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笠木珠江物語〜へこたれてたまるか〜  作者: リンダ


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声を失いかけた日

第39話


「声を失いかけた日」


“AI珠江”は、評判がよかった。


扱いやすい。

炎上しにくい。

収録時間に縛られない。

疲れない。

言い間違えない。

寝過ごして関空にも行かない。


番組関係者は笑いながら言った。


「AI珠江さん、便利ですね」


その一言が、珠江の胸に深く刺さった。


便利。


自分が長い時間をかけて拾ってきた声が、便利さで置き換えられようとしている。


珠江は、AIが再現した自分の映像を見た。


声は似ている。

表情も似ている。

間もかなり近い。


でも、違う。


「これは、私に似てるものであって、私ではない」


珠江は小さくつぶやいた。


AIは、自分の癖を再現できる。

でも、今日の自分が何に傷ついたかは知らない。


明日の舞台で何に迷うかも知らない。


涼子の沈黙も、レンの不安も、被災地で握った手の震えも、家族のツッコミで救われた夜も、知らない。


それでも世間は言う。


《AI珠江でも十分面白い》

《本人いらなくなるかも》

《むしろAIの方が安定してる》


珠江は、ネタ帳を開いた。


《似ているもの》

《便利なもの》

《安全なもの》

《でも、私ではない》


ペンが止まる。


そして、強く書いた。


《私が私のアイデンティティを失えば、それこそ私の芸人としてのすべてが死ぬ》


その日の配信で、珠江は静かに話した。


「AIが私に似せてくることは、たぶん止められません」


コメント欄が流れる。


「でも、私がAIに自分を寄せていったら、私は終わると思いました」


一拍置く。


「私のネタは、完璧ではありません。滑ります。迷います。時々、言葉を間違えます。でも、その全部が、私が生きて舞台に立っている証拠です」


珠江は、少しだけ笑った。


「AI珠江は寝過ごしません。でも私は寝過ごします。AI珠江は炎上を避けます。でも私は、傷ついたら悩みます。悩んで、次の言葉を探します」


画面の向こうで、コメントが止まった。


珠江は言った。


「便利な偽物に、本物の声を明け渡したくないんです」


そして、ネタ帳を閉じた。


「私は、笠木珠江として舞台に立ちます」


配信後、涼子からメッセージが届いた。


《私は、迷っている珠江さんの声が好きです》


レンからも届いた。


《AI珠江は上手い。でも珠江さんの代わりにはならないです》


珠江はスマホを握りしめた。


声を失いかけた日。


その日、珠江は初めて、自分の声を守ると決めた。



次回予告


第40話「もう一度、路地裏へ」


便利な偽物に押し流されそうになった珠江。


自分の声を守るため、彼女は原点に戻る。


劇場でも、配信でも、テレビでもない。


最終電車のホーム。

商店街の片隅。

猫のいる路地裏。


次回、第40話

「もう一度、路地裏へ」


拾うことから、もう一度始める。

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