第百二十五話 才能という名の呪縛
目の前で微笑む少女を前に、メルセデスは混乱しかけた思考を即座に切り替えた。
女だった事には驚いたし、ここまで人に近い外見で魔物というのはどうなんだという気持ちもある。鎧を脱いだドミニオンの姿は何なら吸血鬼やエルフェよりもホモ・サピエンスに近い。
ドミニオンという種の全てがこうなのか、それともドミニオンの中にも男女の差があるのかどうかも分からない。
だが、そんなのは後で聞けばいい事だ。今気にする事ではない。
「無事だったか。まだ戦えるな?」
「無論だ」
敵はまだ健在で、そして此処は戦場。
ならば鎧の中身など些細な問題でしかない。
今思考を割くべきは、いかにしてあの炎の化身を打倒するかだ。
物理攻撃はほぼ無意味。倒すには炎を完全に消さなくてはならない。
火を消す方法はメルセデスの知る限りでは大きく分けて四つある。
一つ、除去消火法。
可燃物の供給を止めたり、周囲の可燃物を取り除く事で鎮火させる方法だ。
森林火災などで、周囲の木を伐採して除去する事により燃え広がる事を防ぐのもこれに当たる。
だがフェーニクスはどう見ても近くに可燃物などない。
無いものは取り除けない。したがってこの消火法は、あの炎の鳥には無意味だ。
二つ、冷却消火法。
恐らく一般的に最も知られているだろう消火法がこれだ。
水をかけて冷却するのもこれに該当している。
そして三つ、窒息消火法。
酸素の供給を止める。あるいは濃度を下げる事により燃焼を止める方法だ。
火の付いた蝋燭にコップを被せれば火が消える理由がこれだ。
前世の日本ならば、恐らくは小学生でも知っているだろう。
他には砂をかけて消すのもこの窒息消火法に分類される。
もう一つ、可燃物の原子を不活性化させる抑制消火法というのもあるが、可燃物がそもそもないので、これも一つ目と同じくこの場では何の意味もない。
「……砂か」
火に対しては砂をかける。
単純明快で、それ故に今の今まで盲点になっていた。
この戦場は空中で、砂などどこにもない。
だが無いなら出せばいいだけの話ではないか。
メルセデスの魔法の属性は『地』、『鉄』、『風』、『雷』の四つ。
そのうち、『雷』魔法の会得には未だに至っていないので、実質的には三つだ。
そして最も得意としているはずの『地』は、今までずっと重力魔法として使用してきた。
だが、ここが盲点になってしまっていたのだ。
なまじ重力の操作という強力な固有技能を先に身に着けてしまったせいで、地属性魔法が本来持つポテンシャルから目が逸れていた。
「やってみるか……全員、私の側に集まれ! 巻き込まれないようにな……」
目を閉じ、両手でハルバードを握って意識を集中させる。
どうせフェーニクスのせいで視界は利かない。
故に狙っても当てられるものではなく、ここまで苦戦を強いられてきた。
だが狙って当たらないならば、狙わなければいい。
この戦場は一見すると、どこまでも広がる大空に見える。
だが実際は、ダンジョンという閉鎖空間の中だ。
壁や天井に空を投影して、広い空間に見せかけているだけに過ぎない。
その事は、ここに来るまでにも確認して来た事のはずだ。
ならば不可能ではない……この試練の間全体を攻撃対象にする事も!
「降り注げ!」
メルセデスが魔力を解放した。
それと同時に、空中に出現したのは視界を埋め尽くすほどの砂だ。
地属性魔法は大地を操るだけの属性と書物には記されていた。
だがそうではない。魔法とは大気中のナノマシンを操る力の事。ナノマシンに命じ、様々な現象を引き起こす力こそが魔法だ。
何もない場所に鉄を出せるのに、岩や砂を出せない道理はないだろう。
なのに一般的に地面を操るだけと認識されてしまっているのは……逆に大地が身近すぎたからだろうか。
何もない所に砂を出すより、既に足元にある砂を使った方が早いし楽だ。
地面から剣は生えていない。だから魔法で剣を出したければ鉄の魔法で剣を生み出す必要がある。
だが地面に剣は生えていなくとも、石や砂ならばいくらでもあるのだ。
ならばそれを使った方が早いのは言うまでもなく、地面から岩の棘を出す場合もわざわざ岩を一から生み出して棘にするより、既にそこにある石を少し弄って岩の棘にしてしまう方が効率がいい。
言ってしまえば、地属性魔法とは何処であっても補助輪が付いている状態なのだ。
勿論、こんな簡単な事に誰も気付いていないなどあり得ない。
ある程度地属性魔法に精通した者ならば、誰に教えられるまでもなく自ら気付けるだろう。
メルセデスの読んだ本に書いてあったのは、初心者用の魔力制御法でしかなかったのだ。
空から降り注いだ砂を、風の魔法に乗せる。
メルセデス達は避けるように。そしてフェーニクスを埋め尽くすように。
風に砂を乗せる事で応用の幅を広げる……これも簡単な事だ。
あのグラシアンですら出来ていた。
何ら特別な事ではない基礎中の基礎……こんな攻撃方法は、本当ならばフェーニクスの特性を理解してすぐに思い付くべきものだ。
それに気付けなかった理由は一つ。メルセデスが一足飛びで前に進み過ぎていたからに他ならない。
何と間抜けな話だ、とメルセデスは自嘲する。
基礎という土台を固める事こそが後の応用に活きて来ると知っていたはずなのに。積み木は土台が安定している程高く積めると自分に言い聞かせただろうに。
