ニュースの向こう側前編
第29話
「ニュースの向こう側」前編
雨は、さらに強くなっていた。
テレビの画面には、各地の被害状況が映し出されている。
避難所。
冠水した道路。
土砂崩れ。
動かない電車。
珠江は、ただ画面を見ていた。
「笑いどころやないな……」
そう思った矢先だった。
部屋の明かりが、ふっと落ちた。
テレビも消える。
冷蔵庫の音も止まる。
Wi-Fiルーターのランプも消えた。
一瞬、家の中が静まり返る。
勝一が暗闇の中で言った。
「停電か」
美沙子が懐中電灯を探しながら答える。
「かなり広い範囲みたいやね」
一郎がスマホを確認する。
「基地局も混んでる。ネット、ほぼ死んでるわ」
大規模停電。
電気が来ない。
通信も不安定。
当然、AIツールもまともに使えない。
その時、珠江のスマホが鳴った。
北川レンだった。
「珠江さん、出てください」
声が震えていた。
「レンくん? 大丈夫?」
「大丈夫じゃないです。今日、避難所向けの配信があるんです。でもAIが動かない。ネタが作れない。修正もできない。どうしたらいいか分からないんです」
電話の向こうから、混乱が伝わってくる。
「落ち着き」
「落ち着けないです。俺、自分で一から作るの、まだ全然できなくて。何を話せばいいのか分からない。こんな時に滑ったら最悪やし、不謹慎になったらどうしようって」
珠江は暗いリビングで、静かに息を吸った。
AIが使えない。
完璧な構成も、反応予測も、言葉の候補も出てこない。
残るのは、自分の目と耳と声だけ。
珠江は言った。
「レンくん、今どこにおる?」
「劇場です。停電で照明も最低限しかなくて、スタッフもバタバタしてます」
「周りに何が見える?」
「え?」
「ネタを作ろうとせんでええ。今、見えるものを言うて」
レンは戸惑いながら答えた。
「懐中電灯持って走ってるスタッフ。暗いロビー。スマホのライト。雨の音。みんな不安そうで……でも、誰かが発電機のコードにつまずいて、めっちゃ謝ってました」
珠江は少しだけ笑った。
「そこや」
「え?」
「不安な中でも、人はちょっと変なことをする。そこを拾うんや。ただし、馬鹿にしたらあかん。みんな必死やから」
レンは黙った。
珠江は続ける。
「今日は爆笑を取りに行かんでええ。暗い中で、ちょっと息ができる声を出すんや」
「でも、どうやって」
「まず言えばええ。“AIが止まって、僕も止まりかけました”って」
電話の向こうで、レンが息をのむ。
珠江は言った。
「それ、ほんまのことやろ」
「……はい」
「ほんまのことから始めたらええ。そこから、今見えてるものを話す。暗いロビー。スマホのライト。慌てるスタッフ。雨の音。みんなで何とかしてること」
レンの声が、少し落ち着く。
「珠江さん……俺、今までAIに“正解”を出してもらってたんですね」
「今日は正解いらん。無事でいる人に、“ここに人間がおるで”って伝えたらええ」
停電したリビングで、珠江はネタ帳を開いた。
暗くて文字は見えにくい。
でも、書いた。
《電気が消えた夜》
《AIも止まる》
《でも、人の声は残る》
《暗闇で笑いを作るなら、誰かを照らすために》
電話の向こうで、レンが小さく言った。
「やってみます」
「うん。滑ってもええ。今日は生きて声出してるだけで、意味ある」
通話が切れた。
珠江は暗い部屋で、しばらくスマホを握っていた。
勝一がぽつりと言う。
「電気が止まったら、機械は黙るな」
美沙子が続ける。
「でも、人はしゃべれる」
一郎が笑う。
「姉ちゃん、今日はほんまに薪ストーブ芸人やな。停電でも残るやつ」
珠江は小さく笑った。
「誰が非常用暖房や」
外では、雨がまだ降り続いていた。
でも珠江は、少しだけ思った。
ニュースの向こう側には、人がいる。
AIが止まった夜でも、声は止めなくていい。




