第百十五話 挑発
メルセデスが姿を見せると、グラシアンは一瞬驚いたもののすぐに勝ち誇ったような笑いを浮かべた。
獲物がわざわざ向こうからノコノコ出て来るとは好都合だ、とでも思ったのだろう。
次に誰かを探しているかのように視線を彷徨わせるが、目当ての人物が見付からなかったらしく少し不機嫌になった。
「ふん、わざわざ出て来てくれるとは感心だな。
ところでレスリーの奴はいないのか?」
「誰だそれは」
グラシアンの質問に、メルセデスはすっとぼけてみせた。
ここで下手に知り合いである事を明かすとこの馬鹿の報復の矛先がレスリーに向かいかねない。
なのであの場で偶然近くにいただけの無関係な吸血鬼を装うのがメルセデスの考えだ。
「誰って……あの時一緒にいただろうが」
「ああ、お前と言い争っていた女の事か? それなら、お前の後に蹴り落としたが」
吸血鬼とエルフェのどちらが先にダンジョンをクリアするかという場において、吸血鬼のシーカーがエルフェを蹴り落とすのは別におかしな事ではない。
『あの場に偶然いただけの無関係のシーカーに蹴り落とされた』と思わせれば、その怒りはレスリーに向かないだろう。
実際メルセデスはこのダンジョンを攻略中に同業のシーカーを何人も落としているので、あながち嘘とも言い切れない。
仮にグラシアンがレスリーに喧嘩を売っていなかったとしても、メルセデスは本当に蹴り落としただろう。
同じダンジョンを攻略しようとしているライバルがわざわざ中継地点に触れようとしているのを指をくわえて見守る必要はない。
「……まあいい。おいお前、貴族である俺を足蹴にしたんだ。
覚悟は出来ているだろうな?」
「何の覚悟だ?」
「決まってるだろう。殺される覚悟だよ」
グラシアンの言葉に、メルセデスはわざとらしく嘲笑を返してやった。
いや、メルセデスだけではない。
この場にいる吸血鬼全員が大小の差はあれど、等しく彼に呆れか嘲笑のどちらかを向けていた。
他種族で他国といえど、貴族に暴力を振るえばそれは問題だろう。
しかしそんなものはダンジョンに踏み込んだ時点で無効となる。
ダンジョンに足を入れるというのは、『身分の差に関係なく対等の立場で競争する』という契約書に同意したも同然であり、後からそこに文句を言っても馬鹿扱いされるだけだ。
こんな事はシーカーならば子供でも知っている常識である。
「ぐはははは! おい聞いたかよ!
この坊ちゃん、ダンジョンでちょっと蹴落とされただけで逆恨みしてやがるぜ!」
「こいつは傑作だ! ママー、ダンジョンで苛められたでちゅー、ってかァ!」
「おお怖い怖いでちゅねえ! くやちいくやちいでちゅねえ!」
「こんな情けねえ間抜けは久しぶりに見たぜェ! おいエルフェの坊や、怪我すんのが嫌なら家に帰ってママに慰めてもらいな!」
「そんなんで恨むなら、俺は百回は誰かを恨まなきゃいけねえなあ!」
「決まってるだろう――殺される覚悟だよ」
「やめろ、俺を笑い死にさせる気か!」
吸血鬼シーカー達がどっと下品な笑い声をあげ、一斉にグラシアンを笑いものにした。
そしてよく見たらこの中にも、ダンジョンでメルセデスが蹴り落としたシーカーが何人かいる。
彼等は言うまでもなく荒くれだが、しかしそんな彼等の中にもルールがある。
それすら守れぬ貴族坊やなど笑われて当然。彼等にとってグラシアンは貴族ではなく、ただの滑稽な坊やでしかなかった。
グラシアンは顔を真っ赤にし、怒りのままに腰に下げていた剣を抜いた。
メルセデスはそれを見て最初、弾いてやろうかと思ったがここで思考に待ったがかかった。
弾くのは簡単だ。避けるのも掴むのも難しくない。
しかしここはあえて……あえて腕を傷つけさせてやってもいいかもしれない。
ダンジョンの中で貴族に攻撃を仕掛けても、それは暗黙の了解で許される。
個人間の感情や親しい者からの恨み、信頼の喪失などはさておき、少なくとも法で罰せられる事はない。
しかしダンジョンの外で自分よりも上の貴族を傷付けるような事をすればそれは大問題だ。勿論知りませんでしたでは済まされない。
メルセデスはあえてグラシアンの攻撃を受けてやる事で、逆にこいつを死罪に追い込んでしまえばいいのではないか、と考えたのだ。
そうすれば少なくともこの男がレスリーにちょっかいをかける事はなくなるだろう。
傷を多少負ってもメルセデスならば再生出来るし、問題は全くない。
……が、それをやってしまうと吸血鬼とエルフェの間に深い溝が出来る可能性が高いし、そうなればこの集落自体がどうなるか分からない。
この件を切っ掛けにして吸血鬼とエルフェの争いになればダンジョン攻略どころではなくなるだろう。
なのでメルセデスは、この場は穏便に済ませる事にした。
「一つ教えておいてやるが、私は一応公爵家だ。
お前の理屈で言うと私はお前を殺していい事になるぞ?」
「な……公爵家、だと……」
家の名前を盾にするというのは、ベルンハルトに頼っているようであまり気分がよくないのだが利用できる物は使ってしまうのもメルセデスのやり方だ。
流石にこれは効果てきめんだったようで、グラシアンは視線を彷徨わせた後に静かに剣を鞘に戻した。
「ぐ……ひ、卑怯だぞ! 立場を盾にするなんて!」
自分の先程までの言葉を棚上げして喚くグラシアンにその場の全員が呆れるが、メルセデスは無言で彼の鞘から剣を奪い取った。
まさかそれで斬るつもりか……?
