、挫折を知り。そして夢を追わなくなって目的のない物語が出来上がる。
一つの物語が挫折によって終了し、テニスで全国大会優勝を目指していた主人公は、何の目的もない物語の主人公となった。
どうして負けてやらなかったんだ。あいつの夢を知っていたはずなのに。それでも友達か。お前は酷い奴だ。そんなふうに誰かに言われたのを覚えている。
言ったのは誰だったか……クラスメイトの誰かだったとは思うが、顔も名前も覚えていない。
思えば大人になってから、何かに挑むという事をした記憶がない。
無難な道、無難な選択、無難な人生……効率よく、敵を作らず、恨まれず、されど目的もなく。
挑む事をやめた人生には挫折もない。壁を乗り越える感動もない。
辿り着く場所も、そこに至る道もない。
ただ無感動に歩き続けるだけで……そしてある日、足を転ばせて死んだ。
それがメルセデスの前世だった誰かの、つまらない物語だ。
全力で生きる事を放棄した誰かのつまらない人生だった。
だからこそ、この苦境に心が揺さぶられているのだろうか。
ああ、そうだ。ようやく少し分かってきた。
メルセデスの顔が好戦的に歪み、魔力の急激な放出によって身体に負荷がかかる。痛みが走る。
だが今は、その痛みすら心地いい。
全力で生きるという事。それは即ち、全力を出して挑んでも尚容易ではない壁にぶつかるという事。
父の手の中から未だに出る事が出来ないという屈辱、その予想を上回る困難さが何故か楽しい。
今までは朧気で霞のように掴めなかった生きている実感が、確かな形をもって手の中にあるように感じられる。
故に、メルセデスは今ここにいないベルンハルトに感謝した。
決して善人ではない。むしろ外道畜生の類で、自由を掴む為にいつか倒すべき敵で、その評価は決して変わらない。
だがそれでも、あんな歪んだ父だからこそ歪んだこの娘には有難い。
――ありがとう、ベルンハルト。巨大な壁が私の父でよかった……。
かつてない程の出力で発動された魔法がフィールドを駆け巡り、ほんの数十秒で先程まで一面の大空だったはずのフィールドが砂丘へと変化していた。
最早飛ぶ必要もない程に積もり積もった砂は、まるで自らの意志を持つかのように一か所に集中していく。
その中から時折炎の翼が弱弱しく出ては脱出しようともがくが、すぐに新たな砂が追加されて閉じ込められてしまった。
魔法で生み出した砂でフェーニクスを閉じ込め、それを重力で固めて固めて、圧縮していく。
「ユリア。水の魔法でアレを濡らせるか?」
「お安い御用」
圧縮した砂にユリアが水を与える事で巨大な泥団子と化した。
厳密に言えば泥とは砂よりも細かい粒の事であって、濡らした砂の事ではないのだが、そこはまあいいだろう。
要は砂場で遊ぶ子供の泥遊びと同レベルの事でしかない。
ただし、その規模は遊びとは到底呼べないものだ。
メルセデスが両手をゆっくりと近付け、何かを握るように組み合わせる。
するとフェーニクスを閉じ込める泥がますます圧縮され、中から感じられる抵抗が弱まった。
メルセデスは笑みを保ったまま更に力を籠め、腕と額に血管が浮き上がる。
その動きに呼応するように固められた泥は小さくなっていき、やがてガチガチに固まった煉瓦となって地面を転がった。
もうフェーニクスの気配は感じられない。
炎の化身は完全に閉じ込められ……いや、握り潰され、その存在を抹消されていた。
「あれだけ手強かった敵も、一度攻略法が分かってしまえば呆気ないものだな……」
余りにも簡単に終わってしまった事に、思わず失望したような声が漏れた。
苦戦していた時は無敵にすら思えたのに、倒し方さえ分かってしまえば何と簡単な事だろう。
我ながら面倒くさい奴だ、と思う。
敵を倒して目標に向かって歩もうとしているのに、それが簡単に行くと不満を覚えるなどと。
だがおかげで、ようやく自分で自分というものを少し理解出来てきた。
どうも、自分で思っていたよりも遥かに幼稚で、そして歪んだ性根をしていたらしい。
欲しい宝石があるから必死に働いて金を溜め、そしていざ必要金額が溜まればその瞬間に途端に宝石への興味を無くす。
メルセデス・グリューネヴァルトとはそういう心底面倒な女だったようだ。
「殿?」
「何でもない。先へ進むぞ」
もうフェーニクスへの関心はどこにもなかった。
ユリアに素っ気なく返し、そして試練の間を抜ける。
その先にあったのは、ダンジョンの最深部である魔物の複製部屋だ。
立ち並ぶ木々の中央には丸い水槽がはめ込まれ、その中では魔物が眠っている。
初めて見るだろうその光景にユリアとドミニオンは驚いたように辺りを見渡しているが、もうメルセデスは慣れたものだ。
少し待つと、メルセデス達の前に人間の姿が映し出され、ユリアとドミニオンは咄嗟に警戒態勢を取った。
