完璧すぎる芸人たち
第5話
「完璧すぎる芸人たち」
笠木珠江は、新大阪駅のホームに立っていた。
行き先は、博多。
お笑いライブへの出演が決まったのだ。
場所は、爆笑発電所が所有するホール。
普段は所属タレントの練習や打ち合わせにも使われ、定期的にお笑いライブも開催されている。
珠江はスマホの地図を見ながら、小さく息を吐いた。
「博多かぁ……」
そして、ぽつりとつぶやく。
「光子さんや優子さんたちの本拠地やなぁ。笑いのプレッシャー、ごっつそうやん」
青柳光子。
柳川優子。
そして、ファイブピーチ★。
AI全盛の2060年代でも、台本を使わず、その場でネタを拾い、観客の空気を爆笑に変える人たち。
珠江にとっては、憧れそのものだった。
新幹線がホームに入ってくる。
珠江は指定席に座り、ネタ帳を開いた。
「せっかく博多行くんや。道中も拾わな損やろ」
車内には、すでにネタの種が転がっていた。
通路側のサラリーマンが、弁当を開けるタイミングを何度も逃している。
斜め前の親子は、子どもが「新幹線の運転士さんって、トイレ行きたくなったらどうするん?」と真顔で聞き、母親が答えに詰まっている。
後ろの席では、年配の夫婦が駅弁を分け合いながら、夫が「これは旅やなくて、移動式の昼寝や」と言っていた。
珠江は吹き出しそうになるのをこらえ、ネタ帳に書いた。
《新幹線の中は、人生の小劇場》
《駅弁を開ける勇気》
《運転士さんのトイレ問題》
《移動式の昼寝》
そして最後に、大きく書いた。
《自分が新幹線の運転士だったら》
博多に着くころには、ネタ帳の一ページが埋まっていた。
爆笑発電所ホールは、想像していたより温かい場所だった。
大きすぎず、客席との距離が近い。
ステージの照明も派手すぎない。
ただ、壁に飾られた歴代ライブの写真が、珠江の緊張を一気に高めた。
M&Y。
ファイブピーチ★。
はなまるツインズ。
ドッカンルーキーズ☆。
オデッセイ。
人の手で笑いを作ってきた顔たちが、そこに並んでいた。
「……ここで滑ったら、魂ごと滑るな」
珠江がそうつぶやいたとき、客席の一部がざわついた。
見ると、そこには二人の女性が座っていた。
八幡ひなた。
枝光みずほ。
はなまるツインズだった。
珠江は目を見開いた。
「うそやろ……」
スタッフが小声で言う。
「今日はたまたま見に来られたみたいですよ」
「たまたまが重すぎるわ」
開演。
若手芸人たちが次々と舞台に立つ。
彼らのネタは、驚くほど完成されていた。
AIに作成を依頼し、芸人本人がテンポや表情を調整したもの。
導入が早い。
説明が少ない。
伏線もきれい。
オチも的確。
客席は何度も大きく沸いた。
「うまい。ほんまに、うまい」
舞台袖で珠江は息をのんだ。
自分が拾った新幹線のネタが、急に古く見えた。
いや、古いのではない。
弱く見えた。
出番が来る。
珠江はマイクの前に立った。
「どうも、笠木珠江です。大阪から来ました。新幹線に乗ってきたんですけど、あれ、乗り物というより、人生を時速二百八十キロで反省する箱ですね」
客席から笑いが起きる。
悪くない。
珠江は続けた。
「隣のおっちゃんが駅弁を開けようとして、車内販売が通るたびに閉じるんです。何を警戒してるんやと。弁当にもプライバシーあるんかと」
小さな笑い。
「あと、前の子どもが言うんです。“新幹線の運転士さんって、トイレ行きたくなったらどうするん?”って。お母さん、完全に顔が運休してました」
少し大きく笑いが起きる。
珠江は手応えを感じた。
だが、その笑いは、前の芸人たちが巻き起こした渦には届かなかった。
客席は楽しんでいる。
でも、爆発ではない。
珠江は最後のネタに入る。
「私が新幹線の運転士やったら、たぶん車内放送で言いますね。“ただいま時速二百八十キロで走行中ですが、私の人生は各駅停車です”」
笑いは起きた。