そう警戒するグラシアンの前で何故か剣を磨き、彼に手渡してやる。
その意図が分からずに混乱するグラシアンに、メルセデスは挑発するように言葉を投げた。
「鏡を知らんようだったのでな……お節介を焼かせて貰った。
それなら、よく自分の顔が見えるだろう?」
遠回しな『お前が言うな』である。
メルセデスがそう言うと、吸血鬼シーカー達がどっと笑った。
遅れてグラシアンも彼女の意図を察し、ますます顔を真っ赤にする。
「…………っ!」
何も言い返す事が出来ずにグラシアンは足早に立ち去るが、その目は怒りに満ちていた。
これで彼の恨みはメルセデスに集中し、レスリーの事など頭から抜け落ちた事だろう。
後はダンジョン内で仕掛けて来てくれれば、目撃者なしで消す事が出来るので是非仕掛けて来て欲しい。
グラシアンが去ってから、物陰から事の成り行きを見守っていたレスリーと合流する。
しかし何やら彼女は恐縮しているように見えた。
「終わったぞ……どうした?」
「いや、あの……今の話、マジ?」
「私が公爵家だという事か?」
レスリーの態度からして、彼女が聞きたいのはメルセデスが発言した公爵家という部分だろう。
念のために聞き返してみると、レスリーはコクコクと首を縦に振った。
「一応事実だ。といっても、四子だがな。
それに公爵なのは父であって、私自身は別に偉くも何ともない」
「いや、でも……」
「気にするな、今まで通り接してくれればいい」
メルセデスにとってグリューネヴァルト家の名はそこまで価値あるものではない。
というより、ハッキリ言って重荷というのが本音である。
家を継ぐ気など全くないし、何とかフェリックスに押し付けてやりたい荷物だ。
それに、どうせそう遠くない未来に吸血鬼とエルフェは互いの家の格など気にしなくなるだろう。
何故なら、メルセデスの読みが正しければいつかこの二種族は戦争になるはずだからだ。
いや……以前のバジルの一件から考えても、既に水面下ではとっくに始まっているのかもしれない。
(後は……一応、念を入れておくか)
グラシアンの怒りはこちらに向けたが、あの手の輩は道理では測れない事がある。
メルセデスへの怒りとは無関係に、憂さ晴らしの為にレスリーか、あるいはレスリーの私物に当たり散らす可能性もゼロではないのだ。
そこまでの馬鹿だとは思いたくないが、そこまでの馬鹿の可能性も大いにある。
なので、替えの効かない品に関しては保険をかける必要があると考えていた。
「なあレスリー。あの本だが、もう一度見せてもらっていいか?」
「え? うん、いいけど……読めないでしょ?」
「いや、見覚えのある記号があった気がしてな」
そう言い、レスリーのテントに案内してもらったメルセデスは例の本を読む振りをして気付かれないようにダンジョンに収納し、登録してからレスリーに返却した。
彼女の造ったガラクタ……もとい、発明品は壊れたとしてもこの本とレスリーがいれば替えが効く。
だがレスリーとこの本を失うのは痛手だ。
なので万一の時の為に本を複製出来る状態にしておいたのだ。
後は……一応、レスリーの近くに隠密に長けた魔物を護衛として忍ばせておくべきだろう。
あるいは、ベンケイに教育を任せたユリアもそろそろ使い物になっているかもしれないので、彼女をテストする意味でもユリアに任せていいかもしれない。
念の入れすぎかもしれないし、無駄になるならばそれが一番いい。
だが念を入れずに失敗して、後から悔いても遅いのだから。




