第百二十三話 三度目の試練
「――は?」
最初に口から洩れたのは、そんな間抜けな声であった。
まず感じたのは衝撃。足に何かが当たり、身体が大きく揺れたと思った次の瞬間には足に力が入らず崩れ落ちていた。
足からは赤い血が溢れ、決して安くないズボンを濡らす。
一体何が起こったのか。その現実を認識出来ないままに、遅れて激痛がグラシアンの足を貫いた。
「ぎっ……あ゛あ゛あ゛あ゛ァァあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁッ!!」
これまでの生涯で一度として感じた事がないような激しい痛みにグラシアンがのたうち回った。
レスリーの放った弾丸はただ足を貫通しただけではない。
足に入った弾丸は瞬間的に周辺の組織を大きく押し広げ、足の組織を破壊する。
その破壊範囲は弾の直径のおよそ四十倍といったところだ。
千切れこそしていないが、グラシアンの足の組織は広範囲に渡ってズタズタに引き裂かれていた。
骨、血管、神経組織……それらを容赦なく破壊して出ていくのだから、その激痛たるや筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。
大腿動脈と静脈は切断され、それに比例して凄まじい出血を齎す事となる。
銃で手足を撃たれたらその場所を貫通するだけで命に別状はない……というのは甘い考えだ。
たとえ急所を外した手足であろうと、大量の出血と止血の難しさにより、十分に死に至らしめる事が出来る。銃とはそういう武器だ。
そして命が助かっても今度は感染症や壊死の危険が付きまとい、切断しなければ助からないというケースも珍しくはない。
メルセデスは当初、決闘に負けたグラシアンがダダを捏ねると考えていた。
あるいは負けを認めずにレスリーを罵倒する可能性も考えていた。
だが実際は違う。グラシアンにそんな余裕などない。
痛い。ただ痛い。
脳髄を焼き尽くすような激痛に何も思考出来なくなり、グラシアンは激痛に泣きわめく事しか出来ていなかった。
しかしそんなグラシアンに誰も駆け寄らないのは、まだ見届け人が勝敗を宣言していないからだ。
「そこまで! レスリーの攻撃が命中し、決闘が一切の不正なく正式に行われた事を確認しました」
見届け人がそう言うと同時に、周囲に控えていた救護班がグラシアンに駆け寄った。
恐らく人を撃ったのはこれが初めてなのだろう。
自分のやった事にレスリーは若干青褪めている。
だがこれは決闘で、むしろ命を奪わなかっただけ十分に彼女は有情だ。
一方メルセデスは無感動な表情をまるで崩さず、レスリーを落ち着かせるように彼女の肩を叩いた。
「気にするな。撃たなければ、お前がああなっていた」
そう言いながら、メルセデスはグラシアンの痛がりぶりを観察していた。
仮にあそこにいるのが自分だとしても、恐らくああまでは痛がらないだろう。
それはメルセデス自身が痛みに慣れているというのもあるが、それより大きいのは種族の差だ。
痛みとは身体が伝える危険信号である。
腕や足が千切れた程度では致命傷にならず、しばらく放っておけば生えてくる吸血鬼にとって、あの程度の傷はそこまでの激痛にはならない。
『痛い事は間違いなく痛いが、まあ我慢出来なくもない』程度のものだ。
だがエルフェにとっては耐えられない激痛となる。
メルセデスはレスリーをその場から遠ざけながら、グラシアンの配下に目配せをした。
これでトラウマを負って二度とレスリーに近寄らなくなればいい。
既に潰すと決めている相手だが、これで潰れるならばこちらが手を下す手間が省ける。
だがもしも復讐などを考えて不審な動きをしたならば、その時はあの側近達がメルセデスに密告する事になっている。
◆
その日の夜。
メルセデスは支度を整え、ダンジョンに挑む準備を済ましていた。
ベッドで眠るレスリーの近くには万一に備えてベンケイとクロを護衛として残している。
この二体はメルセデスの主力とも言える魔物だが、今回のダンジョン攻略――つまり守護者との戦闘では出番がない。
これまでの構造から考えて、まず十中八九空中戦になると見ていいだろう。
足場があれば俊敏なクロはまだ足場から足場へと飛び移る事で戦えなくはないだろうが、足場がない可能性も踏まえれば今回は最初から飛べるメンバーだけで挑んだ方がいいというのがメルセデスの考えだ。
ベンケイに至っては残念ながら論外……重戦士である彼は今回の戦場では何も出来ない。精々弓を放つ程度が関の山か。