「武器を下げろ、こいつは敵ではない。このダンジョンの管理者だ」
放っておくと攻撃に移りそうな二人を宥め、それから目の前の人間……いや、人間の姿を模した管理者の立体映像を見る。
白衣はツヴェルフや、帝国ダンジョンの管理者であったズィーベンと同様。外見は若い男のもので、顔立ちは中々整っている。
まあ、メルセデスは基本的には最初に入手したダンジョンの管理者であるツヴェルフにばかり質問するので、彼もどうせ空気になるだろう。
『ようこそ、ダンジョンマスター・メルセデス様。私はツェーン。このダンジョンの管理者を務めております』
「ああ。早速で悪いが、このダンジョンは私の所持しているシュタルクダンジョン……このハルバードと統合する。出来るか?」
『お任せを』
前回帝国ダンジョンを入手した際には、『壊れない金属』で出来た防具を増やす事を優先して腕輪にしたが、今回はハルバードと統合する事を選んだ。
こうする事でダンジョンの拡張に繋がるし、このグレンツェダンジョンの持つポイントと魔物がそっくりそのままシュタルクダンジョンに統合されるので出来る事も多くなるはずだ。
『あの……随分あっさりされていますね……もっとこう、私に質問とか……』
「質問ならばこの後ツヴェルフにするから問題ない。早くやってくれ」
『……はいぃ……』
ツェーンと名乗った優男は登場早々メルセデスの塩対応の洗礼を浴び、落ち込んでしまった。
しかし彼には悪いが、質問をぶつける管理者は正直ツヴェルフ一人でいい。
誰に話してもどうせ内容は変わらないだろうし、それならば気心の知れたツヴェルフに聞くのが一番楽だ。
攻略されたダンジョンはまるでモデリング最中の3D映像のようになり、メルセデスの持つハルバードへと吸い込まれていく。
やがて完全にダンジョンが消えてなくなり、後にはメルセデス達と……恐らくはダンジョン攻略の真っ最中だったのだろう多くのシーカー達だけが残されてしまった。
最初は何が起こったのか分からず茫然としていたシーカー達も、やがて誰かがダンジョンを攻略してしまったのだと気付き、騒ぎ始める。
とはいえ、メルセデスが攻略者だと気付く者はいない。
木を隠すなら森の中……この場に立っているのがメルセデス一人だけならばメルセデスが攻略したと誰でも分かるが、これだけシーカーが大勢いては誰が攻略したのかなど分かるはずがない。
探索中だった大勢のシーカーのうちの一人としか見られないだろう。
混乱するシーカー達を放置してメルセデスはそっとその場を抜け出し、宿へと戻った。
宿に戻ったメルセデスはベッドに腰をかけ、荷物を降ろす。
それから早速、ダンジョンキーに意識を集中させてツヴェルフへと呼びかけた。
ツェーン? 誰だっけ、それ。
『お呼びですか、マスター』
「ああ。新たにダンジョンを攻略し、これで私は三つのダンジョンのマスターとなった。
話せる事も前回より増えているはずだと思ってな……。
聞かせてくれるか? この世界の神……人間が、何故この世界と私達を創ったのかを」
ダンジョンには世界の真理と過去が隠されている。
メルセデスは過去二度のダンジョン攻略を経て、ツヴェルフの口からその一端を聞き出していた。
この世界で神と呼ばれている者の正体は、前世でかつて自分もそうであった生物……学名『ホモ・サピエンス』である事。
人間は高度に進み過ぎた科学と遺伝子工学に頼りすぎたせいで歪な進化……いや、退化をしてしまい、頭部だけが異常に巨大化した肉塊となってしまった事。
やがて栄華のピークに達した時、彼等は懐古主義に取りつかれ、在りし日の最もバランスが取れていた時代の姿に戻ろうと考え始めた事。
そして、人類の後継者……子孫として造り出された者達こそが、このレッド・プラネットに生きる人々である事……。
しかしこれでは後継者として機能していない。
ただ、人間と似ているだけの別の生物を創っただけだ。
そして、その理由はまだ分からない。ダンジョン二つを攻略した程度で得られる権限では聞き出せない情報だったからだ。
また、メルセデスは前世の記憶を持っているが、これは決して偶然やバグではなく創造主が意図した上で、こうした記憶持ちは生まれているのだという。
とはいえ、ツヴェルフが言うにはメルセデスは別に人間に操られている人形や、実は人間の脳を移植された存在……などという事はないらしい。
前回はここまで聞く事が出来た。そして今、その続きを聞く事が出来る。
『イエス、マスター。ではまず、この世界の成り立ちから語りましょう』
そしてツヴェルフは、話せる日を待ち望んでいたように口を開いた。
Q、割と娘に好かれてたようですが、今どんな気持ちですか?
ベルンハルト「下らん」
ベルンハルト「………………」ニヤニヤ
ハンナ「……………………。
メルちゃんとベルンハルト、実はお互いの事大好きじゃん……」