なのに基礎を疎かにしていた。土魔法の何たるかを熟知する前に、重力というより強力で、より特別で、自分しか使えぬ目先の力を優先してしまった。
ギルドカードで魔力の伸びだけが悪いのも当たり前だ。
基礎を疎かにしている者がどうしてその先に行く事が出来る。
それでもここまで何とかなってしまったのは、ただこの身の才能に助けられていただけ。
父から娘へと……あの男から遺伝した才覚という名の補助輪に支えられていた。
ああ、本当に何と滑稽なのだろうと笑うしかない。
自転車を満足に漕ぐ事も出来ぬくせに、そうとは知らずに自分の力で漕いでいると今まで勘違いしていた。
そのすぐ後ろにベルンハルトがいて、倒れないように支えられている事にすら気付けずに……。
これでは奴を超えるなど夢のまた夢。永遠にベルンハルトの手の中から出る事など出来ない。
「……殿? 笑って……」
横から、ユリアの怯えたような声が聞こえた。
言われて、初めて気付いた。
頬に触れてみれば、自らの口の端が吊り上がっていた事を理解する。
そうか、私は笑っていたのか。いや、嘲笑っていたのか。
自らの滑稽さを、醜態を、行き場のないこの羞恥を。
「……ああ、そうか」
胸の内に渦巻くドロドロとしたものを自覚し、メルセデスは更に口角を吊り上げた。
思えば今まで、本当の意味で『上手くいかない』という出来事に直面した事がほとんどない。
物事が上手くいかない事などいくらでもあった。だがその事すらもメルセデスは想定内として、次に繋げてきた。想定外すら想定内だった。
チョコレート作りの時も最初は失敗した。だがあの時はやる前から『最初から上手くいくわけがない』という想定の上でやっていた。
一度も転ばぬ者は転び方を知らずに痛手を被る。だからメルセデスは転ぶ事を恐れはしなかったし、何度も転んで歩いてきた。
だが最初から転ぶ事を想定して転んでいる者は果たして、本当の意味で転んでいると言えるのか。
否。メルセデスは今、初めて自覚した。
――私は一度も、転んでいなかった……!
『上手くいかない』を想定内に入れていたせいで、それすら含めて何もかもがメルセデスの『思い通り』になってしまっていた。
これではつまらなくて当たり前。退屈して当たり前。
だって全部分かった上でやっているのだから。
失敗する事すら実際は想定のうちで、ただ失敗したフリをしているだけの茶番だったのだから。
脚本の最後に『全部上手くいってハッピーエンド』と先に明記された主人公が、その結末に至るまでの道のりでいくら苦戦して挫折して転んで泣いて失敗しても、それも含めて結局は最後の成功の為のスパイスでしかない。
ならばその主人公がもしも……もしも、自らの成功を確約しているその脚本とご都合主義を自覚してしまったなら、果たしてその主人公は、この先起こるだろう様々な苦難や挑戦に心を躍らせる事が出来るだろうか……?
メルセデスはそれと同じだった。
本当の意味で何かに苦戦した事が無い。壁に当たった事がない。
どうせ最後は上手くいく……そんな諦めにも似た考えがメルセデス自身すら自覚せぬままに彼女の中にあった。
だが今はどうだ?
転ぶ事を最初から想定していても、転ばぬように支えられるのは想定外だった。
それに気付く事すら出来なかったのは更に想定外。
醜態も醜態。恥辱も恥辱。
ああ、何たる滑稽さか。どうせ転ばないんだろうなと思いながら、退屈しなから自転車を漕いでいて、そのすぐ後ろで嘲笑しながら自転車を支えていた父の影にも気付いていなかったなど。
奴の血に保護られ続けていたなどと!
「これが、恥という感情なのだろうな。そして自分への怒りなのだろうな」
今まで何かを強く恥じた事などなかった。恥じるものなどなかったから。
今まで何かに強く怒りを抱いた事もなかった。怒るまでもないものばかりだったから。
だが今……それは弱く、儚く、すぐに消えてしまう程度のものでしかないが……確かにメルセデスの中には自分の不甲斐なさへの怒りと恥が芽生えていた。
冷静さを揺るがすほどのものではない。
だがそれでも、たった今芽生えたそれをメルセデスは大切に胸の内に留めた。
やっと見えた気がする。自分が本当にやりたい事が。
――本当に欲しかったのは『想定外』。全力と最善を尽くした上で、それでも真の意味で思い通りにならない何かに出会いたかった。
「……全員、備えろ。派手にやるぞ」
メルセデスの黄金の眼が輝き、更に魔力が膨れ上がった。
すぐに消えてしまうだろうこの怒りだが、今はあえてこれに身を任せよう。
初めて知ったこの不快さを、今は存分に堪能しよう。
思えば感情を乗せて魔法を使うのは初の事……作業ではなく怒りに任せて使うのは初の出来事。
それをした時、どうなるのかはメルセデス自身にも分からない。
「……潰れろ!」
空から大量の砂が降り注ぐ。
そして、大空だったはずの試練の間は――まるで砂漠のような砂地へと姿を変えていた。
メルセデス達が戦っているダンジョンの外。
空は暗く、天では月が青く輝いている。
その日の月は、昨晩よりも少しだけ満月に近付いていた。
メルセデス「転びながらでも自転車の乗り方を覚えればヨシ!」
ベルンハルト「おっと、転ぶと大変だ。パパが後ろで支えてあげよう」
メルセデス「アハハハハハ」
ベルンハルト「フハハハハハ、ほーら速い速いー」
ドミニオン「……こういう事か!」
メルセデス「大体合ってるが死ぬほど嫌な光景だな……」