ピーコに乗せて運用しようにも、ベンケイは重すぎる。
幸い重戦士は新しく加わったドミニオンがいるので、回復と防御は彼に任せればいいだろう。
そしてレスリーも置いていく事に決めた。やはり守護者との戦いに加えるのはリスクが大きすぎる。
「では行って来る。こっちは任せたぞ」
「はっ。お任せを」
「ばう!」
ベンケイとクロに声をかけ、そしてレスリーを起こさないように宿を出た。
ダンジョンに到着すると早速扉の前の中継地点まで移動し、そこで今回の対守護者メンバーを出す。
まずメルセデス自身は勿論として、ドミニオンにピーコ、そしてユリアが今回使う面子だ。
新参のドミニオンとユリアが入っているのが不安材料ではあるが、実際戦場との相性を考えるとこの二人が一番いいという結論になる。
扉を潜り、長い通路を渡る。
その先にあった扉を潜ると、そこにあったのは黒と金の扉だ。
思えばこの二つの扉を見るのは五年ぶりか。ハルバードを担ぎ、ダンジョンからの問いかけを待つ。
『よくぞここまで到達した。探索者よ』
声が広間に響いた。
ツヴェルフの時と違い、野太い男の声だ。
その後迫られるのはお決まりの二択……名誉と宝を求めるならば黄金の扉を。真実を求めるならば黒の扉を開くように促される。
黄金の扉を開けば真実への道は閉ざされ、二度と挑む事が出来なくなる。黒の扉を開けば真実への道が拓かれるが、一歩間違えれば命諸共全てを失う。
だがメルセデスに迷いはない。黄金の扉など最初から眼中にもないのだ。
「選ぶのは黒の扉だ」
だから黒の扉を選択し、そして開かれた扉の中へ入って行った。
その後をピーコとドミニオン、ユリアが続く。
そうしてしばらく進んだ後に、メルセデス達は試練の前へと辿り着いた。
そこはメルセデスが予想した通りに足場のない空中だ。
扉から続く通路は試練の間の前で途切れており、その先には一切の足の踏み場がない。
ただどこまでも広がるような青空だけがそこにはあった。
一切のギミックがない、ただシンプルなだけの天空……これでは飛べない者は本当にどうしようもない。
空を見上げるメルセデス達の前で、太陽をバックにして何かが降りて来る。
現れたそれは――赤く燃える炎の鳥であった。
不死鳥、フェニックス、朱雀、ガルーダ、鳳凰……。
炎を司る鳥、あるいはそれと同一視される神聖な鳥の伝承は世界中に存在し、太古の人々がいかに空に……そして鳥と炎に神聖さを感じていたかを垣間見る事が出来る。
そんな伝説の具現が今、目の前にいる。その事実にメルセデスは僅かに笑った。
これが、この世界の神――ホモ・サピエンスによって作り出された偽りの伝説である事は既に分かっている。
彼等が造り出したナノマシンの集合体。自分もこいつも、そこに違いはない。等しく造り出された紛い物だ。
本当は伝説の鳥なんてどこにも存在せず、全ては人の空想の中にのみ生きる幻――故に幻想。
だが人の業と知恵は幻想を現実に引っ張り出し、こうして目の前に炎の鳥がいる。
それが何だか、メルセデスには無性に可笑しかった。
「真実に挑む者よ、よくぞ来た」
あ、喋るのか。メルセデスは鳥を見ながら、そんな気の抜けた事を考えていた。
振り返ってみれば確かに最初のダンジョンの守護者だったヒストリエも、次のダンジョンの守護者だったパラディースも喋っていたのだから、この鳥だけが話せないなんて事があるはずもない。
「ここまで来た者に余計な言葉は最早不要。真実を求めるならば力を示すがよい。
ただし……出来るのならば」
そういえば、こんな前口上あったなあとメルセデスは少し懐かしい気持ちになっていた。
五年ぶりに聞くが、やはり守護者はこの前口上をしなければ気が済まないらしい。
「我が名はフェーニクス。滅び、そして再誕する命の循環を司る者。
真実に挑む者よ。お前の命もまた我が炎によって塵となり、そして再び芽吹くだろう」
「……そうか」
以前パラディースと戦った時に、この前口上が必要なのかどうか聞いた事があった。
その時の返事は確か『いや、別にやらなくてもよい。気分だ』だったか。
つまりこいつ等は、やらなくてもいい事をわざわざやっているという事になる。
この前口上の最中に攻撃したらどうなるんだろう、と少しだけ思わないでもない。
「行くぞ!」
フェーニクスが吠え、それと同時にメルセデス達は四方へ散開した。
三回目の守護者戦の始まりだ。
メルセデス「ベンケイは論外」
ベンケイ「!?」
メルセデス「幸い重戦士は新しく加わったドミニオンがいるからいいや」
ベンケイ「!!?」




