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笠木珠江物語〜へこたれてたまるか〜  作者: リンダ


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9/23

拾った言葉 こぼれた本音

 第10話


「拾った言葉、こぼれた本音」


 笠木珠江は、南海電車に乗っていた。


 劇場へ向かう途中。

 窓の外を眺めながら、ふと思う。


「そういえば、同じ南海でも、本線と高野線って全然ちゃうよな」


 南海本線は、難波から堺、泉州、和歌山、関西空港方面へ走る。

 どこか海の匂いがする。


 一方、高野線は、難波から堺東、河内長野、橋本、そして高野山方面へ向かう。

 山へ向かう空気がある。


 珠江はネタ帳を開いた。


「高野線の電車って、本線の線路走ってみたいとか思うんかな」


 ペンが動き出す。


 《南海本線と高野線の電車が飲み屋で会ったら》


 珠江は小声でアフレコを始める。


「本線電車です。毎日、海の方まで走ってます。関空にも行きます。海外の空気も感じてます」


 次に声色を変える。


「高野線電車です。毎日、山の方へ向かってます。空気は澄んでます。人生について考える時間が長いです」


 珠江は自分で少し笑った。


「本線電車が言うねん。“ええなぁ、高野線。なんか修行してる感じして”」


「高野線は返す。“そっちこそええやん。空港行けるやん。国際派やん”」


 さらに書く。


 《本線=派手で都会的、でも実は疲れてる》

 《高野線=落ち着いてる、でもたまには海を見たい》

 《互いに相手の線路に憧れている》


 劇場へ着くころには、ネタの形ができかけていた。


 だが、その日の楽屋で、珠江は一人の若手芸人の言葉を聞いてしまう。


「俺、もう自分でネタ作るのやめようかな。AIの方がウケるし」


 別の芸人が笑う。


「楽でええやん」


 けれど、最初の若手は笑っていなかった。


「楽なんかな。なんか、自分が舞台に立ってる意味が分からんくなる」


 珠江は、ネタ帳を閉じた。


 拾った言葉だった。


 でも、すぐ笑いにしてはいけない言葉だった。


 その夜の舞台で、珠江は南海電車ネタを少しだけ披露した。


「南海本線と高野線の電車が、もし飲み屋で会ったらどうなるんかなと思いまして」


 客席が少しざわつく。


「本線電車が言うんです。“俺、関空行ってるから国際派やねん”って。そしたら高野線電車が返すんです。“こっちは高野山や。人生の深みでは勝っとる”」


 笑いが起きる。


「でも本線電車、ほんまは山に憧れてるんです。“たまには静かな空気の中で走りたい”って。高野線電車は高野線電車で、“一回でええから空港行って、外国人に写真撮られたい”って思ってる」


 客席の笑いが広がる。


 珠江は一瞬、楽屋の若手芸人の顔を思い出した。


 自分の線路ではない場所に憧れる。


 でも、だからといって、自分の線路に意味がないわけではない。


 珠江は間を置いた。


「電車も人間も、隣の路線がよう見えるんでしょうね。でも、毎日同じ線路を走ってるから、誰かの日常を運べるんです」


 客席に、少し静かな空気が流れた。


 笑いではない。


 でも、届いている感じがあった。


 舞台を終えて家に帰ると、珠江は作り直したネタを家族に披露した。


 リビングに、勝一、美沙子、一郎が座る。


 珠江は立ち上がった。


「では聞いてください。南海本線と高野線、深夜の居酒屋会談」


 勝一が麦茶を吹きそうになる。


「始まる前から変や」


 珠江は本線電車の声を作る。


「どうも、本線です。空港行ってます。国際派です。たまにスーツケースに足踏まれます」


 美沙子が笑う。


「電車に足あるんかい」


 珠江は高野線の声に変える。


「高野線です。山へ向かってます。人生について考えすぎて、たまに車内が説法みたいになります」


 一郎が腹を抱える。


「車内説法やめてくれ」


 珠江は続ける。


「本線が言います。“お前ええよな、山とか自然とか。俺なんか空港行くたびに、みんな海外行くのに俺だけ戻されんねん”」


 勝一が笑い転げる。


「切ないな、本線」


「高野線が返します。“こっちもこっちで大変や。毎日山へ向かうから、乗客がだんだん無口になる。俺、会話の終着駅かもしれん”」


 美沙子が声を上げて笑う。


 一郎はソファを叩いている。


「姉ちゃん、それ舞台でやれ。絶対やれ」


 珠江も笑った。


 家族の笑いは、容赦がない。

 でも、温かい。


 その夜、珠江はネタ帳に書いた。


 《拾った言葉は、すぐ料理しない》

 《本音は、火加減を間違えると焦げる》

 《笑いにするなら、その人の線路を馬鹿にしない》

 《隣の路線がまぶしくても、自分の線路にも意味がある》


 そして最後に書く。


 《南海本線と高野線。これは使える》


 珠江はペンを置いた。


 拾うだけでは足りない。

 笑わせるだけでも足りない。


 その言葉の奥にある本音を、どう傷つけずに舞台へ運ぶか。


 珠江は少しずつ、その難しさを知り始めていた。


 ⸻


 次回予告


 第11話「変わり始めた客席」


 南海本線と高野線のネタが、少しずつ客席の空気を変えていく。


 笑いの中に、誰かの日常が見える。

 冗談の奥に、少しだけ本音が残る。


 珠江は初めて、自分のネタに小さな手応えを感じる。


 しかし、劇場の外ではAIネタの勢いがさらに増していた。


 そして君原涼子の表情にも、わずかな変化が訪れる。


 次回、第11話

「変わり始めた客席」


 笑いは、客席の温度を少しずつ変えていく。

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