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笠木珠江物語〜へこたれてたまるか〜  作者: リンダ


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泣きながら笑う人

第44話


「泣きながら笑う人」


ライブの終盤だった。


珠江とレンの夫婦漫才は、少しずつ形になってきていた。


完璧ではない。

間がずれることもある。

レンがツッコミを噛み、珠江がそれをさらに拾って広げることもある。


けれど、その不完全さごと、客席は受け入れてくれるようになっていた。


その日も、会場には温かい笑いが広がっていた。


珠江が言う。


「夫婦漫才って、よう考えたら危険ですよ。家でのケンカを舞台に持ってきたら、もはや公開調停ですからね」


レンが返す。


「でも珠江さん、ネタ合わせ中に本気で怒る時ありますよね」


「怒ってへん。演出や」


「目が家庭裁判所でした」


客席が笑う。


珠江も笑いながら、客席を見た。


その時だった。


前から五列目の端。


一人の女性が、涙を流しながら笑っていた。


声を上げて笑っている。


でも、頬には涙が伝っている。


珠江は、一瞬だけ言葉に詰まりそうになった。


笑っているのに、泣いている。


その表情が、胸に刺さった。


でも、舞台は止めない。


珠江は、ほんの少しだけ声の温度を変えた。


「まあ、夫婦って不思議ですわ。腹立つ日もある。でも、帰る場所が同じやと、結局同じ冷蔵庫開けるんです」


レンが言う。


「うちは冷蔵庫開けたら、だいたい珠江さんのネタ帳が入ってます」


「入れてへんわ」


「一回ありましたよ。冷蔵庫に“普通列車の悲哀”ってメモ」


「冷やしたら熟成するかな思って」


客席がまた笑った。


女性も、泣きながら笑っていた。


終演後。


珠江はロビーに立ち、観客を見送っていた。


その女性が、ゆっくり近づいてきた。


年齢は四十代半ばくらい。

少し疲れた顔をしていたが、目はまっすぐだった。


「珠江さん」


「はい」


女性は、深く頭を下げた。


「今日は、ありがとうございました」


「こちらこそ、来てくださってありがとうございます」


女性はハンカチを握りしめていた。


「私……子どもを、小児がんで亡くしました」


珠江は、息を止めた。


女性は続けた。


「亡くなって、もう五年になります」


その声は静かだった。


でも、長い時間を抱えてきた声だった。


「ずっと思っていました。丈夫な体に産んであげられなくて、申し訳ないって。もっと早く気づいてあげられたんじゃないかって。何かできたんじゃないかって」


珠江は、何も言わなかった。


簡単に慰めていい言葉ではない。


女性は少しだけ笑った。


「夫も、同じように苦しんでいました。二人で、前を向かないといけないって何度も話したんです。でも、笑うのが怖かった」


珠江は、涼子のことを思い出した。


笑うことが、置いていくことに感じる人がいる。


女性は涙を拭きながら言った。


「でも、亡くなって五年が過ぎて……私も夫も、少しずつ前を見て生きていかなくてはと思うようになりました」


そして、珠江を見た。


「久しぶりに笑いたいと思って、今日のライブを申し込んだんです」


珠江の胸が熱くなる。


女性は続けた。


「笑えるか分かりませんでした。でも、笑えました。泣きながらですけど」


珠江は静かに言った。


「泣きながらでも、いいと思います」


女性の目が揺れた。


「いいんでしょうか」


「いいと思います。笑ったからって、お子さんを忘れたことにはならないと思います」


女性は、涙をこぼした。


珠江は、言葉を選びながら続けた。


「私、昔は笑いって、涙を消すものやと思ってました。でも最近は、違うんかなって思います」


一拍置く。


「笑いは、涙を消すんやなくて、涙のそばに座ることがあるんやと思います」


女性は、ハンカチで口元を押さえた。


「今日、少しだけ……息ができました」


珠江は深く頭を下げた。


「来てくださって、ありがとうございます」


女性は、最後に言った。


「また、見に来てもいいですか」


珠江は、少しだけ笑った。


「もちろんです。笑える日も、笑えない日も、来てください」


女性は頷き、ゆっくり歩いていった。


その背中を見送りながら、レンが珠江の隣に立った。


「……珠江さん」


「うん」


「今日の舞台、意味ありましたね」


珠江は、目元を押さえた。


「うん」


大爆笑ではなかった。


バズる切り抜きでもない。


でも、一人の人が、五年ぶりに笑うために来てくれた。


泣きながら笑ってくれた。


それだけで、今日の舞台は十分すぎるほど意味があった。


帰り道。


珠江はネタ帳を開いた。


《泣きながら笑う人》

《小児がんで子どもを亡くした母》

《丈夫な体に産んであげられなくて申し訳ない》

《五年後、久しぶりに笑いたいと思った》

《笑うことは忘れることではない》

《涙を消すのではなく、涙のそばに座る笑い》


最後に、こう書いた。


《笑いは、前を向けと言うものではない。前を向けない人の隣に、少しだけ座るもの》


珠江はペンを止めた。


レンが隣で静かに言った。


「珠江さんの笑い、ちゃんと届いてます」


珠江は頷いた。


「うん。今日は、それが分かった」


夜の電車は、静かに走っていた。


普通列車のように。


一駅ずつ。


誰かの帰り道を、少しだけ支えながら。



次回予告


第45話「不完全なネタ」


泣きながら笑う女性との出会いで、珠江は自分の笑いの意味をさらに深く知る。


けれど、その重さを背負いすぎた珠江は、次のネタを書けなくなってしまう。


完璧に届けたい。

誰も傷つけたくない。

でも、完璧を求めるほど言葉が止まる。


次回、第45話

「不完全なネタ」


不完全だからこそ、人の心に届くことがある。お

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