沈黙のステージ・後編
第34話・後編
「沈黙のステージ」
舞台を降りた珠江は、客席の出口近くに立った。
帰っていく人たちと、一人ずつ握手をする。
「ありがとうございました」
「来てくれて、ありがとうございます」
「今夜、少しでも眠れますように」
珠江は、決して「頑張ってください」とは言わなかった。
ここに来ている人たちは、もう十分に頑張っている。
家を失った人。
家族を心配している人。
片づけに追われている人。
子どもを不安にさせまいと、笑顔を作っている人。
珠江は、その手の温度を一つずつ受け取った。
ある女性が言った。
「久しぶりに、子どもが笑いました」
珠江は深く頭を下げた。
「よかったです」
別の男性が、少し照れたように言った。
「普通列車の話、なんか……今の自分らみたいでした」
「一駅ずつでいいと思います」
珠江がそう言うと、男性は静かに頷いた。
小さな女の子が、母親の後ろから顔を出した。
「インコ、また聞きたい」
珠江は笑った。
「せきちゃん閣下に伝えとくわ。たぶん、また勝手にホームラン打ったことにすると思う」
女の子が、少し笑った。
その笑顔を見て、珠江の胸が熱くなった。
光子と優子が、少し離れた場所からその様子を見ていた。
珠江は、握手を続けながら思った。
自分たちがやるべきことは、被災した人の痛みを勝手に語ることではない。
声を掬い上げること。
ここで起きていること。
ここで眠れない夜を過ごしている人がいること。
それでも少し笑えた瞬間があったこと。
それを、全国に伝えること。
珠江は、ゆっくりと息を吸った。
「……これや」
舞台で爆笑を取ることだけが、自分の道ではない。
誰かの声を聞く。
その声を傷つけないように掬う。
笑いにできるものは、温かい形で届ける。
笑いにできないものは、無理に笑いにしない。
これは、AIには真似できない。
データから正解を作ることはできても、握った手の震えまでは分からない。
言葉にならなかった沈黙の重さまでは、拾えない。
珠江はネタ帳を開いた。
《頑張ってください、は言わない》
《もう頑張っている人たち》
《声を掬い上げる》
《全国に伝える》
《笑いにできるもの、できないもの》
《握手の温度》
《沈黙の重さ》
最後に、こう書いた。
《私の笑いは、人の声を運ぶ普通列車になる》
珠江は顔を上げた。
これから進む道が、少し見えた気がした。
次回予告
第35話「“笑い”の意味が壊れる」
被災地支援の特別ステージで、自分の進む道を見つけかけた珠江。
しかし、ネット上では彼女の舞台を切り取った短い動画が拡散される。
「災害をネタにした」
「感動を利用している」
真意とは違う形で広がる言葉。
珠江は、笑いを届けることの難しさを再び突きつけられる。
次回、第35話
「“笑い”の意味が壊れる」