けれど、珠江の胸の奥には、少しだけ苦さが残った。
出番が終わる。
拍手。
珠江は頭を下げ、舞台袖へ戻った。
そこで、はなまるツインズの二人と目が合った。
珠江は一瞬迷った。
でも、この機会を逃したら、きっと後悔する。
「すみません」
珠江は深く頭を下げた。
「厚かましいのは重々承知なんですけど……少しだけ、お話してもいいですか」
ひなたが柔らかく笑った。
「もちろん」
みずほも頷いた。
「舞台、見てたよ」
珠江は緊張で手を握りしめた。
「私、AIを使わずに、自分で拾ったネタを頭の中で整理して、舞台で投下してるんです。でも最近、AIで作られたネタに押されてて……今日も、他の芸人さんのネタ、完璧やったじゃないですか」
ひなたは少し考えてから言った。
「うん。完璧やったね」
その言葉が、珠江の胸に刺さる。
みずほが続ける。
「でも、珠江さんのネタには、移動してきた人の匂いがあった」
「匂い、ですか」
「新幹線に乗って、見て、聞いて、ちょっと笑って、ちょっと不安になった人の匂い」
珠江は黙った。
ひなたは、アドバイスではなく、問いかけるように言った。
「珠江さんは、今日の新幹線で見た人たちを、笑わせたいと思った?」
珠江は答えに詰まった。
「それは……」
みずほが穏やかに言う。
「ネタにしたい、とは思ったんだよね」
「はい」
「でも、その人たちにもう一回会ったとき、“あなたのことを笑いにしました”って言えるネタになってるかどうか」
珠江は息を止めた。
ひなたが続ける。
「うちらも偉そうなことは言えんけど、光子さんと優子さんを近くで見てきて思うんよ。あの二人は、拾った人を置いていかない」
「置いていかない……」
「笑いに変えても、ちゃんとその人を舞台に連れていく。だから、聞いてる人も安心して笑える」
みずほが言った。
「AIのネタは、構造が強い。けど、人の顔はないことが多い」
珠江の手の中で、ネタ帳が少し折れた。
ひなたは笑う。
「これはアドバイスじゃないよ。ヒント」
みずほも続ける。
「珠江さんのネタは、拾えてる。あとは、拾ったものを誰に返すかやと思う」
珠江は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その夜。
博多のホテルの部屋で、珠江はネタ帳を開いた。
《完璧すぎる芸人たち》
《構造は強い》
《でも、顔がない》
《拾った人を置いていかない》
《笑いにした相手に、もう一回会えるネタか》
珠江はペンを止めた。
今日の自分は、新幹線の乗客を笑いの材料にした。
でも、彼らを舞台に連れていっただろうか。
珠江は窓の外の博多の夜を見た。
「完璧には勝たれへんかもしれん」
小さくつぶやく。
「でも、置いていかん笑いなら……できるかもしれん」
その頃、ホールの控室では、ひなたとみずほが静かに話していた。
「珠江さん、伸びるね」
「うん。悩み方が芸人やった」
「AIに勝とうとしてるうちは苦しいやろうけど」
「人を見だしたら、変わる」
二人は笑った。
珠江の知らないところで、彼女の小さな変化はもう見つけられていた。
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次回予告
第6話「AIがウケる夜」
博多で受け取った、はなまるツインズからのヒント。
「拾った人を置いていかない」
その言葉を胸に大阪へ戻った珠江は、再び劇場に立つ。
しかし、その夜の主役は、AIネタで大ブレイク中の若手芸人だった。
計算された笑い。
途切れない爆笑。
客席を支配する完璧な流れ。
珠江は舞台袖で、その現実を突きつけられる。
「これが、今のお客さんが求めてる笑いなんか」
一方、君原涼子は客席の奥で、また笑わずに舞台を見つめていた。
次回、第6話
「AIがウケる夜」
笑い声が大きいほど、聞こえなくなる声がある。




